2009年8月8日土曜日

先祖のたたり

祖父の葬儀の時に、「亡くなった直後よりも、暫くしてからの方が辛くなってくる」と言っていた人がいた。確かに、死を悲しんでいる余裕の無い葬儀前後よりも、居なくなったことを日々実感している今の方が悲しい。しかし、祖母は相変わらず祖父の遺影を見ながら遺影に向かって心穏やかに語り掛けていて、単なる痴呆もあるけれども、毎日生前の表情そのままの遺影を見て、安堵しているように見える。たとえ実際には居なくても、丁度そこにいるように思えたらそれだけで心が落ち着くらしい。生前は祖父が自分の思い通りに動かないといって不満を溜めていたが、今は自分の手中に納まったと思っているのか。

で、自分の遺影ならどんなのが良いか。どんな表情だったら家族が安心するか考えた。自分で写真を見比べて見ても、一体どれが普段の自然な表情なのかが分からない。自分で自分の表情を見られるのは鏡を見ている時だけで、意外と自分の表情が分かっていないらしい。写真を撮る度に表情がコロコロ変わるのも問題だし、それ以前に引き伸ばして見せられるまともな写真が無い。きちんと撮影してもらわないのも悪いけれども、ともかく十数年前にネガ付きで撮影してもらった物を切り取って見た。


この不用意な表情、私が韓国の有名俳優の中で最も不細工だと思っているイ・ビョンホンに似ている気がして不愉快だ。あの俳優に人気があるのが全く理解出来ないのだが、イ・ビョンホンを異常なまでに嫌悪するのはひょっとすると間接的な自己嫌悪なのかも知れないと思ったりした。我侭でいい加減な奴に見えると言うか、毎回写真を撮る度に豹変し、別人の様に変わるのも落ち着かず、表情に一貫性が無いのが我慢出来ない。聞くところによると、私の父の祖父に当たる人間が、生涯に渡って口が裂けても出生を明かさなかった流れ者であったとか。草鞋一足担いで何処からとも無くやって来て、一代で成り上がってしまったらしいが、私はそれが朝鮮人だったに違いないと思っている。朝鮮人、日本人よりも騙したり引っ掛けたりするのが上手い。この流れ者以外は悉く正真正銘の日本民族で、自分自身純粋の日本人家庭に育ちながら、人間的にかなりの隔たりを感じるのは、1/8とは言えやはり朝鮮人の血が入っているからだと思う。

そう言えば、祖父が脳梗塞で倒れたのは韓国の前大統領が山中で投身自殺した日だった。祖父には朝鮮民族の血が一滴も入っていないが、ともかく裏が無くて騙され易い人だった。

韓国では、法事をするのが嫌でキリスト教徒になる人も多いらしい。日本で常識的に行われる四九日の法事もかっサボった私の場合、韓国に生きていたら間違い無くキリスト教徒になっていただろうと思う。

~NHKのニュース記事の引用(らしい)からコピペ~
2008/09/24(水) 23:31:05 ID:???
法事怠った妻 離婚認める判決

先祖を敬う伝統が根強く残っている韓国で、妻が夫の実家の法事を
きちんと行わなかったのは離婚の理由に当たるとする判決があり、
韓国社会に波紋を広げています。

この裁判は、53歳の男性が48歳の妻を相手取って起こしていたものです。
裁判で、原告の夫は、妻が法事の準備をせず、法事の日に実家に帰ったり
外出したりしていたなどとして、妻との離婚を認めるよう求めていました。
これに対し妻側は、夫の家では法事が1年に12回もあり、準備をしなかった
からといって離婚の理由には当たらないと主張していました。

プサンの地方裁判所は22日、「婚姻関係が破たんしたのは、妻が夫の家の
法事をきちんと行わず、夫の両親を大切にしなかったからだ」として、
離婚請求を認める判決を言い渡しました。

儒教の影響が強く残っている韓国では、「チェサ」と呼ばれる法事が重要視
されており、旧正月や「チュソク」と呼ばれる旧盆、それに祖父母などの
月命日には、長男の家に親族全員が集まって、祭壇に供え物をし、先祖の
霊を敬うしきたりになっています。こうした法事の準備は、長男の嫁が行うのが
通例のため、女性の負担が大きく、最近は法事の回数を減らしたり簡素に
したりする傾向にあります。裁判所が法事を怠ったことを離婚の理由として
認めたのは珍しいケースだということで、女性団体が「女性の人権を無視し、
時代に逆行した判決だ」と反発するなど、韓国社会に波紋を広げています。


