2010年10月31日日曜日

国際紛争

reechoは抽象的表現が好きである。記憶力も語彙力も無くて細かい事柄を示す単語を知らないので、出来る限り物事を大ざっぱにまとめた単語で説明してもらわないと話が分からない。知らない専門用語が多い書物を読めば、こんなに細かく物事をカテゴライズする必要があるのかとうんざりすることも多い。
大学で国際関係論の指定テキストだったジョセフ・S・ナイ著「国際紛争」を、久しぶりにちょっと読んで見た。

著者は、カーター政権とクリントン政権において日米安全保障関連事項に深く関わった人物だそうで、ハーバード大学で教える際に書き下ろした教科書らしい。「懐疑主義者にとっては道義的判断には意味がない。」(p.187)とか、分かりそうで分からない言葉が結構含まれる。他の専門書と同様に、区分がこんなに沢山あっても困るなぁ、と思う程に、国際政治を学ぶ上での区分方法が紹介されている。
区別する方法を知らない人が見れば、中国人も日本人も同じ「人」と思うだろうし、細かく分類すればするほど何だか物知りで賢くなった気になるのも可笑しな話ではある。人は区分と差別が好きである。ついでに言えば自分と似たものを好み易い。日本人は特に、自分と全く同じでなければ許せない人が多い。一生懸命に差別し、偉くなった気分を味わいたがる人も多いと思う。この本を読んでも、世の中には本当に沢山の区分があると思わされるけれど、p.36に少し例がある様に、徹底的に区別したがる人程、トレード・オフの関係〔両者を同時に完全に満たすことが困難である一方、完全な二者択一でもない関係〕を無視する傾向があるらしい。余程視野の広い人でもない限り、自分の主張を正当化する為に、自分にとって都合の悪い情報は消去して考える傾向がある様に思う。以下「国際紛争」からの引用が多くなってしまうが。

共通の主権が存在しない無政府状態の国際政治において、何を頼りに生きるのかと言う問いに、リアリスト(現実主義)のホッブズは、生存の為には武力に頼るしか無いと答え、リベラル派(国際協調主義)のジョン・ロックは、契約による共存が可能であると説く(p.5)。
リアリストは懐疑主義的で協力を避ける傾向があり、リベラルは信頼関係と相互依存の増大を目指す傾向があるそうだ。懐疑主義者が不信感によって「周りの主体」を敵視し、自分の身を守る為に攻撃することばかり考えるせいで、明らかにリベラルよりもリアリストの方が強くなりたがり、実際に自分が生きる手段は暴力に限ると言う点で、関わると恐いのはリアリストである。
騙し合いの文化が醸成され過ぎている中国では、人を信じないリアリストが多いと思う。彼らは契約しても契約を無視するのが普通である。誰が人を信頼し、契約の下に平和を築くリベラルに傾き得るのか知りたいと思う。それに比べて嘘をつかない誠実さで裏切り行為が少ない日本人は、思想的にリベラルに傾き易い人が多いかも知れない。しかし人を疑わない日本人が、国際社会で無防備であることを考える必要はある様に思う。この本の著者も立場的にリベラルらしいけれども、国際社会の厳しい実情を知り尽くしているからこそ当たり前の様に辛らつで、リアリストが国際政治の基本的立場といった書きっぷりをしている。国際政治の歴史を振り返れば、国家の存続及び安全保障の枢軸を担って来たのはリアリストだったのだからしょうがない。

「システム」とは相互に関連したユニットの総体のことで、国際政治システムとは国家間の「関係のパターン」のこと、そしてどのシステムについても言えることは、全体のパターンが部分の集積より重大であること(p.41)らしい。ここで言うパターンとは、「主体」が「目標」に向かって「手段」を用いる過程と結果の総体を指す様だ。

国際政治システムの「主体」は、古来は少数の国家だったが、最近は多国籍企業も主体になり得る程に経済的影響力を持ち、国家の数も20世紀後半だけで3倍に増え、主体が増加・多様化し続けている。(p.10) 
国家にとって最も重要な「目標」は、伝統的には軍事的安全保障であったが、今日では経済的目標が増大し、さすがに軍事的安全保障の目標を駆逐してしまったとまでは言えないが、軍事的安全保障が唯一の目標ではなくなったと言えるまでになっている。(p.12) 
伝統的な見方に従えば、真に意味ある「手段」は軍事力だけであったが、現在では他の手段によって目標を達成する事例が増えている。核兵器が世界に5万発以上あるのに1945年以降一度も使われていないのは、核兵器の破壊力がどんな政治目標にも釣り合わない程に強大であることが挙げられる。経済的負担や民主化による国民の反対も、軍事力を行使しない理由になっている。民主化によって全ての武力行使が防止されるとは言えないが、戦いの正当性について幅広い議論がある限り、戦争に関する憲法上の抑制と均衡が、よりよく機能すると考えられる。世界中で民主主義国の数が増えれば、少なくとも民主主義国の間では、戦争が起こる可能性は小さくなるかもしれない。ただし、新興民主主義国には、言論の自由や行政府への抑制、定期的な選挙といった自由民主主義的なプロセスを欠く大衆民主主義の場合もあり、理論化に耐えるのは自由民主主義国間の関係であって、民主主義国家全般ではない。(p.61)

