2010年9月5日日曜日

地区体育祭



9年ぶりに地元の体育祭に参加した。運動会の3週間くらい前に公会堂で選手決めがあるのだけれど、欠席の連絡も入れずに選手決めの会合を勝手にすっぽかしたら、選手決め当日夜に「60m走に出てくれない?」と、まだ公会堂にいるらしき地区体育委員の奥さんから電話が掛かって来た。人数が多いから連絡入れなくても勝手にすっぽかせるかと思っていたreechoの考えが甘かった。25-35歳の女子って、妊娠しないと困る人々ばかりな訳で、体育祭に参加出来る人の変動は確かにある筈なのだが。うちの地域はそれでも人数が多い方で、子供連れでも無い未婚の女子は基本的に恥ずかしがって運動会に出て来ない。reechoも、2000年の第1回市町村対抗駅伝大会で、菊川町の一般女子補欠選手として駅伝に参加した年を最後に、一度も体育祭に参加しておらず、運動不足も重なっていてちょっと嫌だなと思ったのだが。これを機にまた熱心に「走る」ことにチャレンジして見ようかと思い立った。3週間前の話である。
だいぶ長い間走っていなかったのでジョギングから始めたけれども、筋肉が落ちてしまって足が全然動かないので困った。ちょっと無理して動かそうと頑張ったら左足腿の後方がコブラ返りと言うか、肉離れの一歩手前?みたいな症状になってしまい、3日間くらい激痛が続き、歩くのも辛くなり。今度はその筋肉を使わずに走ろうと試みたところ、右足腿の前方が痙攣して激痛が続き、走る度に筋肉が肉離れ寸前の状態になるのでどうにもしょうがなく。右足腿前方は、家族が見ても腫れ上がっている状態で、病院に行く程深刻では無いけれども運動会に出るのは苦しいかなぁ~と思った。けれども、ともかく暫く休んでから、とりあえず運動会当日だけは、出るだけ出て見た。筋肉は攣ったけれども別にどうにもならずに済んでほっとした。

reechoの出身の小学校、最近見た9年前と比べれば、運動場の危険な遊具が減った気がする。reecho等は危険な遊具から落ちて怪我をしながらも、危険な程にスリリングな遊具で体も心も鍛えられたつもりだった。1学年1クラスずつしか無い市内で最も小さな小学校だけれど、促進住宅も出来て新しく入って来る人も多い筈なのに、reechoが小学生だった頃から子供が増えた様子は無く、1クラス30人を超える学年が無いんじゃないかと思われる程。


フライング

中学生は100m走。

田舎者は真面目だな~とひたすら感心した。こんなにクソ真面目に汗水垂らす人々って、都会では滅多に見られないと思う。人間関係が薄くてあっさりした付き合いしか有り得ないからかも知れないけれど、都会の人は激しくぶつかり合うとか醜い姿をさらして競いたがらないと言うか、ぶつかり合いを避けるのが上手くて、何だかいつもスラリと爽やかにしている印象があり。田舎者は垢抜けなくて野蛮と言ってしまったら終わりなのだけれど、実直に顔を歪めて歯を食いしばり、形振り構わず競技に没頭するのが感動的と言うか、本気で戦って負けて悔しがるのも野性的で。クソ真面目に全力疾走する人達を見て、また真面目に走る自分も再確認して来て、毎日の生活でもまた懲りずに全力疾走にチャレンジするべきだよな~、と思った。全力と言ってもたかが知れているのだけれど。覚えたら片っ端から忘れて行く弱い頭と格闘!しながら、何とか中国語を習得しておきたいと思う。


参加賞はクレラップ。弱りゆく頭も体も、それ相応にビシバシ鍛えておきたい。

2010年9月4日土曜日

生き地獄

reechoの地獄の様な人生が始まったのは、reechoが小学校5年生の時に、母が西式健康法及び甲田式健康法というものを始めた為である。悪いのは、自分だけでは飽き足らず、私にまでその食事療法を始めさせてしまったことである。良いと思ったら一途に一本道しか見られなくなる母のこと、徹底的に食事療法を守らせようと必死になった。その食事内容は、上のリンク「甲田式健康法」の食事療法の2.にある様に、

