2010年5月22日土曜日

台湾の罠

日本の植民地支配に対する憎しみなど全く寄せ付けない爽やかなほほ笑みに感動すら覚えたのだけれど。台湾人が日本をどれだけ憎んでいるか考えないと、マジでヤバイことになると思った。

台湾では去年の2月から「水色嘉南」というドラマが地上波で放送されていたそうだ。年末には再放送までされている。しかし、このドラマを見て墓前祭に来た人は殆どいないと言って良いと思う。台湾人の参拝客は増えていない様で、日本人の参拝客を冷ややかに見る主催者を見てみると、水面下では実は反日感情が高まっていると考えた方が良い。台湾人は、政府の絶対的な情報統制の影響で、情報に反逆する習慣みたいなものが出来上がっている可能性がある。日本人技師を讃えるドラマが流れれば、あんなの嘘に決まっているからと相手にせず、「許されざる日本の植民地支配を正当化する許されざるドラマ」と見て怒り狂っている節がある。墓前祭に来るのは日本人の方が多いと言っても良い程で、現地の人々に蔑視される自画自賛の為にわざわざ台湾に来る日本人の自己満足を、主催者側があざ笑っているような印象もあり。大陸の場合とは違って、派手に宣伝すれば宣伝するほど台湾では憎まれる可能性がある。

台湾へ行って、日本に対する震え上がり方がどうも変だと思っていたのだけれど、台湾人の中には日本人がまだ帝国主義者だと思っている人が多いらしい。現在の日本人には共産主義者も社会主義者も多いのに、全ての日本人が未だに「帝国主義」を基盤にして物事を考えていると言う台湾人がいる。彼は日本企業に勤めていて、日本企業における厳しい上下関係が気に食わないと言うか、恐らくは憎んでいるのだと思うけれど。帝国主義と封建主義の区別も無く、日本は階級差別が残っているでしょう、だから帝国主義がまだ続いているんです、と言うのである。日本には憲法九条があって軍隊を持つことが出来ないのに、未だに日本海軍の実力は世界一だ等の甚だしい時代錯誤を披露しながら、現在の日本を無視して日本はまだ昔のままだと言い張っている。まだ天皇がいますね、まだ天皇を崇拝しているってどういうことですかと問われて、政治的な権力は殆ど無いから意味無い、と言ってもまだ帝国主義に違いないと言って来る。多分国民党の教育の成果だと思うけれど、台湾人はまだ現在の日本の知識全く無しで昔の植民地支配を徹底的に恨んでいるし、差別的扱いを受けたことに対する憎しみだけが感情的に今後も益々強くなって行く可能性がある。馬英九さんがどうやら反日感情を利用して票を得ているとは感じていたけれど、ここまで強烈な反日教育が台湾で行われているとは思っていなかった。

馬英九さんの支持者は、大陸寄りで反帝国主義(反法西斯)の共産主義に共鳴している人も多いらしい。日本人は、まさか台湾人が日本より大陸の方がマシだと考えているとは思わないだろうし、そんなことは有り得ないと考えたいだろうけれど。「日本より大陸の方がマシ」な人々が意外に多くて今現在の馬英九さんを総統にしていることも事実で、馬英九さんが大陸寄りだなんて知らなかったと言う寝ぼけた台湾人もいるらしいけれども、例え中国共産党の支配(統一)が20年後に実現したとしても、日本の帝国主義支配よりはマシ、と言う台湾人が話をややこしくしている。

reechoの世代ではもう外省人も内省人も全く区別無く育っている人が多くて、大陸に対する偏見が無い為か、大陸に対して同胞意識を抱いている印象がある。「日本は第二次世界大戦中に中国で残酷な行いをしたでしょう、南京大虐殺をどう思いますか。台湾人も日本人として中国に酷いことをしたんですよ、そんなことがあってはならないから私は馬英九を支持します。」等、とんちんかんなことをreechoが台湾人から言われるのは何故なのか、何故日本がやったことだけが非難されて大陸が台湾に行った虐殺は見逃され得るのか。台湾の自由と平等を奪ったのは日本であって大陸では無く、自由と平等が実現されるなら統一されてもそれで構わないと言うreechoと同世代の台湾人、そんなに上下関係や階級差別の撤廃にこだわるのかと驚くほどに、徹底的に日本人の不平等な支配について叩き続けてくれる。日本人が自分の下になるなら、自分が威張れるなら差別があっても良いと思っている様でもあり、大陸と一緒になれば日本を叩けるならそれで構わないと言っている様でもあり。「私は中国人である馬英九を支持します。自分が中国人になっても構いません。」と胸を張って言われたらどうすれば良いのか。台湾を旅行しながら「日本人は去れ!」と追い払われる印象を何度も受けたけれど、台湾人が大陸寄りの教育で育って行ったら、このままずっと反日感情が醸成され続けるんだなと半ば絶望的な気分になってしまった。