ここまで知っときゃ韓国通:スペースアルク
韓国では年に12回の法事というのは常識的で、それを怠るのも問題らしい。長男の5代前までの先祖の命日で計10回、それに旧正月とお盆(新暦の9/15頃)を合わせて12回、考えてみれば当たり前の回数になるが、しかし。女ばかりが法事の準備に追われるんじゃ、サボりたくなるわな、そりゃ。

ついでに、韓国の歴史認識が薄れないのはこの法事(제사)に因るところも大きいと思った。毎年、日本に苦しめられた先祖に手を合わせ、辛かったろうに苦しかったろうに、日本が悪くて悲惨な目に遭ったこの恨み永久に忘れまじ、と延々やっていられたんじゃかなわない。韓国人全員キリスト教徒になるか、法事の簡素化を徹底するとか廃止してくれれば嬉しいねぃ。法事をしたくないからキリスト教徒になったなんてとても言えないだろうけど、かなりの人が既にキリスト教徒なんだっしょ。77回忌法要を怠った私としては、先祖のたたりがあっても知らんぶりと言うことで決着??

2009年6月24日水曜日

帰って来た祖父

病院にいる時から「一時退院出来ますか現在」と書き続けていた祖父、結局死ぬまで病院から出られずじまいになってしまった。医療費・介護費、その他諸々の公的費用(年金含む)削減の為&退院後に家庭に訪問出来る医師不足で、負担になる人々を減らそうと、行政機関と病院が連携して老人減らしをしているのではないかと思ってしまった程である。誰も「病院で責任持って殺します」とは言わないが、そういう雰囲気が感じられ、そりゃ私の勝手な思い違いであって欲しいけどねぇ、勿論。


死ぬ前に葬式の準備なんて滅相も無いと思われるだろうけれども、特に家族から感謝されたのは祖父の遺影写真だった。死んだ本人は自分が見る訳では無いからどうでも良いかも知れないが、良い写真が飾れないと家族が寂しいのである。祖父が元気な頃に、家族で一枚綺麗な写真を残したいから、プロにお願いして記念写真を撮りたいとお願いしたことがあるが、どうせ遺影にしたいに決まっている、不謹慎極まりないと言って却下された。それからも何度も祖父の写真を残そうと試みたが、カメラを見ればうつむいたり横を向いたりで真正面からの写真を撮らせないように努力していたのである。そんな訳で、不自然に真正面を凝視した免許証以外には、本人が承諾の上で正面から写した写真が見当たらず。それで、私が本人に無断で作成した遺影がこれである。写真の撮影を本人は承諾しておらず、祖父に言わせればうかつにも油断していた時に撮られてしまった顔が、勝手に紋付姿にくっ付いた物である。親戚のおじさんが「今頃『やられた!』って悔しがっているだろうね、」なんて笑って付き合ってくれたが、まさか下の写真が実物とは思うまい。やっぱり綺麗な写真は本人に承諾の上できちんと残しておくべきである。


我が家の台所で2007年1月15日撮影のもの。この世では良い服着ていなかったから、あの世ではきちんと良い服を着て生活していてもらいたい。骨になってしまった祖父に、お帰りなさい。そして、今までもこれからも、ずっとずっと宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m

2009年6月22日月曜日

祖父の葬式

昨日は、祖父の葬式だった。私が喪主を務めた為に、普通ではあり得ない葬儀になった。お通夜からイズモ葬祭のセレモニーホールを借りたのだが、喫煙所は要らないと言ったらそれまでホールの入り口付近に当たり前の様にあった喫煙所が突然撤去され、無料で麦茶・緑茶等が飲めるコーナーに変わっていた。すげえ早業。それとも私が頼む前から既にそんなサービスがあったのか……?
それから、火葬場での昼食(そうそう)から夕食(おたいや)まで一時間も無く、むやみに腹が満ち過ぎるという理由で、精進落とし(家の近辺では『おたいや』とも呼ぶ)をやらずに火葬場で解散することにした。遺体が焼かれて空しい思いをしている時に大量の料理を腹に詰め込む理由は無いと思ったし、死者が出た時くらい、しばらく精進したって良いじゃないのか、と。
それから、忘れっぽい私が忘れたくないという理由で、母の知り合いに葬儀の写真撮影をお願いし、沢山写真を撮ってもらうことにした。イズモ葬祭でも葬儀のアルバム作成サービスを2万4千円弱で紹介していたが、高いと言う理由で断ってしまった。全部私に撮らせて欲しい!と思ったが、喪主がカメラを持って葬儀場内を走り回るのは不謹慎だと言われ、「大人しく喪主に徹しなさい」と言うことだった。だが。しかし。カメラを頼んだ人があまりにも大人しく、遠慮してシャッターを押さないので、その人のカメラをふんだくって自分でシャッターを切ったりし。「何を考えているんだお前は!」と怒鳴られそうになりながら、どうやら自分は完全に喪主であることを忘れたかったらしいことに気が付いた。「お前がいなけりゃもっとマシな葬儀になっていたのに」という八方から突き刺さる視線を受けながら、無理してでも祖母か母が喪主になるべきだったと思ったのである。