朝 青汁、1日1.5Lの水(食事中と食後3時間は取らない)
昼 玄米1合 豆腐200g ごま10g 塩5g
夜 昼と同じ

というもの。reechoの場合は、朝は青汁のみ、昼と夜は玄米と豆腐と塩・黒ゴマペーストと昆布粉・僅かな人参orかぼちゃの煮物だった。小学校の時には毎日たらふく食べられる学校給食があって、お弁当持ちなんて考えたくも無かったのだけれど、ともかく母は学校教員を説得してreechoを毎日お弁当持ちにさせたのである。

reechoは幼少期から、母の作った料理を食べたことは殆ど無かった。常に母の母である祖母が料理していて、基本的に明治、或いは江戸時代の家庭料理だった。江戸時代と違うのは、卵と肉が多くなるだけである。reechoは肉や卵を使った洋風の料理が好きだったけれども、元々洋風の料理は極めて少ない家庭だった。祖父は質素な食事が更に質素になるのを嫌がって頑として食事療法を始めなかったのだが。祖母は食事を作る手間が無くなるから、という理由で大喜びで食事療法を始めてしまった。食事に手間を掛けたくなくても、だからと言って食事療法をする必要は無いのだが、作る喜びの皆無な人間にとっては、食事を作らないことが正当化される、こんなに有り難い物も無いらしかった。それまでの家庭料理では、一週間に一度だけ、土曜日の昼間にラーメンを食べられるのが一番の楽しみだった。毎日スイミングスクールで3kmは泳いでいたreechoは、家の食事よりずっと美味しくて栄養価の高い給食でやたらに沢山食べていた。常にクラスの中で一番多く食べていたと思う。それが無くなるのは辛かった。大阪の甲田医院でreechoに課せられた食事は、量が極端に少なくて、当時消費カロリーが一般の子供の2倍必要だったreechoには堪え難いものだった。

あっという間に5kg痩せた。体力ががた落ちし、スイミングスクールも辞めた。学校でのマラソンも見学するようになった。家庭科の時間も何も食べずに待っていた。何故そんなことをやらせるのか、と周りから不審に思われても、「私は体に良いことをやっている」と信じて食事療法を続けていた。家庭内で、規定外の食べ物を口にしようものなら恐ろしく叱られた。どうしてこんな物を食べるのか、とreechoが食べていたピーナツを母から床にぶちまけられたことがある。reechoはその床に落ちたピーナツを拾って食べ続けたけれども、母はカンカンになって捨て去った。塾に通い始めるまでは小遣いも一週間に百円と恐ろしく少なかったから、食べ物を買おうにも買えなかった。静岡市の塾に通い始めて小遣いが増え、それでも一週間に500円だったけれど、出来る限り買って食べていた。reechoの中学の同級生には、塾の近辺のマクドナルドでハンバーガーを買って食べていたreechoを知っている人が少なくない。

食事療法の為だけに中学を受験した。一般の公立中学は給食があるから、お弁当持ちの中学に行かせれば良いと考えられた訳である。落ちて皆と同じ公立中学に通えば良かったと思う。美味しい給食が食べられればそれだけで幸せだったけれども、恐らくは公立中学に入ってもお弁当持ちを続けさせられたに違い無い。何が恐ろしいかって、自分が良いと思ったら一途に信じ込んで疑わないことである。小学生の時に母が、他の父兄に向かって甲田療法を勧めたことがあったけれども、うちの子は嫁に出すから何でも食べられないと困る、と言って断られたそうだ。