明治天皇の孫の孫が墓前祭に来たとか言って、日本人は一体何を喜んでいるんだろうね。日本の帝国主義を誇る高飛車な人達の相手なんかしないで大陸派の馬英九さん支持しようね、と、台湾人は内心思っている可能性があり。reechoがきちんとした服装をして墓前祭へ出れば、八田與一はいつも作業着姿だったんだよ、と言ってreechoの服装を咎める地元の住民がいたり。日本の常識で行動したら日台友好は難しいと考えた方が良いとすら思われ。一体どの様に日本と台湾の友好が成し得るのか、日本人が自己批判的に、自虐的に悩み込まないと大陸の罠に嵌ると思った。反日感情を煽って中国に従わせることが極めて容易であることを肝に銘じておかないと、良かれと思ってやったことによって自分の首を絞めることになりかねず。相手の策略の裏をかく為に、とりあえず日本人が良い気分になったら台湾人は去ると考えておきたい。

お邪魔します。


綾子おばさんと。
夕食の席では厚かましくも嘉南水利会会長の真向かいに座らせて頂き恐縮しまくりました。後ろに立っているのはこちらにも紹介のある「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」台湾事務所長の徳さん。太陽の様に明るい方でした。


 


八田外代樹夫人が投身した放水路付近


毎年5月8日午後2時から2時間に亘る墓前祭が始まります。


今年から台南文化観光大使として活躍していらっしゃるそうで、なんと明治天皇の孫の孫にあたる竹田恒泰先生がお見えになり。reechoはこれまた厚かましくも銅像とスリーショットをお願いしてしまいました。



皆さん本当に失礼します。m(_ _)m

台湾の犬

写真の時刻は日本時間のままですので一時間引いてください。


墓前祭にて



烏山頭ダム下のプールにて


~プールで泳ぐ~
 
深さは1m程度だそうな。



台北の商店街を歩く犬

飼い犬でも鎖に繋がれていない犬が極めて多い。野良犬かと思うと飼い犬だったり飼い犬かと思ったら野良犬だったとか言うのも多いんじゃないかと思う。野良犬が極めて品行方正で大人しい。但し例外はあるのでご注意を。

2010年5月20日木曜日

台湾の独立

台湾人と話をすると時折、卑劣な(日本と)大陸を踏みにじって何としてでも独立を果たすのだという意向が垣間見られる。独立を果たす為なら何でもやります!などぎつい台湾人も多い。

reechoが大学時代に教わった中国語の教員に、台湾独立運動で投獄され、刑務所内で自殺未遂し病院へ運ばれた際に死ぬ気で脱獄し、日本へ亡命を果たした林惠玉女士がいる。日本人と結婚して日本人になっているけれど、自ら「陳水扁総統のお友達」と言う先生に教わると少しは台湾の見方が変わる。傍観するのも何か失礼な気もするけれど、したたかに何でもやらなければ殺される世の中で生きると人間嫌でも逞しくなるんだなぁ~とか。過激な中国人の弾圧に耐え忍ぶ精神力もさることながら、身を守る為なら何でもやってやると言う肝の据わり方が怖い。ヤクザな政府と闘う為に、どんなに温厚な国民でもやくざ化してしまったと見ることも出来るくらい、台湾人は悲惨な運命を辿って来ている。

「中国共産党が台湾の政権を執ったら日本へ亡命させてくれませんか」とか言われて初めて台湾人の独立に対する切実な思いを感じるのも鈍感と言うか。自分の政治的立場をはっきり表明することが憚られるからか、人がいる場所でそんな話をする機会は無いのだけれど。外観では「大陸は勿論嫌いだけれど、日本も嫌い」とはっきり言う台湾人が多くて、どこまで日本人として厚かましく近付いて良いのか分からないところへいきなり日本は嫌いなんだけど!大陸から離れる為なら日本に行きます、とか言われると困ってしまう。「最善独立、最悪日本逃げ」と言うか。飽くまでも日本は大陸から逃げる為の手段でしか無いことを考えると日本人として結構傷付く。