らしい。言論統制があったら政府の独裁がまかり通り、情報操作でいくらでも国民を戦争に駆り立てられる様で。中国が民主化したら、軍事大国化が食い止められ、現在の軍備が形骸化することもあり得る為に、中国政府は民主化を進めさせない方針であるかも知れない。「軍事費が多すぎて貧困が止まらない」なんてことを、民主化した人民が許すとは考え難く、このままの体制を維持することが中国の最終目標であり、最大の課題であるとも考えられる。民主化したら中国は崩壊するのである。国家の存続の為にはとても民主化なんて出来ないと言うのが中国の現状だとすれば、日本もまた負けず劣らず、国家の存続の為には民主化なんて有り得ないと考えている可能性がある。情報統制にしろ一党独裁にしろ、相変わらず市民を犠牲にして続いて行くんじゃないかと思う。

システムは、その中の主体の誰もが意図しない結果をもたらしうる。(p.42)そうだ。
国家と言う枠組みの中で、その構成員である以上、その構造と運命を共にしなければならないのは実に残念なことではある。社会の構造を知り、自分の立場を明確にわきまえ、他と区別し役割を自覚することが、自分の属する社会の中で自己の役割をより適切に全うする方法でもある。やはり自分の所属する社会の中で自分の役割を適切に全うするという目標において、人間が生み出す最も大きなシステムとしての国際政治について、大学で学んだのは良い経験だったと思う。現在は、各国間の関わりの乏しかった時代における「武力による解決」が別の形態に移行しつつあるにせよ、リアリズムの思想がまだ重要な地位を占めている限りは、自分の目的達成の為に、契約の成り立たない相手に対する攻撃が選択肢として常に存在することを忘れてはならないと思う。そして攻撃が出来なければ、その主体としての存続を諦めなければならない可能性もあり、攻撃の方法についても詳しく知る必要があると思う。文明の対話とは良く言ったものだけれど、平和主義者の期待以上に国際社会は不信感と絶望に満ちている。情報統制によって不信感と絶望感を増幅させられている場合もあり、情報統制及び教育には充分に留意する必要があると思う。また対話も無ければ信頼も無く、突然自分の目的達成の為に攻撃を仕掛けるリアリストに対して、どの様にアプローチし得るのか、リアリストと平和的に接触し契約する方法はあり得るのか等、リベラルと自認するならば、積極的に考えなければならないとも思う。

話し合い及び討論が苦手な日本人は、日常的にリアリストが多いかも知れない。話し合い或いは説得による解決を抜いていきなり攻撃し、服従を強要する例が多く見られる。自分の地位が上なら絶対服従を強要出来ると信じて疑わず、相手と改めて話し合って契約する理由など皆無だと思っていることが多い。情報は常に上から押し付けるもので対等に話し合う関係が無いのも問題である。知り得る情報に差が生まれ難く、上からの情報は全て鵜呑みにするのが常識と言う日本では、わざわざそれぞれの認識を再定義することにも無頓着な人が多いと思う。意見の衝突を嫌う日本人は、意見が衝突しそうなら予め衝突し得る意見を握り潰しておけば良いと思っている節もある。明言化し得ない契約を尊重し、暗黙の了解を明言化することによる損失を避けたがる人も多い。裏での合意・談合による解決を図る秘密主義の人々がどのように秘密裏に契約し、主体も手段も目的も隠し続けるか観察するのも、同じ国家システムに属する同じ日本人としては、極めて意義のあることだと思う。秘密を共有し、秘密裏に契約を行う主体に成り得て初めて、他に漏れない利益を享受出来るならば、秘密を共有し得る主体として認識される方法を知ることも大切だと思う。組織の中でより効率的に機能するには、その組織の目標及び手段から外れるのは得策では無く。たとえ所属する組織の動きが自分の主義主張に恐ろしく反するとしても、より安全に生存する為には「組織に巻かれる」ことも重要だと思う。

厳しい社会を知り尽くしている人の文を読むと、どうしてもリアリストに成るべきと思わされたりする。ただホッブズにとっては自然環境も人間が従わせるべき脅威でしか無く、全てを人間の支配下に置くことしか目標にしていなかった様である。支配し続けたらどうなるかなんてことは視野に無く、倒し続け、征服し続けた結果、人間が生きられなくなるとは考えていなかったらしい。現在は、人類が支配し続けた自然環境が、もはや人類を支えきれなくなっている。一方的な破壊活動を続け、自然界の均衡を崩し、人間自らが生きられない状況を生じさせつつあることは、周囲を無条件に従わせたことで自分の首を絞めることになった好例でもある。地球上で人類が生息し続けられない状況を、より多くの人が把握して対策を講じなければ、地球環境システムの中での人類の生存期間は更に短くなる筈である。例え相互依存が相互の脅威を意味するとしても、人類は自然環境に依存し続け、自然環境を恐れ敬いながら、自然環境に従い続ける以外に生存の道は無い筈で。人類は、地球環境システムにおける人間の立場と限界を知り、その中での「存続」という目標を早くから設定して来なければならなかったのである。形振り構わず目先の目標達成だけを考え、地球環境を破壊し続けて来た人間が、もはや地球上で生存し続けられない等、今更言われても困ると言うか、既に改善が不可能な状態で。システムは、その中の主体の誰もが意図しない結果をもたらしうる。全く意図しなかったのは単に無関心だったから、と思われない様、自分の属し得るシステムの全貌を知り尽くし、そのシステムの中での自分の立場と限界をきちんとわきまえ、自己の生存可能性を高める努力をし続けなければならないと思う。

