何度か死にそうな感じがして見て、物に同情するのも何だか変だけれども、今家に存在する資源を有効活用しないのは物に対して申し訳ないと思った。物質的には随分恵まれて来たけれども、reechoは全く恵まれていると感じたことが無く。他の人がどうだかは知らないけれど、少なくともreechoにとっては使って嬉しいものばかりでは無かった。自分には迷惑でも、他の人には有用なことも多い。捨てればごみ、生かせば資源、と言うことで、とりあえず近くの小学校に電話し、家にある本を寄贈出来ないか聞いて見た。reechoが申し出た書籍については、内容が難しくて利用価値が無いと言われ、次は中学校に電話した。電話に出た教頭先生に説明すると、美術の先生が使うかも知れないとおっしゃり、翌日カメラを首に提げた教頭先生と美術の先生が我が家までお越し下さった。記事⇒菊川西中学校
美術書も文学全集も全て母の持ち物である。祖母が出て来て「娘が金谷の奥にある中学校で勤めていた時に、給料で買い揃えたんですよ」と言ったら、へーえ、と言う顔をされていた。産休講師で1年足らずでやめたらしいけれど、母は明治の法学部出身ながら英語の教員をしていたそうだ。
家の中で不要になっている所有物の数々、使われずにごみになるのはやはり勿体無い。飾りになるならまだ良いが。以前から母と相談していてなかなか踏み切れずにいたピアノを、遂に意を決して売ることにした。減るのはreechoの持ち物じゃなくて母の持ち物ばかりというのが問題なんだが。浜松の冨田ピアノに査定してもらったら8万3千円で買取可能とのことで、本日、小笠原運送が取りに来て下さった。本当に想定外の8万3千円が手渡され。将来は船で中国大陸へ渡るのだろうか。我が家でごみ扱いされ続けるよりは、他の人に大切にされたらそれがピアノの幸せだと思う。新しい旅立ちを素直に喜びたい。
最後に祖母に弾いてもらった。もう弾けないと言いながら、昔小学校で音楽を教えていた86歳、その気になればまだまだ弾ける。母のアップライトが売られても、我が家にはまだ祖母のグランドピアノが一台残っている。戦前にアメリカから神戸に渡り、戦後に静岡の我が家へやって来たCHICAGO製のAPOLLOである。アップライトの向かい側で物置きになっていて、今日は運送業者のお兄さんが見て、YAMAHAじゃないね、と言っていたが。相当に詳しい人でないとメーカー名は分からないらしい。こちらはなかなか可愛い音が出て良いけれど、アップライトの方は聞けば聞くほど震え上がってしまい、reechoにとってはアレルゲンである。売る前に一度弾いたら?と母に誘われたけれども、結局ネコふんじゃったも弾かずにそのまま送り出した。何も名残惜しくは無く、YAMAHAの爆音系がどうしようもなく嫌いであったことを再確認した。reechoにとっては呪われたピアノだが、中国に行けばこの爆音が魔除けになると思われたりするのだろうか。母のピアノなので母は思い入れがある筈だけれど、無くなったら無くなったで、ピアノがあった場所が空いたことに大喜びしていた。今、この場のごみが価値を生み出せる場所へ渡り、大切にされることを祝いたい。☆