母の話によると、日本人技師の家が再建されるのは、烏山頭ダムを世界文化遺産に登録する為に必要な道具だからなのだそうな。再建が目的では無く、歴史を示す手段に過ぎないのである。赤字覚悟と言っても、世界遺産にする為に必要ならしょうがないよね、ということである。作り損にならないように世界遺産登録に力を入れるつもりなのか、馬英九さんに直接聞いて見たいけどやっぱ計算高いと思わされる物はある。誰も利益を見込まずに無駄遣いしないのだと思いたい。

TaiwanMexで貸し出していた日本語版2010年度「地球の歩き方」に「台湾人はお金でお礼されると怒る」とかいう内容が書いてあったので、たまたま帰りの飛行機で隣に座った台湾人のお姉さんに聞いて見た。日本に語学留学したことがあると言うお姉さん曰く、怒らないけど「なんで?」って訝しく思うのだそうな。まるで手切れ金を貰った気分になると言うので、どうして手切れ金を貰った気分になるのか聞いたら、何か「これで貴方の親切を帳消しにして欲しい」と頼まれているような気がするのだと言う。自分は仕事でやったんじゃないのにビジネスにさせられた気分になるし、純粋にその人に喜んでもらいたくて、親しくなりたくて親切にしたのに、お金でお礼をされると突然他人行儀になって親しみが消えるのだと言う。日本人、義理と礼節を重んじて、きちんとお礼をしなければ礼儀を欠くと思って懸命に「きっちり」恩を返そうと頑張るのだけれど、それをやったら他人になると言われてreechoは困った。お礼が無ければ裏切られた気になるし、お金でお礼されれば喜んで親しくなるのが日本人なのに、台湾人はお金でお返しされたら縁が切れるのだと言う。文化って分からないと思った。どんな高額なお金を親切で出されてもお礼はお金でやらないのかと聞いたら、まあケースbyケースだと言うけれど。気前良く高額なお金を親切で出すのも台湾人の特徴らしく、何の躊躇も無くお金を出してくれる台湾人のお陰で、reechoも全ての交通費&宿泊費&食費を無料で済ませてしまうところだった。お礼にいくら掛かるか考えたら怖くてそんなこと出来ず断って逃げたけれど。台湾人と親しくするのは度胸が必要である。親切にされっ放しなんて無理な日本人は、親切にするのもされるのも遠慮して遠ざかってしまうもので。

それにしても墓前祭は緊張した。気を遣われたことが無い人間が突然気を遣われると死ぬほど疲れる。綾子さんは「墓前祭で倒れないように」と言ってチェックアウト時刻までホテルの部屋で寝ていたそうだけれど、暑いところへ突然行くのも体には堪える。reechoは墓前祭で既に脱水症状を起こし、後日たまたま台北の某ゲストハウスで鉢合わせした個人旅行のお姉さんから「隣に座ってたおっちゃんと、あの子大丈夫かな~って心配しとってんで」と言われる程、外見からはフラフラしていたらしい。けれど烏山頭ダム管理事務所に勤めている職員は当たり前の様に全員立ちっ放し。烏山頭ダム管理事務所の所長さんも立ちっ放し。誰一人として椅子に座らずずっと来客に気を配っていて見るからに大変そうだった。噂によると数年前までは椅子やテントなんて存在せず参拝者全員が炎天下の下で立ちっ放しだったとか。英九さんが来るようになって突然テントや椅子が登場したらしく。いくら勧めても椅子に座ろうとしない職員を見て、テントと椅子に対する抵抗かとすら思ってしまったんだけれど(笑)。前出のお姉さんの情報によると、今年は日本からの団体客として「李登輝学校」の学生が数十名来ていたそうで、墓前祭で「李登輝」という名前を出すのが政治的に問題だとかで、「李登輝」の名前を抜いて「日本友の会」とか言う名称で紹介されていたとか。なぜ馬英九が良くて李登輝がNGなのか、日本人のreechoには不可解なことが台湾には多い。

李登輝学校では毎年日本からの研修団が台湾へ学習に行き、全員李登輝先生から修了証書を貰って李登輝先生と記念撮影するらしい。趣味で毎回参加している定年退職後っぽいおじさんも何人かいるのだとか。若手の育成と銘打ちながら「おっちゃんばっかり」とは関西弁のお姉さんの話。李登輝先生にお会いしたい方はどなたでも「李登輝学校研修団」に参加して下さい。台湾は、「独立」を口にするにも日本と親しくするにも政治的に危険な場所なのだということを肝に銘じつつ。