生存が難しいからって、各国が意地になって核爆弾を5万個も作って一体どうするつもりなのか分からず。それで、地球環境から抜け出す方法があったとしても、地球環境システムを無視した議論を続けることには、かなり無理があると思う。

2010年10月24日日曜日

他人の不幸

厳密に言えば触法行為なんだけれども、土豆で「花样十年」を見た。
中国へ行きがけの飛行機の中で、北京の社長に「花儿乐队ってご存知ですか?」と聞いたら、「え?何?聞こえない!」と何度も何度も聞き返された挙句、結局「知らない」と言われ。周りにも丸聞こえの大声で何度も「花儿乐队!」と言わされて、わざと恥を掻かされ結構不愉快な思いをした。reechoにとって痛くて恥ずかしい思い出になった花儿乐队演唱会、改めて見るのも恥ずかしくて自分が映ってたら困ったと思ったところ、顔が分からない程度の小ささで、個人が識別出来ない様でほっとした。コンサートは正直勿体無かったけれども、798芸術区を回ったり、北京旅行は純粋に楽しめた様に思う。

reechoが気づいただけでも、「花样十年」の映像ではカットされたり新たに付け加えられたりした映像がいくつもあり。特に王文博がトイレでリズムを取るあたりの「痛い映像」がばっさり無くなったことで、随分穏やかで優しい雰囲気に仕上がったな~と思う。王文博のトイレの映像も無意味に長くてメロディーが感じられない単調さだったけど。アニメーションも可愛くなっていて、改めて付け加えた部分のおかげで随分綺麗に仕上がったと思う。


Gymnastics Bloopers!@YouTube

痛い映像って、こんな感じと言えば良いか、板飛び込みで板にぶつかって痛い目とか。床運動で思いっきりビターンと全身打ちとか。フラワーズの歴史を振り返るとか言う映像だったと思うけれど「中国の痛みを知れ」と言われている様でもあり、我々は格好の付かないfailureで満ち満ちていると言われている様でもあって、正直居心地が悪かった。

笑って良いのか分からない不道徳な映像ばかり見せられた記憶があって、他人の不幸を見て慰められる人がいるかも知れないけれど、人が痛い目に遭っているのを見て喜ぶのを、逞しいとか強いとか言って良いのかどうか。一歩間違えば犯罪行為だと思うんだけれど、実際に人の不幸を喜び過ぎる人に囲まれていると、自分が不幸に見えて来てしょうがなく。TheFlowersが台湾の会社所属でなければ、こんなに破廉恥にもえげつなくもならなかったかも、とか台湾人とメールするうちに思えて来てしまい。いや、それ以前に台湾が日本の植民地にならなければ、こんなに人の不幸を喜ぶ文化が醸成されたかどうか。あえて言えば、破廉恥好きな台湾人には人気の筈で、コンサートも台湾でならいくらでも開催可能だったと思うけれど、どうしてこれが最初で最後のコンサートなのか、やっぱり疑問……。

見れば、「花児(日本)」のプラカードを持った日本女子の右前に、大張偉にキスしちゃった女の子がいた様で(上の土豆では56分頃)。「鹊桥汇」の後では「ありがとう」と日本語で言っている様にも聞こえ(中国語てんで分からず)日本人向けに準備していたのかとすら思ってしまった。後ろの席では、みんなが嫉妬で溜息付いていて。微妙に人の不幸を喜ばなければならない様な印象を受けてしまう、ちょっと恥ずかしいコンサートだったと思う。

2010年10月17日日曜日

日本の我慢

国旗振り「日本を滅ぼせ」中国反日デモ
2010.10.17 01:20

 「日本を滅ぼせ」「日本は釣魚島(日本名・尖閣諸島)から出て行け」。中国四川省成都や陝西省西安などで16日、起きた大規模な反日デモ。成都では、普段着姿の若者が横断幕を持ちながら行進し、「小日本(日本人の蔑称)は出て行け」「日本製品をボイコットせよ」と相次いで叫ぶ。

 市中心部にあるイトーヨーカ堂の春煕店は、数千人の群衆に包囲された。周囲では、破壊行為を阻止しようとする制服の警官隊とも押し合いに。ヨーカ堂が面した通りは群衆で交通がまひ。店舗の入り口には16日夜、臨時休業の看板が設置された。付近には細かいガラスの破片が散乱、襲撃の衝撃を物語っていた。

 中国のウェブサイトに掲載された写真によると、西安では「中国にとって最も大事なことは日本を滅ぼすこと」と書いたプラカードを掲げた若者らがトラックに乗って中国旗を振り回し、別のトラックには「中日断交を強烈に要求する」との張り紙が掛けられていた。(共同)



中国は厳しいっす。
こんな一連の動きを見て感じたのが、中国を騒がせて一番喜んでいるのは戦争屋のユダヤ人辺りかな、と言うこと。これを機に日本人にも危機意識を持たせて武装させようとアメリカが企んでいる可能性も大きいと思った。日本国憲法の改正手続に関する法律も施行されちゃったし、あとは国民意識を操作して、憲法九条を改正するまでですね、はっきり言っちゃって申し訳ないんだけど。

中央大学の研究会で、アメリカ政府と防衛上の共同開発で提携している三菱重工の研究者とか、自衛隊関係者も、アメリカの日本に対する期待の大きさを語っていたけれど、中国人も台湾人も喜ぶ「日本は厳密な意味で独立国家では無い」の見解に賛同するならば、アメリカの指示に従って日本も「強調的軍事力」を保持させられる羽目になるのかなぁ、と思う。