中学では栄養失調で毎日ヘロヘロになって通っていた。担任が家庭科の教師で、口には出さないけれども食事療法には真っ向から反対する立場を崩さなかった。母が強制しているとしても、reechoがダイエットしたいから、或いは好き嫌いが激しいから自分で勝手にそんな食事をしたがっているのだと勘違いされ、生活面での指導が不必要に厳しくなっていた感じがある。だるいから、という理由で何事も怠けるようになり、別に食事が可笑しいからという理由だけでなくても、充分に指導材料は多かった。指導されてそのとおりに従う為の体力も無く、学校を休みがちになった。欠席日数は多く、進学校を目指す気力も内申も無かったから、ただ入れる高校に入った。高校では給食が無く皆がお弁当持ちだったが、初めてreechoのお弁当を見た友達から「何それっ!?」と仰天された。説明するのも面倒だったし、そんな食事を続けるのも苦痛だった。高校を辞めてから、自宅に引きこもってひたすら家の中の食糧を食べ尽くすのが日々の日課になった。吐いてでも食べて食べて食べまくり、近所の話題になった。reechoを見れば咳払い攻めにする人が多くなった。それでも食べて食べて食べまくった。誰が5年間もこんな食事療法に我慢出来るのか、reechoが我慢出来ない我侭な人間だと思う人に強制させて、その人が我慢出来なくなるのを楽しみに眺めて見たいとすら思った。食事療法で実際に体力を失い、物を食べられなくなり、痩せ細って普通に動くことが難しくなった母を尻目に、今でもreechoは食べ続けている。

失った物は非常に多かった。体力を失い、友達を失い、社会的地位も信頼も失った。それでも毎日食べられる、それだけが今現在のreechoの喜びであり、生きる希望である。働かざるもの食うべからず、ではなく、食わざるもの働くあたわずである。

reechoが見たところ、何故か家庭で自由に食べて来られた人程、社会に出て上手くやっていると思う。野菜が一切食べられないと言う偏食者が、何故かきちんと家庭でしつけられている人に比べて、社会での適応能力が高いことに驚いたことがある。家で厳しいと、家庭のルールを守るのが手一杯になり、家の外でのルールを受け入れる余裕が無くなるのではないかと思った程である。家で厳しく躾ければ社会でも上手く躾けられるというのは、厳し過ぎない家庭でしか通用しないと思う。徹底的に家庭の戒律で洗脳されてしまうと、家庭が絶対的で社会での規範を受け入れ難くなり、余程器用に家庭での戒律から抜けられる人間以外、社会に適応出来ないのである。家での躾けはとても厳しかったけれど、社会でも何も問題なくやっている、と言う人は、飽くまでも家庭での躾が社会的に見て至極「一般的」なものだったということに、感謝するべきだと思う。

2010年9月2日木曜日

長寿


一昨年の9月に、満99歳の「父の母」と撮った写真である。両親が離婚して、父も父の親の顔も全く知らずに育ったのだけれど、父親の家は母親の家よりずっと金持ちで、ゆとりのある生活を送っているせいか生活苦を感じさせない余裕綽々の顔をしている祖母。金持ちだったら長生きも悪くないのだな~、と思わされた。貧乏人が長生きって辛いよ、本当に。社会的地位が高ければ優遇されるけれども、社会的地位が低いとずっと虐められっ放しだから、毎日が死ぬほど大変だと思う。高校中退で仕事も無くて、反社会的に見えるからと言う理由だけで、何か近くで事件がある度、無闇矢鱈に疑われて困る哀れなreechoである。
神社でお賽銭が盗まれればreechoじゃないのか、近所でパソコンが盗まれればreechoじゃないのか、子供が轢き逃げされればreechoの車じゃないのか、母の友人宅で火災があればreechoが放火したに違い無いなどなど、どう頑張っても出来ないことまでreechoのせいにしておきたいらしく、何でもreechoのせいにしてすっきりする人達に囲まれて、猛烈に苦痛な日々を送っている。
挫折の多い人ほど社会に対して悪意を持ち易いに違いない、劣等感の強い人ほど自尊心をかなぐり捨てた悪事を働き易いに違いない、みたいな偏見は、恐らく誰でも持ち易くて納得し易いのだと思う。そして仲間外れほど誰も味方しないから罪をなすり付けやすく、大勢で非難し叩きのめすのも容易なのである。一糸乱れぬ後ろ指で刺し殺されんかな、と密かに期待されながら、reechoはそんな一見善良な人々の「悪意の欲望」といつまででも戦い続けたいと思う。世間は社会的弱者に対して、どこまでも差別的で残酷だから、ともかく弱者にならないように、挫折しないように、社会を怨まないように、まだ挫折していない人にはくれぐれも挫折しないよう、仲間外れにならない様、懸命に努力し続けて欲しいと思う。