2010年5月14日金曜日

犬が来た。

reechoが久々に日本で電車に乗って改めて実感したのは、reechoを見ると突然に激しく咳払いを始める人が多いということである。「皆で注意し合わなきゃ駄目じゃん!」と懸命に咳払いをする人もいれば、「え、そうする人少ないし」と実際に口にして友達の咳払いをたしなめる人もいたり「私が変わらなきゃ駄目かなぁ~」とお互いに言い合ったり。「みんなでチクリ合おうよ」と協力を呼びかける友達に向かって「気を付けてねっ!」と注意する人もいて、その人それぞれの対応の仕方が見物だった。正義感に燃えて注意することに一生懸命な人と、人を注意するのをためらう人との差は結局思慮の有る無しだと思う。悪人を厳しく注意することが必ずしも良いことであるとは限らない、と配慮する人にもそれなりの正義感を感じてしまうのだけれど。「自分が正しければ見境無く何でもやる」という正義に対する信念と慢心が、分別の無い子供の様に見えてしまうのも奇妙なのだけれど。「悪いものは悪いと主張する正しい日本人」が突然に凶悪に見えてしまうのもなんだか物悲しい。

台湾へ行って、日本人が台湾でどれだけ悪く思われているかを知った。遠くから見ると随分親日的に見える台湾だけれど、実際に行って見ると「日本人と親しくしたくありません」な台湾人が結構いることに気付く。「台湾って日本語喋れる人が多いですよね。」と言うと、怒る台湾人が多いのである。「何でワシらが日本語なんかしゃべらなきゃいかんのじゃ!」と、突然に憤慨されて困惑したり。「台湾って日本で作られたドラマや映画が凄い沢山流されているんですね。」と言うと、国交断絶時代には絶対流しちゃいけなかったんだし『今もあわよくば流すべきじゃない』みたいな意見を述べる、両親が無理やり日本語を学ばされたというおばさんがいたり。親日的な人しか日本には来ないから、「日本人の支配に対する憤り」は、実際に台湾へ行かないと分からないと思う。

行く前から日本の統治に対して「感謝半分恨み半分」という話は聞いていた。けれども実際に現地の台湾人と話をしてみると、恨みの方が強いというか、恨みで感謝が完全に食い潰されている印象を受け。やった良いことが全てご破算になる悪いことって一体どんなことなのかと思うけれど、要するに日本人は台湾で威張り腐っていたのである。「台湾へ来た日本人は皆ことごとく威張っていて厳しくて、八田与一にしても例外では無かったに違いない」と思わせる程、ともかく日本人は威張っていたらしく。どんなに良いことをした日本人でも「知らないよ」とそっぽを向かれる羽目になっているのは悲しかった。「そんな人知らないよ。僕らが知っている日本人は威張り腐る恐ろしい連中ばかりだったからね。」

そんな台湾人の中にも、日本人に親切な人は多い。特に熱心な仏教徒に多い。彼らは、困っている人にも優しいけれど、人を困らせる人にも優しい。要するに、日本人であってもなくても、どんな人にも見境無く親切にするので、日本人に対して優しいのである。仏の慈悲というのは、困っている人には勿論、人を困らせる人にも及ぼされるべきだと考え実行している人が、台湾の仏教徒には多い。確かに、仏の慈悲を必要としているのは困っている人だけではなく、人を困らせる人でもある。人を困らせる人を変えるのが仏の慈悲であって、自分がその慈悲を実践するべきだと思って優しくしてくれるのである。彼らは、本当に、慈悲が溢れる仏陀を拝むとそれだけで心が躍り、嬉しくて楽しくてたまらなくなる様子だ。勝手に「満ちている」彼らを見ると、そのいくらでもどんどん湧き出る慈悲に感謝が止まらなくなると言うか。単に何もしなくても作物が勝手に実る南国の陽気さというのもあるけれど、日本の厳しい仏教に疲れた日本人には、是非台湾へ行って台湾の明るい仏教を見てもらいたいと思う。台湾のお墓は、デザインから見ても日本のお墓からは想像もつかないほどに明るくて可愛い。

