2011年10月31日月曜日

森のくまさん

母から「小学生の工作みたいね~」と言われながら竹琴(chickin)を作っていたのだが、大量の竹にカビが生えてもう家の中に置いて置くのが困難な状態。焼くなり天日干しするして水気を飛ばさなければならないのだが、徹底的に干乾びなければカビるらしく、まだまだ全然乾燥が足らない。ってか、もうお手上げ。

それで、いっそ笛にしてしまえ、と秋祭りの笛の音が聞こえていた頃に横笛を作り始めたところ。作っている段階で音が合わせられないのは竹琴と同じながら、一音一音の為の労力(竹切り)が少なくて楽ちん。穴を大きくし過ぎたらセロハンテープを貼り付けて小さく出来るので誤って高くしちゃってもOK、枝を削り取るのも面倒なのでそのまんま。焼いて乾燥させるより青い方がみずみずしい音が出るので炙っていない。直ぐにカビるだろうけど。


後ろは土壁

試しにちょっと吹いてみた。竹をばっさり切った長さでそのまま「1(ド)」にしてしまうので、他の楽器とは合わせられない。3(ミ)がちょっと低いかな。ある程度穴の押さえ加減で高さの調節は出来るのだが、2と4を半音上げるのかどうか分からなくなっているところ、reechoは口のどもりと同様に「指のどもり」もあって、反射神経がプッツンするのでピアノも弾けないのである。「森のくまさん」は、非常に人懐こくて親切な朝鮮人が熊を慕って作っていると思われ、人懐こくてお節介で親切な熊ってば日本人はちょっと想像出来ません~。特に韓国人には人懐こい人が好かれる様な気がするが。reechoはどうも冷たく見える様で、人懐こいと思われたことは殆ど無いな……。

2011年10月29日土曜日

目くそ鼻くそ

唐人新闻の18人が無視中国人の良心はどこにを見た。メディアによって扱い方が違うのだが、猫や狸が轢かれていたって普通はもっとビビるだろうよ、と思った。reechoは(珍しく)幼い頃に読んだ「生きるんだポンちゃん」を思い出し、日本人ならタヌキでも助けると信じたかったが。中国では医療費が掛かり過ぎる為に放置され、中国へ行けば貴方もこうなりますよ、と言われている気がして、要するに中国へ行かせない様に脅したいのかと思ってしまった。

考えて見れば日本も似たり寄ったりで、reechoの祖父も財政的な理由で殺されたんじゃないかと思ったし。年寄りを生かして置くと財政を圧迫するから、はっきり言って(言わなくても)日本も薄情だからねぇ。金の為に人殺しってば、過去の日本が現在のアメリカ以上にエネルギー欲しさに大量に人を殺したことが知られているし、現在も、金に成るから原発に賛成し続けているのだし。エネルギーが欲しけりゃ自分が死んでくれれば?とか思われないのですかねぇ……。世界で最も地球資源を乱開発しているのも日本だし(注:人口1人当たりだよ)。日本人が全員死ねば30億人の飢えが救えるかもだから、少し日本が自粛したら?とか。

ウソも有りそうな「中国大崩壊」を最近読んだところ、日本政府が偽札づくりなんて書いてあるから驚いた。かつて日本政府が香港の造幣所を買収して刷りまくり、中国(特に上海)で買いたい放題だったことがあるとか。現在の中国政府も偽物同然の本物を刷りまくってインフレが止まらないらしい。政府関係者には、ざばざば札束が流れていて、日本を買い漁る人もいるんじゃないか、とか。金で人が動かせるならカネ刷れば良いだけ、てなお気楽な発想で派手にやっている気がする。人命よりカネを求めるのは日本人も同じと言ったら怒られそうだけれども、原発事故への反省が、全く無いんだよねぇ、日本人。死にそうでも放置、死んでいても放置、関わったらカネが奪われるだけだから関わらないと言う人々を馬鹿に出来ず。日本人は小心者が多いし、個々人は派手に悪さをしないから目立たないのだけれど、上が変わらなければ下が変わらないのも同じだし、同類、と言うことで、共に哀れむべきだと思った。殺されて無視される危険性は日本も中国も同程度に存在し、原発事故の恐い日本にいながら「中国だから危険」「中国だから非人道的」だなんて、reechoはちっとも思えないんだよね、これが。