それにつけても、私が撮影して良かったと思ったのが遺骨を掃く写真。ああ、人は、最後は骨を掃かれてしまうのかと無常を感じた。大腿骨が立派に残っていたと皆が感動していたが、そんな祖父でも最後は塵を掃かれているのである。やっぱ、葬儀場でカメラを回すのはアウトなんですかね。祖父の大腿骨の写真を残しておきたかったと切実に思う次第である。

最後まで逞しかった祖父に、ありがとう。





2009年5月29日金曜日

祖父の入院



それまで元気に日常生活を送り、車の運転までしていた祖父が、5月23日の昼食時に脳梗塞を起こして左半身が不自由になり、救急車で運ばれ入院した。自家用車で病院まで搬送出来るだろうかと考えたりもしたが、さすがに意識が朦朧とした祖父を一人で担いで自家用車に乗せる自信は無かった。自分で動かして何か問題が発生するより救急車に頼もうと思い立って119番した。


救急車で同行し、30分弱病院の待合室で待たされると、裸にされて点滴を付けられた祖父が救急室から出てきた。救急室では、「命に別状があります。」と医者からきっぱり言われた。死の危険があると言われても、分からないのである。「上で詳しい説明を」と言われても、医者が何を言っているのか全く聞き取れず、何度も聞き返しても頭に残らず自分でも焦った。


苦しそうに時折痙攣している祖父を見ながら、「20分以内に家族を連れて来ますから」と看護婦さんに伝えて、病院から家まで歩いて自家用車で祖母と母を連れてまた病院へ行った。やはりそこでも死の危険があると言われた。それで、宿泊許可願いを出して祖父の隣にベッドを用意して夜中も付き添うことになった。基本的には完全看護体制の病院で、特に危篤の場合に付き添いが許可されるらしいのだが、確かにかなり危険な状態に見えた。夜中に頻繁に手足を痙攣させていた。熱があってマッサージしたら更に炎症を起こすのではないかと触るのも怖かった。脳梗塞で倒れた場合には24時間以内が勝負と言われているらしく、体をマッサージするなどをして刺激を与え、脳細胞の死を食い止める努力をする必要があったらしいのだが、何も分からず、ただ隣で眺めていただけだった。正直に言ってこれには今でも後悔している。


2日目の夜も、38.6度の熱が出ていた。体温調節が出来ず、息も絶え絶えで、本当に死ぬんじゃないかと心配した。けれども3日目の朝には「もう付き添いは必要ありません」と看護婦さんから告げられて驚いた。布団の貸し出し料金は300円で、洗濯室まで前払いに行かなければならないのだが、既に洗濯室は閉まっている土曜日の午後五時過ぎに看護婦さんにベッドを用意され、、翌日は日曜日で選択室が休みだし、翌々日(三日目の朝)にようやく支払いが完了した。心配なので個室の間はずっと夜も付き添って良いか、看護婦さんに聞いたら「良いです」と言ってもらえた。
それで安心していたら4日目に、それまで良かった脈拍が突然乱れ、心臓が苦しいと訴えて心臓付近に懸命にお守りを持って行くようになった。それまでは、「こんな物要らん」という強気のパフォーマンスで自分で勝手に脈拍測定器のコードを抜いてしまって困った程だが、そのようないたずらをすることもなくなり、息をするのに精一杯な状態になった。


もう駄目なのではないかと思って祖父の妹に電話した。近所の人にもあと2-3日ではないかと言って回った。その人々の反応がまた見事な物だった。まさか喜ばれるとは思っていなかったところが、嬉々としてはしゃぐ人が結構多かったのである。人の不幸は蜜の味といわれるけれども、そんなに嬉しそうな反応があるとは思いもよらず、人間は誰にでも殺人願望があるのではないかとすら思わされた。

私より幸せにならないで欲しい、みたいな、何か嫉妬に似た感情を抱く人が予想外に多かった。そのような感情を持たれない人であり続けたいけれども、人の不幸を喜ぶ人は、何をやっても不幸を喜び、やっぱり駄目なのだ。一見綺麗に見える人間関係がどれだけ醜いかが分かったような気もした。