人間は変わり易い。どんなに優しい人でも、過酷なイジメに遭えば仕返しをしたいと思えて来るだろうし、果たして日本が「殴られても蹴られても、例え殺されてでも殴り返さないのが真の強さであり正義である」と言い続けられるのかどうか。台湾人が熱心に日本の弱さをreechoに教えてくれるのだけれど、「過去の残虐行為を反省し、日本が二度と武装することが無いように」と台湾人から注意されれば注意されるほど、ひねくれ者のreechoはこれに逆らいたくなって、困っちゃうんだよね本当に。果たしてどんな悪人に攻撃されても殺されても平然と「非暴力」を貫けるのかどうか。弱い自分を守る為には、武力を保持して脅す方が楽だから、と、自ら自分の利益を守る道を選ぶのではあるまいか。果たして親分の、と言うか、実質的には日本の実権を握っているっぽいアメリカから協力を求められても知らん顔を貫けるのかどうか。「過去の残虐行為を反省し、二度と他国を攻撃したり従えたりするべきでは無い」と言い続け、死ぬまで軍事力の保持に反対出来る主権(市民)が、日本にどれだけいるのか疑問である。

台湾では、国民党の反日教育と言論統制のお陰で、南京大虐殺・三光作戦・731部隊等の非人道的な中国人虐殺と植民地支配ばかりが知られていて、未だに大陸よりも日本の方がずっと危険で残虐だと思っている人が多い。確かに、帝国主義支配拡大の為に日本は無茶なことをやり過ぎて来たし、戦後の補償がゼロだった台湾人の被害は、心理的にも計り知れないものだった筈である。他国民を殺しただけでなく、第二次世界大戦ではおびただしい数の自国民を玉砕させたりしていて、無駄に人を殺し過ぎる日本政府が再び戻って来るのではないか、と台湾人も日本を非常に危険視しているらしい。あなたもまた暴力を振るって威張りたいんですか?残虐行為によって他国を服従させたいんですか?そんなこと絶対に許せませんね!と台湾人からしつこく言われると、はいそうですね、日本は二度と軍事力を保持せず、ヘタレ続けなければなりませんね、と返事をしておかなければ話が収まらないのである。

腰抜けヘタレおとなしく中国に滅ぼされるべしと言われても逆上せず、本当に日本が滅ぼされるまで冷静に大人しく中国に従い続ける我慢強さが、今の日本人に求められているのかな、とreechoは思う。日本には絶対に威張らせたく無い、強くなって欲しく無い、と切望する台湾人に叩かれ続けていると、余計に日本が強くなることを希望してしまうのだけれど。日本を刺激して怒らせないことが、日本を無意識にヘタレ続けさせる最も良い方法だと言うのに、どうして中国も台湾も日本を馬鹿にして怒らせて、軍事力の保持に賛同させようとするのか分かりませんね。日本がわざと中国を怒らせているとしても、裏で戦争屋さんがせっせとシナリオを書いていないことを祈るばかりです。

どうせ軍事力を保持したって中国には適わないんだから、諦めは早い方が税金の無駄遣いも少なく済むし、軍事費はどんどん削減するべきとも思われ。国民が危険にさらされても潔く腹を括って防衛を諦め、アメリカの誘いもきっぱり断り、平和維持活動にも参加せず、主権国家として憲法九条改正には全国民で反対し、ヘタレな日本をヘタレのまま愛し、ヘタレたまま死んで行くのが日本人として最も賢明かとも思う。平和憲法の維持が、日本にイジメられ続けて来た台湾人が将来中国人になった後に、最も安心出来るプレゼントになるのかな、と思いつつ……。

2010年10月13日水曜日

中国の恫喝と台湾人の高笑い


機械ダンス@YouTube

台湾人、何だかいやらしくて下賎な物が好きな人が多い。取締りが厳しい大陸と比べたら終わりなのだが。八田與一記念館の横にある噴水を見た際に、不謹慎にも男根をイメージして創ってないか?と思ってしまい。日本人があれを見せられると「思い起こせば、日本人って見境無くジャージャー出してたわよねぇ」みたいな、台湾人のあらぬ回想を連想してしまうのである。実際に見境無くあちこちでジャージャー噴射しまくっている男性を知らないと連想不可能だと思うのだけれど、残念ながら日本には見境無くやりたがる男性が多過ぎる。で、ひょっとすると、そんなことを露骨に連想させる台湾人も、申し訳無いけれどもやりたがって迷惑な感じがある。

八田與一の銅像はreechoの曽祖父が提案して作ったと聞いたことがあったけれども、台湾人とメールをやりとりする間に、歴史的事実がどうであれ、どうしてもそれだけは撤回して欲しいと思う様になった。何故なら、地べたにべったり座り込んで悩む棟梁の銅像を、まだ本人が生きている間に創るのはちょっと失礼じゃないかと思う様になり。上司を座り込ませて悩ませたいと言う欲望が無ければ、あんな姿で上司を放置させて置く訳が無いと思うのだ。今はちょっと高めの台に乗っているけれども、昔は本当に地べたに直接置かれていたのである。ずっと悩んでいれば?と言うからかいの意味を含まなかったら創れないと思うのだ。要するに、reechoは八田與一の悩む姿に喜んで、もっと悩ませたかった人間があの銅像を発案したと思うのだ。それは、日本人をからかいたがっている台湾人でなければ今のreechoは困るのである。