2011年10月24日月曜日

馬鹿を実感

昨日は愛知大学の車道校舎まで行って来た。受験料+電車賃+駐輪料金+自治会奉仕活動の出不足料(休めば罰金二千円)の計17790円が飛んでしまった。受ける必要の無い試験ながら、うっかり間違えた箇所が悔しくてたまらず、もう一度受験したくてたまらない。

reechoの様に過去問を一題も解かずにいきなり本番と言う人もそんなに多くは無いんじゃないかと思うのだが、昨日の試験はアルクの日本語教師適正CHECK!をそのまま受けている感じのテストだった気がする。最後の記述式では日本語学習者の日本語クイズの序文ではないけれども、学習者の誤りを、学習者自身の希望に沿って全部指摘&訂正するか否かが問われ。何が最も学習者の為になるのか、実際に教えながら様子を見て考えられれば良いけれども、ともかく何の反応も無い「紙」を相手に悩まされた。リーマンショック以前に、reechoが資格無し&経験無しで採用された(のに行かなかった)広州の某日本語教室からは、「やりながら勉強すれば良いから知識も経験も何も要らない」と言われていたけれど、考えて見れば、みんなと相談します!やりながら修正します!で何が悪いのか、そもそも自分の考えなんて無いから書くことが分からない。もう何年も原稿用紙を見ておらず、一旦書き始めたら前の文章を訂正出来なくて困惑、冷静になれば直ぐに思い出せるのに焦っているとどちらがどちらだか思い出せず、理解の「解」の左側を全て中国語の角(下側が用)で書き、減点対象になるんじゃないかと後で悔やむ。慌てると右も左も分からなくなる性質はどうしても治したい。基礎的な知識ですら、と言うか、基礎的な知識ほど簡単に飛んできちんと定着しておらず、ひとつひとつの問題にいちいち悩まされて時間切れ。会話には瞬時の判断が不可欠で考え込んでいたら何も発言出来ないが、どうかゆっくりじっくり考える時間を下さい、って感じ。普段はたっぷり時間があって(ってかあり過ぎて)焦ることが無く、反射神経も瞬時の判断も求めらることは無い。幼い頃にテレビゲームなどで鍛えていれば良かったのかも知れないけれども、reechoは反射神経を必要とする細かい作業が超苦手である(スポーツでの球技は別次元ですから~)。紙に向かって集中力を持続させるにも慣れが必要で。試験は緊張と焦りの中で平常心を保つ訓練にもなるし、ドーパミンを放出して高揚するのも健康の為に良さげ(?)だし、一万五千円は勿体無いけれども、また極度の興奮と緊張を体験する為に挑戦出来れば嬉しい。

2011年10月10日月曜日

正確な常識

今日は10月10日、日本では「目の日」と言うことになっている。どうやら日本だけが取り決めているらしい。やっぱりreechoが悪人に見えてしょうがないと言う話が気になってしょうがない。reechoちゃんがお金欲しさに親の反対を押し切ってピアノを売っちゃったのでしょう?きっとお金の為にreechoちゃんはもっと悪いことをするんでしょう?とか。人に祖母の送迎を頼めばreechoちゃんが免許取り消しになる違反でもしたんじゃないの?とか。人の不幸は蜜の味、とは言うものの、こき下ろされるreechoが実際に悪ければ皆が納得して話が早い、と勢い悪事をでっち上げてreechoのせいにするのはどういう人間のやることか。ピアノに関しては、重過ぎて床が抜ける心配をする母の希望に準じたまでで、謙遜していちいち悪人ぶるreechoもreechoなのだが、ともかく悪い方向にしか噂は流れないものと思った方が良いらしい。干されるには干されるだけの理由が必要だから、と好き勝手に悪い噂を流すのはやめて貰いたいのだが。

reechoは再来週の10月23日に、日本語教育能力試験を受ける予定でいる。北京の社長から中国人の怖さを思い知らされ、他の中国人からも「中国へ逃げて来ないで欲しい」と散々ボイコットされ、もう中国に行く気を失った。先月は数十年に一度と言われる暴風雨の為、自宅の裏山の竹が屋根をバコバコに破壊してしまい(竹が水平状態にまで倒れ込んで屋根を殴り続け、瓦は屋根に土を乗せて置いてあるだけだから、竹に力一杯掃かれ続けて落ちまくり雨漏りも激しく)、reechoは翌々日から屋根から落ちる心配を顧みず(先日は実際に梯子さら2m転落したけれども怪我は無く安堵)屋根に上って補修作業をし、自分はずっとこの屋根を守れる様に頑張ると家族に誓った。家族はreechoに中国行きを思い留まらせた社長に感謝するだろうけれども、人生の目的が家を守ることだけになってしまい、日本語教育能力検定を受ける動機は無くなった。もう屋根からの転落やら癌やらで死ぬまでreechoは家を離れないだろうと思う。