八田與一の墓前祭に参加して思ったのは、遠くから来る人に熱心な仏教徒が多いということだった。「仏陀の慈悲を体現したあっぱれな人」という理由で八田與一を尊敬し、自分も仏陀の慈悲を体現したいと切実に願っている人が多く。遠くから観光で来る「仏陀マニア」ではない人々は、どちらかと言うと八田與一の功績を称えると言うよりは、地元の人による汗と涙の協力を称えていた。確かに皆で作ったダムであって、言い換えれば無理やり作らされたダムであって、これもまた「感謝半分恨み半分」ということになるけれど、実際に恩恵はあったのだから、とりあえずここでは恨みと感謝は区別して感謝を表現しようということで。日本と台湾の友好の機会でもあるから、墓前祭では恨みは出さないようにと努めている印象もあり。reechoが「日本人を恨んでいる台湾人も多いみたいですね」と現地の人に聞くと、「台湾人は全然日本人を恨んでないよ」と言いながら、涙を拭うしぐさをする。「恨んで無いけど辛かった」と言いたげな雰囲気に、きっと日本人のことだから、自分が信じる「正しいこと」を台湾人に強要する為に随分厳しいことをしていたんだろうな~と思わされ。きっと、良かれと思ってやったことが迷惑だなんてこれっぽちも考えていない日本人も多かったのだと思う。

昨年等は、ご丁寧に馬英久さんが墓前祭に来て、日本に対する恨みを強調するような演説をしたという噂を、ある方のBlogで拝見したけれど。あの場で恨みを強調して地元衆の票が得られるのもまた事実なのだなぁ~と感じられてしまうこともあった。我々日本人が多く座る来賓席の装飾が思い切り壊れていても、「全然構わない」のだそうで。そんなことをわざわざ指摘するreechoも日本人として恥ずべきなのだろうけれど、会場を準備する主催者側に「来賓の装飾なんてどうでも良い」と言われると、例え「見た目じゃないよ心だよ」と言われていたとしても、侮蔑に値する日本人は引っ込んでろと言われているような感覚に襲われ。偉い人を蔑んで身分の低い人に親切にした当時の日本人の意志を継いでいるとも言えるのだけれど、当時から、現地の人はプライドが高くて日本人の言うことを聞かなかったと言うし、やっぱり日本人は「悩む八田與一」の銅像を見ながらどこまでも思慮と考察と反省が必要なのだと思わされ。ちなみに、「考える八田與一」の銅像を考案して作製させ、戦時中に現地の人々に隠すことを指示したのは紛れも無く赤堀信一で。現地で悩み続け、運良く現地の人々に守られて生きて日本に帰って来た曽祖父に、そして曽祖父を守ってくれた現地の人々に、ありがとう、と言いたくなった。戦後、沢山の日本人が台湾で虐殺されていたことを考えると、幸運だったとしか言いようがないのだけれど。

現在、利益を度外視して(赤字覚悟で)、昔八田與一一家が住んでいた家と赤堀信一一家の住んでいた家(二軒並んで建っていた家)を再建中だと言う。墓前祭当日の朝に、関係者一同で再建中の現場をバスで見学に行った際、家を設計する女性建築士の方から「赤堀さんの家」「赤堀さんの家」と何度も呼ばれてどきどきしてしまったのだけれど。今の赤堀さんの家も建ててくれると嬉しい、とか言ったら「なめんじゃねぇ!」と言って飛び蹴りされますか(泣)。家が壊れて困っているのは昔の赤堀さんちではなくて今の赤堀の家なんですけど(涙)。

それにつけても台湾で感動したのは、台湾の犬が謙虚なことだった。台湾では日本と大陸の支配について「犬が去って豚が来た」と形容するのを以前から聞いてはいたけれど、台湾の犬はreechoが考えていた犬とは全然違う生き物だった。姿かたちではなく生き様が違うと言うか、躾けられ方で全く別の生き物に見えると言うか。台湾で生きている犬を見たら、日本が犬に例えられていることに嬉しくなった。台湾には、自分を人間だと勘違いしている阿呆な犬が皆無で、人にじゃれ付かないし咬まないし吠えないし引っ掻かない。全く人に手を出さない大人しい犬ばかりなのである。人を脅す為だけに犬を配置している場所もあって、そこでは犬がどれだけ威嚇するのに相応しいかもよく分かる。でも豚は豚で、役に立たないようだけど食べると美味しいんだけどね。好き嫌いはあるけれど、大陸って台湾人が食べても美味しいんじゃないかと思ってしまったり。ひそかに大陸を食べて太る台湾人が最近増えてるとか言うのはやっぱ不謹慎ですか。