台湾人、日本人に親切だから親日的だと思っていると、なかなかそうとも言えず、いかんとも言いがたいわだかまりがあって困る。日本人から侮辱されて来たという悔しさから、日本人を凹ませようと頑張ることも多々見受けられ、仕事が無いとか短足だとか、直しようの無い相手の欠点をつついて優越感を得たがり、わざと失礼なことをして相手に屈辱を味わわせようとするのである。
上の軟体ダンスの映像は、烏山頭ダムの墓前祭で知り合った50代直前のおじさんが「見るに値する」と言って送り付けて来た物で。大学時代の親友と2人連れで墓前祭に来ていて、話しかけたら随分親切にしてくれたのだけれど、教科書に載っているから来たと言う親友は小学校の教員、本人は台湾政府の立法院で働いていて、@ly.gov.twのドメインでもって、仕事場の立法院から頻繁にreecho宛にメールを送って来る。上の機械ダンスの映像もそうなのだけれど、仕事の前後にそんなものを送信していて良いのか?と思ってしまう内容が多い。そこそこの有名私立大学を卒業しているのに知的センスを全く感じさせないメールばかりで、台湾でそこそこでも人口の少なさを考えるとそんなものなのかと思わされたり。

それで、最も困るのが自己愛の強さである。中国と一緒に日本を攻撃して大満足しているのを見るのも日本人としては不愉快で。尖閣諸島問題について質問したら、中国が戦争で用いる打不打日本就看三句話を紹介してくれる。
1.人不犯我、我不犯人。人若犯我、我必犯人。2.勿謂言之不預也 3.是可忍孰不可忍
この三つ目が出たら必ず戦争勃発という話で、今回は二番目の最後通牒まで正式に発表されたそうだ。ここの変な日本語の説明を見ても中国語圏の人でないと読めないんじゃないかと思わされる内容で。日本人は言葉の意味も歴史的背景も分からないけれど、中国人はこれを聞くと反射的に戦争の準備をするらしい。


「日本製品に支払った金は、中国を攻撃する為の兵器に変わる」と警戒して、日頃から日本製品の不買活動を行っている中国人だけでは無く、尖閣諸島付近での衝突事故は、一般の中国人も戦争の発令を警戒する事態に発展していたらしい。中国人がこの様に戦争を意識しているところを見れば、日本人はなおさら「中国に流れたお金は日本を攻撃する兵器に変わる」と覚悟するべきだけれども。日本人は疑い方が足らず、日本は安全だと思い込んでいる節もある。

立法院のおじさん、「三句話」と同時に、"以下是日本《21戰略週刊》近日刊發的日本著名評論家小野洋雄關於東海問題的一篇關於東海問題的分析文章,"で始まる「日本で著名な評論家、小野洋雄の文章」を紹介してくれる。作り話だなんて思っていなかったらしいけれど、調べて見るとそんな評論家は日本に存在しないし、《21戰略週刊》なんて言う書物も見当たらない。
繁体字と簡体字を使う人の数も違い過ぎるけれど、とりあえず繁体字版簡体字版共に配布数が多い。reechoの憶測では、日本を妬む台湾人が、日本をさげすんで満足する為に日本人になりすまして書いた可能性もあるんじゃないかと思う。2010年9月14日から連日複数の配布が始まっていて、わずか1日とは言え簡体字が先でも、繁体字では2009年5月には既に存在したことが確認出来る。
小野洋雄さん、中国語圏内では物凄い人気で、台湾では教養のある台湾人も「自分の意見を表現している」と言って満足し、わざわざ日本人のreechoに紹介して寄こすし。中国人及び台湾人は「日本は厳密な意味では独立国家では無い」と日本人に言わせて流布し、皆にそれが真実だと思わせたいらしい。自分に都合が良い情報ならば、皆が皆闇雲に信じたがるのも性質が悪い。自尊心を満たす為に、日本人に対しても、日本人が自虐的に自国を蔑んでいる物を見せて「これが真っ当だからお前も従え」と言うのである。

ちょっと行き過ぎた考えだと思うけれども、嘘をついてでも無理やり相手をこき下ろして謙遜させるのが台湾人のやり方と見え。台湾人以上に下賎に考えを進めているreechoは、自虐的に悩み込む八田與一像を創ったのはやっぱり台湾人だと思うし、八田與一を地面に座らせて見下し、どうしても困らせて喜びたがっていたのも台湾人であったに違いないと思いたいのである。

2010年10月10日日曜日

検索エラー

中国、「ノーベル平和賞」のネット検索を遮断
2010.10.09 Sat posted at: 09:59 JST

北京(CNN) 2010年のノーベル平和賞の発表に世界中のマスコミが沸く中、受賞した中国人活動家、劉暁波氏の母国である中国の当局は、公の場から劉氏の名前を抹消しようと奔走している。

例えば、中国の検索エンジンで「劉暁波」または「ノーベル平和賞」と入力しリターンキーを押すとエラーメッセージが表示される。

また中国当局は、CNNなどの海外メディアによる劉氏に関する報道も遮断した。そのため、中国の一般市民が劉氏の平和賞受賞のニュースに触れたのは、中国外務省の平和賞に関する短い声明が報じられたときだけだ。同省は声明の中で、ノーベル賞委員会が平和賞の受賞者に服役中の反体制派である劉氏を選んだことについて「平和賞を汚す行為」と批判した。

しかし、中国のニュース視聴者にとって今回のような報道管制は決してめずらしいことではない。中国政府は情報統制の一環として、長年フェースブックやユーチューブなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)や海外ブログサービスを遮断してきた。

また今年はじめには、ネット検閲をめぐり中国政府とグーグルが対立し、グーグルが中国国内の検索トラフィックを香港にリダイレクトする事態に発展した。

中国では世界最大規模の人員を投入して4億人を超えるネットユーザーの行動を監視していると言われる。この大規模なフィルタリングシステムは、不満を抱くネット市民の間で「中国のグレートファイアウォール(防火長城)」と呼ばれている。
(c) 2010 Cable News Network.


