2009年5月29日金曜日

祖父の入院



それまで元気に日常生活を送り、車の運転までしていた祖父が、5月23日の昼食時に脳梗塞を起こして左半身が不自由になり、救急車で運ばれ入院した。自家用車で病院まで搬送出来るだろうかと考えたりもしたが、さすがに意識が朦朧とした祖父を一人で担いで自家用車に乗せる自信は無かった。自分で動かして何か問題が発生するより救急車に頼もうと思い立って119番した。


救急車で同行し、30分弱病院の待合室で待たされると、裸にされて点滴を付けられた祖父が救急室から出てきた。救急室では、「命に別状があります。」と医者からきっぱり言われた。死の危険があると言われても、分からないのである。「上で詳しい説明を」と言われても、医者が何を言っているのか全く聞き取れず、何度も聞き返しても頭に残らず自分でも焦った。


苦しそうに時折痙攣している祖父を見ながら、「20分以内に家族を連れて来ますから」と看護婦さんに伝えて、病院から家まで歩いて自家用車で祖母と母を連れてまた病院へ行った。やはりそこでも死の危険があると言われた。それで、宿泊許可願いを出して祖父の隣にベッドを用意して夜中も付き添うことになった。基本的には完全看護体制の病院で、特に危篤の場合に付き添いが許可されるらしいのだが、確かにかなり危険な状態に見えた。夜中に頻繁に手足を痙攣させていた。熱があってマッサージしたら更に炎症を起こすのではないかと触るのも怖かった。脳梗塞で倒れた場合には24時間以内が勝負と言われているらしく、体をマッサージするなどをして刺激を与え、脳細胞の死を食い止める努力をする必要があったらしいのだが、何も分からず、ただ隣で眺めていただけだった。正直に言ってこれには今でも後悔している。


2日目の夜も、38.6度の熱が出ていた。体温調節が出来ず、息も絶え絶えで、本当に死ぬんじゃないかと心配した。けれども3日目の朝には「もう付き添いは必要ありません」と看護婦さんから告げられて驚いた。布団の貸し出し料金は300円で、洗濯室まで前払いに行かなければならないのだが、既に洗濯室は閉まっている土曜日の午後五時過ぎに看護婦さんにベッドを用意され、、翌日は日曜日で選択室が休みだし、翌々日(三日目の朝)にようやく支払いが完了した。心配なので個室の間はずっと夜も付き添って良いか、看護婦さんに聞いたら「良いです」と言ってもらえた。
それで安心していたら4日目に、それまで良かった脈拍が突然乱れ、心臓が苦しいと訴えて心臓付近に懸命にお守りを持って行くようになった。それまでは、「こんな物要らん」という強気のパフォーマンスで自分で勝手に脈拍測定器のコードを抜いてしまって困った程だが、そのようないたずらをすることもなくなり、息をするのに精一杯な状態になった。


もう駄目なのではないかと思って祖父の妹に電話した。近所の人にもあと2-3日ではないかと言って回った。その人々の反応がまた見事な物だった。まさか喜ばれるとは思っていなかったところが、嬉々としてはしゃぐ人が結構多かったのである。人の不幸は蜜の味といわれるけれども、そんなに嬉しそうな反応があるとは思いもよらず、人間は誰にでも殺人願望があるのではないかとすら思わされた。

私より幸せにならないで欲しい、みたいな、何か嫉妬に似た感情を抱く人が予想外に多かった。そのような感情を持たれない人であり続けたいけれども、人の不幸を喜ぶ人は、何をやっても不幸を喜び、やっぱり駄目なのだ。一見綺麗に見える人間関係がどれだけ醜いかが分かったような気もした。

親戚の一人は口を酸っぱくして「延命治療拒否の承諾書には必ずサインしなさい」と言い続けて他の話には全く耳を傾けないし、また一人は「連絡はお通夜になってからで良いから」だし、一人は「まあ、がんばって」と気の無い返事をするし、要するに皆頭にあるのは自分のことだけで他人の話を聞くのも面倒らしく、そうか、親戚の死なんて緒戦はそんなものなのかと考えさせられた。


5日目、親戚に電話しながらあまりにも心配になって泣く母を連れて朝早くから病院に行く。煩そうに振舞う看護婦さんに「面会は午後二時からですよね」と言ったら、当たり前だと言うように「基本はそうです」とおっしゃる。「心配ないから帰ろう」と私が促して帰り際に泣き出す母を見た看護婦さんが「でも心配だったらいてくださって良いですよ」と言われ、祖母と母を病院に置いて私は家に帰った。夜眠れなくて昼間に睡眠を取らなければこちらが倒れてしまう。

6日目の夜もまだ脈拍がおかしく、私も夜中に泣いていたのだが。翌日、つまり昨日の28日、なんと、脈拍が良くなってしまった。死ぬかと思ったら、もうリハビリを始めたらしいのである。お茶をゼリー状にして飲み込む練習もしていた。飲み込めないと家での食事が大変になるのである。胃に穴を開けて管を入れなければならないかどうかの問題である。寝返りを打つ練習も始めたようだ。それはもう目覚しい回復である。脈がこんなに良くなるとは想像だにしなかった。その夜28日(昨夜)は、私も夜の付き添いをせず、自宅で眠った。病院で眠らないで看病すれば疲れるに決まっていると思っていたのだが、意外にも祖父の看病が自分の元気になっていることを実感した。


毎日のようにお見舞いに来てくれる叔母が昨夜、祖父に雑誌を見せる様子。祖父の回復に、ありがとう。

2009年5月19日火曜日

アラレちゃんの歌

特技:「地球割り」と言う無機質なアラレちゃんの声にしては随分優しいと思ったら、声優さんとは別の人が歌っていたらしい。 歌:水森亜土 


http://www.youtube.com/watch?v=m-6v_9-Kn2A


http://www.youtube.com/watch?v=OLiku1IcPnM
 

2009年5月8日金曜日

Acala Vidyaraja (不动明王)

不動明王の慈救咒(じぐじゅ)の漢字表記を探していたところ、日本のホームページでなかなか無くて、やっと見つけたのがこちら。日本の漫画の孔雀王子で不動明王を初めて見て好きになったとか書いてますが。孔雀王子なんて知らんなぁ~。
Mantra of Compassionate Rescue 慈救咒為:

曩莫三曼多縛日羅赧(namah samanta vajranam,歸命普遍諸金剛)  のうまく さんまんだ ばざらだん
戰拏摩訶路灑拏(canda maha rosana,暴惡大忿怒)  せんだ まか ろしゃだ
薩頗吒也(sphataya,破壞)吽(hum,恐怖)  そわたや うん
怛羅迦 ( traka,堅固)  たらた
悍漫(ham mam,種子)  かん まん


……勝手に平仮名付けちゃいました。発音を示すだけだからどんな漢字を充てても構わないのか、いろんな漢字が見られるような気が……。

どうぞご一緒にお唱え下さい。
by 成田山