親戚の一人は口を酸っぱくして「延命治療拒否の承諾書には必ずサインしなさい」と言い続けて他の話には全く耳を傾けないし、また一人は「連絡はお通夜になってからで良いから」だし、一人は「まあ、がんばって」と気の無い返事をするし、要するに皆頭にあるのは自分のことだけで他人の話を聞くのも面倒らしく、そうか、親戚の死なんて緒戦はそんなものなのかと考えさせられた。


5日目、親戚に電話しながらあまりにも心配になって泣く母を連れて朝早くから病院に行く。煩そうに振舞う看護婦さんに「面会は午後二時からですよね」と言ったら、当たり前だと言うように「基本はそうです」とおっしゃる。「心配ないから帰ろう」と私が促して帰り際に泣き出す母を見た看護婦さんが「でも心配だったらいてくださって良いですよ」と言われ、祖母と母を病院に置いて私は家に帰った。夜眠れなくて昼間に睡眠を取らなければこちらが倒れてしまう。

6日目の夜もまだ脈拍がおかしく、私も夜中に泣いていたのだが。翌日、つまり昨日の28日、なんと、脈拍が良くなってしまった。死ぬかと思ったら、もうリハビリを始めたらしいのである。お茶をゼリー状にして飲み込む練習もしていた。飲み込めないと家での食事が大変になるのである。胃に穴を開けて管を入れなければならないかどうかの問題である。寝返りを打つ練習も始めたようだ。それはもう目覚しい回復である。脈がこんなに良くなるとは想像だにしなかった。その夜28日(昨夜)は、私も夜の付き添いをせず、自宅で眠った。病院で眠らないで看病すれば疲れるに決まっていると思っていたのだが、意外にも祖父の看病が自分の元気になっていることを実感した。


毎日のようにお見舞いに来てくれる叔母が昨夜、祖父に雑誌を見せる様子。祖父の回復に、ありがとう。

2009年5月19日火曜日

アラレちゃんの歌

特技:「地球割り」と言う無機質なアラレちゃんの声にしては随分優しいと思ったら、声優さんとは別の人が歌っていたらしい。 歌:水森亜土 


http://www.youtube.com/watch?v=m-6v_9-Kn2A


http://www.youtube.com/watch?v=OLiku1IcPnM
 

2009年5月8日金曜日

Acala Vidyaraja (不动明王)

不動明王の慈救咒(じぐじゅ)の漢字表記を探していたところ、日本のホームページでなかなか無くて、やっと見つけたのがこちら。日本の漫画の孔雀王子で不動明王を初めて見て好きになったとか書いてますが。孔雀王子なんて知らんなぁ~。
Mantra of Compassionate Rescue 慈救咒為:

曩莫三曼多縛日羅赧(namah samanta vajranam,歸命普遍諸金剛)  のうまく さんまんだ ばざらだん
戰拏摩訶路灑拏(canda maha rosana,暴惡大忿怒)  せんだ まか ろしゃだ
薩頗吒也(sphataya,破壞)吽(hum,恐怖)  そわたや うん
怛羅迦 ( traka,堅固)  たらた
悍漫(ham mam,種子)  かん まん


……勝手に平仮名付けちゃいました。発音を示すだけだからどんな漢字を充てても構わないのか、いろんな漢字が見られるような気が……。

どうぞご一緒にお唱え下さい。
by 成田山

2009年3月25日水曜日

祝!新規登録

 韓国運営の某ブログサイトを実質上倉庫にして、Reecho's Blogを新規に立ち上げた。新規開設おめでとう。これでも真面目に探したんだな、多言語表示可能でDoblogの様に利用停止にならない長期耐久性のBlog、利用して見た感想としては以前のMSNみたいにアップロードした写真が勝手に縮小されないのが嬉しい。一遍にもっと沢山の写真がアップロード出来たら良いんだけど。100MBまで動画もアップロード出来るみたいだし、多国語表示可能で耐久性が期待できる&過去に遡って投稿可能なことにとりあえずは感謝。

 今度のBlogの目標:
●極端な誹謗中傷を慎む。
●やたらに著作権を侵害しない。

やっぱ削除を要求されない為にはこの目標は不可欠だと思う。後ろめたい気持ちで書き続けるのは気分が良くないし、出来れば誹謗中傷による反発にも怯えたくない。どう努力しても不満だらけのBlogになりそうな気はするけれども、中傷だらけにしないように努めたいと思う。いや~、でもやっぱ韓国の情報統制は北朝鮮よりはマシとは言ってもまだまだ厳しいね(冷汗)。