らしい。日本でもお上に都合の悪い情報は全て抹消される傾向があって、中国ばかりを責められないとは思う。上下関係と人の和を大切にする几帳面な日本人が、常識外れな人間をイジメ出したらこれまた徹底的で。規格通りでないとOutという徹底した厳格さが、正確&精密な世界一の製品作りに生かされたのだと思うけれど、あいにく人は機械じゃ無いのでね。思い通りに動くとは限らないのですよ。中国は日本に比べるとやたらに乱暴で派手で比較出来ないのだけれど、日本も怖いことでは同じだと思う。しかしながら何でも簡単に消しちゃうんですね中国さん、凄いです。
色々ニュースを拾ってみたところ、発表当日までノーベル平和賞の最有力候補は胡佳()だったらしい。結局受賞したのは獄中の受刑者で。劉暁波氏に対する判決については、引退した中国共産党幹部等が連名で共産党当局に抗議していたらしい。当局に都合の悪い人物は直ぐに軟禁状態になるらしく。劉暁波氏の獄中手記は何やら当局の「やらせ」とも見られる様で、人道的処置を宣伝したい当局に利用されているんじゃないかとか、色々な噂があるらしい。

中国の内部でも相当の軋轢が生じている様で、これを見ると、元総書記の秘書(鲍彤)が、中国政府の価値観は国際社会の価値観と違い過ぎて話に成らないと思わせるだろうけれども、中国は人民の自己責任と努力によって民主化に向かうべきだとか言っている。政府が無責任過ぎて笑ってしまい。それで情報統制しているのだから世話は無く、弾圧しながら人民が自主的に中国を民主化しなければならないとか、人民をおちょくるのもいい加減にして欲しい。徹底的にイジメながら密かに民主化を奨励しているとか言う矛盾を見ると、外側から見る中国はやっぱりごく一部に過ぎないのかなぁ~と思わされる。嘘が上手いのも困りもので、民主化運動に警戒しながら実は共産党内部では確実に民主化に向けて動き出しているのか、いつまで見かけ上の弾圧を続けるつもりなのか、政治改革がどのように表面化し得るのか楽しみではある。

2010年10月8日金曜日

劉暁波氏Nobel平和賞受賞

ノルウェーのノーベル賞委員会が劉暁波氏をノーベル平和賞に選出、亡命せずに超危険な中国に居残って投獄されている人を選ぶなんて大胆な選択だったと思う。中国からの圧力も考慮しつつ、明らかに世界中から中国の独裁を非難させることを狙ってのことと思われ。どうかこれを期に、世界中で中国の非人道的制裁を非難して頂きたい。

もう2年も前の映像になるけれど、新唐人電視台にて、カナダの弁護士が中国人の亡命について語っている。コメディ映画の『非诚勿扰』でも、「友人をアメリカで亡命出来ないように工面したら、帰国した後に家庭内暴力を苦に自殺してしまった」と言って主人公が泣くのだが。中国には物凄い数の亡命希望者がいる様で、国家の暴力でどれだけの人が命を落としているか、考えると恐ろしくなる。reechoのBlogでしょっちゅう登場する台湾人(日本の帝国主義を憎んでいる約一名)も、reechoへのメールで、民主的な台湾と中国の交流が盛んになれば中国が混乱して民主化に向かう筈だと言うのだが。台湾へ圧力を掛ける以前に中国にはとっとと民主化してもらいたいと思う。
三个月成为美国公民不是梦!(三ヶ月でアメリカ人になるのも夢では無い!)---これも亡命指南なのか、非人道的国家から逃げる方法を教えていたりする。逃げたい人は莫大な数に上る筈で。まだ亡命していない中国国籍の中国人をノーベル平和賞に選出した理由も何だか分かる様な気がした。世界中が中国からの亡命者で溢れ返ってしまうのも困るからねぇ、って、それは厭味デシタ。

日本の新聞記事は直ぐに消えてしまうのでコピペしておくことにする。

中国指導部に大きな試練 劉暁波氏のノーベル平和賞受賞
2010.10.8 18:23

 【北京=伊藤正】ノルウェー・ノーベル賞委員会が、中国の反体制作家、劉暁波氏にノーベル平和賞授与を決めた背景には、中国が経済発展の陰で、国民の民主的権利を抑圧しているとの国際的批判の高まりがある。中国政府は「内政干渉」と反発するだろうが、国内でも政治改革への圧力が強まる中、中国指導部は劉氏受賞への対応に苦慮しているとみられる。

 劉暁波氏が平和賞の有力候補と伝わった後、ある中国の知識人は「もし受賞すれば、共産党のおかげだな」と話した。劉氏に対する懲役11年の判決には、世界各国から批判と抗議の声が上がり、劉氏は一党独裁体制の犠牲者、民主化運動の殉教者として同情と共感を集めたからだ。

 1970年代末に改革・開放に転じて以来、中国は経済発展のために、対外開放路線を取り、国際化を進める一方、党に対抗する言論や活動は弾圧し続けた。改革・開放開始直後の79年、一党独裁を批判した魏京生氏を懲役15年に処したのに始まり、89年には、民主化運動を武力鎮圧した天安門事件が起こった。

 魏氏に適用された「反革命宣伝扇動罪」は、97年の刑法改正で国家政権転覆扇動罪と名称を変え、今回の劉暁波氏の罪名になったが、党批判を封じ込める本質は不変だ。弾圧は、言論にとどまらず、党の意に沿わない宗教活動や人権擁護運動にまで及んだ。

 中国の民主的権利や人権の抑圧には、欧米諸国、特に米国が批判し、改善を要求してきた。中国は、公式には「内政問題」として突っぱねる一方、天安門事件の政治犯を「病気治療」の名目で出国させるなど圧力を交わす取引に応じた。

 しかし中国が経済大国化し、発言力を増した近年は、欧米の対中圧力は著しく弱まった。昨年春以降、訪中した米国のペロシ下院議長やクリントン国務長官は人権問題に触れず、中国の知識人層を失望させた。11月に訪中したオバマ大統領も同様で、その翌月、劉暁波氏に重刑判決が出た。

 劉氏へのノーベル賞授与が、中国の民主化や人権問題への国際的関心を高めるのは間違いない。それは中国が軍事拡張を続け、北朝鮮やミャンマーなどの独裁政権と親密な関係を築いていることへの懸念も背景になっている。

 中国は天安門事件後、一党独裁下で、経済は急成長したが、同時にさまざまな矛盾が噴出、社会には不満が充満している。市場経済化に見合った政治改革が停滞し、少数の特権階層が果実を独占する腐敗構造が形成された結果である。

 中国指導部は社会各層から政治改革の圧力を受けており、「08憲章」で一つの方向を示した劉暁波氏の影響力を恐れたのが重刑を科した理由だった。その劉氏の受賞が国内に与える影響は、徐々に大きくなっていく可能性が高い。

 1984年のロサンゼルス五輪で中国選手が金メダル1号を獲得したとき「ゼロの突破」と国中がわいた。ノーベル賞も中国の悲願だが、今回の「ゼロの突破」は国内報道も規制されるだろう。

 経済はじめ多くの分野で国際標準化しながら、普遍的価値観を拒絶する中国を「異形の大国」と表現したのは、ある改革派の知識人だ。劉氏の受賞にどう対応するかは、内政問題も絡み中国指導部の試練になりつつある。
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てゆーか、前出の映像にもあるのだけれど、アメリカに亡命した法輪功信者にまで弾圧を加えたりしていて、中国の魔の手は何処へでも伸びて行くらしくて怖いねぃ……。内政干渉などと勝手なことを言わさずに、中国政府の強行と言うか独裁を、世界中で干渉&攻撃しなきゃいけないと思う。

2010年10月2日土曜日

Blackmail

予めreechoが自分の家の前を通ると分かれば、わざわざ見える場所に出て、reechoをじっと睨み続ける人がいる。警告のつもりなのか、人によってはわざわざ通行の邪魔をしようと頑張る人も多い。reechoと仲良くしようとする人は苛められるのが関の山。この近辺は付き合いが狭くて執着気質、ついでに時間に余裕がある人が多いので、そんな念入りな嫌がらせにも熱心になれるのである。reechoが「こんにちは」と挨拶すれば無視するか、少なくともreechoに挨拶することが間違いだと言いたげに馬鹿にした態度を取る人が多い。皆で偶発的に嫌がらせをすれば法律的に問題になり得ないから大丈夫だと思って堂々と嫌がらせをする人が多い。そんな一般市民とは裏腹に、昨日は車に乗った警察官が満面の笑みでreechoを見つめてくれて厭味に見えてしょうがなく。何か脅しに見えることをしたら法律に触れかねないので、「厭味な笑顔」の路線が安全なのだなと思って見た。嫌がられても法律に触れなければそれで問題無いのである。

男女の間柄であれば、相手から親切にされたら、もらえる物を全てもらって逃げれば良いと思う。借りた物の返却を求められたら「捨てた」と言えば良く、しつこく返却を求められたら「ストーカー」と言って警察に処理してもらえば良い。法律的に、別れた異性に対して物品の返却義務が無いならば、貰える物は全てもらって「さようなら」と言えば良く。律儀な日本人にはちょっと不向きな中国風と言うか朝鮮風なのだけれど、嘘であっても貰った物は「全部捨てた」と言えば触法行為にはならないのである。法律はいくらでも悪用することが可能で、これは異性からモテる人は大いに利用出来るんじゃないかと思う。逆にモテない人は、捨てられても食い逃げされても許せる相手以外からは、法律を悪用されないように注意するべきである。世の中は、倫理的にどう間違っていても、法律に触れない人間の勝ちである。
警察の警告にちなんでWikipediaを見ると。

海外
外交交渉などで暗黙の明示や先手を打ち、相手国を強請ったり屈服させたり言いがかりをつけたりすることにより、自国に有利な交渉を展開する際に使用される(一般市民が行えば脅迫となるであろう破壊活動、軍事的攻撃、殺害の予告も、国家やテロリストなどが行えば、どんなに理不尽で残酷なものであっても脅迫ではなく警告とみなすマスメディアが殆どである)。

とある。「強請ったり」ってどう読むのか分からず検索したら、「ねだったり・ゆすったり・たかったり・せびったり」と読めるらしい。ラ行四段活用のみで現在は使われない「もがる(強請る)」もある。ただでさえ日本語は異読が多いのに当て字で読まされてしまうのもちょっとなんだか。
ともあれ国家が行えば脅迫でも警告(warning日本語だけ?)と表現されるそうだ。たとえ合法であっても、先手を打って恐喝した者だけが得をするのはどうもいただけない。皆が皆、法に触れない範囲なら人を脅して従わせようと頑張ってしまうではないか。

一週間ほど前に、帝国主義を嫌う台湾人から
最近中國與日本的關係非常緊張 希望大家都能平安~ 在日本有因為釣魚台的事情讓日本很困腦嗎? 釣魚台本來就屬於台灣為何是中國跟日本在搶奪呢?「最近中国と日本の関係がひどく緊張しているけど皆さんが平穏無事でいられることを希望しますよ~。日本では尖閣諸島のことで悩んでいるんですか?尖閣諸島は、本来は台湾の物なのにどうして日本は中国と奪い合っているんですか?」というe-mailが届いた。(上記について、電子メール公開の違法性を鑑み、遠慮無く告訴して頂きたい。ついでに台湾人から猥褻メールを送られた際に性騷擾防止法で告訴する方法等、自分自身が被害者になった場合の対処方法を研究させて頂きたいところ。)←2010年10月3日追加
全体を通じて大陸の肩を持っている様子で、凶暴な中国と平穏無事に向き合えなんて言うのも腹立たしかったんだけれど。確かに台湾人から見ると釣魚台は台湾の領土で中国は関係無いと思えるらしい。反日感情を高める為に、台湾政府が尖閣諸島は台湾の領土だと大々的に報道して国民を煽っている成果である。尖閣諸島の前に台湾本土が中国の領土では無いことを主張すべきだと思うが。それは台湾が独立国家として中国政府からの離脱を主張することで、大陸からの「警告」が大変危険であるから慎まなければならないらしい。それで台湾人は何故日本人に対して、釣魚台は台湾の領土だと主張できるのか、日本が恐いから日本を攻撃するのは慎まなければならないと言える人がいたら教えて欲しいス。マジで。

独立するなら武力行使も辞さない、と言う中国、益々強大化する軍事力&非人道的制裁を放置してはならないと言うのに、日本アメリカその他大多数の国々では、中国との国交を大切にして中国を尊重し、中国の言いなりになって台湾を国家と見做さずそのまま見捨てるつもりらしい。独立した政府を持つ台湾を、日本が国家と認めない根拠となっているのが日中共同声明の(二)と(三)
(二)日本国政府承认中华人民共和国政府是中国的唯一合法政府。
訳:日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
(三)中华人民共和国政府重申:台湾是中华人民共和国领土不可分割的一部分。日本国政府充分理解和尊重中国政府的这一立场,并坚持遵循波茨坦公告第八条的立场。
訳:中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。

で、ポツダム宣言第八項に基づく立場とは「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」だそうである。ついでに最新判例によると、「国際法上条約としての性格を有することが明らかな日中平和友好条約において,日中共同声明に示された諸原則を厳格に遵守する旨が確認されたことにより,日中共同声明5項の内容が日本国においても条約としての法規範性を獲得したというべき」らしく、声明が法律としての効力を発揮していることが確認される。他の項についても同様に法的拘束力を持つならば、日本は中国の立場を十分理解し、尊重し、台湾を中国の領土と見做さなければならず。どんなに凶悪な国家と調印した声明であっても法律として機能している以上、正当な民主国家である台湾を国家と見做すことが許されないのである。(この段落は10月3日に大幅に変更を加えた。reechoも知らないことが多かったので。)国家間の取り決めで国民が蔑ろにされるのは、何も台湾に限ったことでは無く、民主主義とは名ばかりの、お上の為に動くことしか許されない封建主義&独裁の傾向がまだまだ強い日本でも多く見られると思う。戦争は、まだ終わっていないのである。国家の利益の為に国民が蔑ろにされるのは、中国・台湾でも顕著で、国家の都合で国民が翻弄されるのは甚だ迷惑だと思う。

中国の警告は、しばしば非人道的脅迫によって行われる。従わなければ危ないから皆が従う、強いから許される、と言う中国の現状を、諸外国及び中国国内の人々はどこまで許し続けるつもりなのか。暴走し続ける中国を脅迫して従わせられる国が無ければ、中国はどこまででも暴走を続けるんじゃないかと思う。
blackmailとは、法律用語で「恐喝で得た金品」の意味らしい。(goo辞書)
非人道的措置によって得をし過ぎている国を戒めるには、他国が一同に協力して、合法的に警告及び恐喝する方法を真面目に考えておく必要があるかも知れない。周りを見てみると、被害を受けそうな人こそが懸命に強請る(1 異議を申し立てる。逆らう。 2 言いがかりをつけて金品をねだる。ゆする。たかる。)ことを、日本政府が奨励している節もある。reechoも権力者による都合の良い警告・恐喝及び人権の略奪に負けず、自分自身が合法的に警告する術を学ばなければならないと思う。
例えば世界を牛耳ると言われるユダヤ人にしても、恐れられる工夫によって権力を得たのであり。脅せない人間は馬鹿にされるだけだから、馬鹿にされたくなければ巧妙に執拗に、そして合法的に脅すことが大切で。尊重されるって、そんなにたやすいことでは無いのである。