けれども既に一万円で受験の申請を済ませ、受験票は届いたし、せっかく受けるなら少しは勉強しようかとも思う。試験当日、自治体の奉仕活動をサボることだけが受験動機になっている様な気もするが(なんたって田舎者は奉仕活動の為に生きてますからっ!そもそもreechoは非国民ならぬ非市民なのですっ!)、「何故なの?」と問われて「みんながそうしているから」としか答えられない非科学的&非論理的&非言語的な日本人からの脱却を試みるのも有意義ではないかと思う。日本人の「暗黙の了解」を分析&解説する作業はマジで大変である。日本語を客観的に解説する為の勉強を続けて行く間に、日本人がどれだけ説明に苦しむ厄介な習慣の中で生きているかが見えて来て、こんな七面倒な習慣を説明するなんて絶対に無理、と投げ出したい思いに駆られる。大して勉強していないから、どうせ受からない負け惜しみと捉えられても一向に構わないけれども、reechoに日本語教師は無理である。「そんなの常識です!」と何の説明も無しに頭ごなしに人を殴る日本人へのささやかな抵抗になれば、それだけで自分への慰めに成る気もするが。

台風の翌々日、村の大工さんに瓦屋さんを連れて来てもらい家の屋根の状態を見てもらったのだが、村の大工が引っ越せ引っ越せとやかましい。どうやら自分たちが改修工事を手掛けて耐震性を下げた家が人を殺すのが嫌らしい。裏山の木を全部切れとも言うが、専門業者に見積もってもらったところ、裏山の大木を一本切るだけで20万円は下らないと言う。クレーン車が入れず全て人力でやるからそのくらいは覚悟しろとのことである。崖崩れの防止だけで1千万円、安全性を確保するならば引っ越す方が安いことを大工が良く分かっているのだろう。しかし引越しは難しい。どうせ仕事をしていないのだから、reechoが家の管理の為に自分でやれることを全てやれば良い。それで、先ず裏の竹を切り始めた。すると大量の竹を処分しなければならず、勿体無いので竹で何か出来ないかと思い、暇つぶしに竹で楽器を作って遊ぶことにした。細い部分を一節づつ切り離して切り口を叩けば可愛い音が響くので、木琴ならぬ竹琴を、と思ったのだが、いかんせん湿気具合で音が変わり過ぎる。火であぶって水気&油を抜くと、まず半音は高くなる。短い竹ほどその変化が顕著で、チューニング後に乾燥が進めば又簡単に音が外れる。この世で竹琴が普及しない訳である。竹の節が微妙に湾曲していて、湾曲に音が響いてポコっと柔らかな音を立て、節が斜めになっていれば出口から最も短い距離の音が良く響くのだが、いかんせん一打で出る音に幅があってチューニングが難しい。一度短くしてしまったら長くならないから、適当な低さで妥協しなければならないが、誤って若干短くしてしまった竹を、一つ高い音に変更すべきか否か悩まされる。一体、どこからどこまでをシと認め、どこからどこまでをドと認めるのか、考えて見れば線で示される筈の音の高さを、我々は五線譜上の12種の点でしか示せない。1オクターブを12等分してハイ、標準の音に合わせて下さいね、なんてそれは12種類の点と一致しないその他の音を大量に捨てる行為でもある。正確さを極めれば、点で示されない音程は無限に増え続けるが、12種類のどの音かでなければ五線譜上で示されず、親しまれることは無いのである。単にreechoが音を合わせられないから、外れた音のままで許されたいだけなのだが、その「点」で示されない音を捨て去るのは正直苦しい。竹の長さを12種類のどの音かに合わせる努力をしていると、面白みが無くなると言うのは滑稽だが、12種で表現し切れない絶妙な音のハーモニーが認知・伝達・享受され得ないことへの不満が積もって来る。竹をコンロで炙ると甘い香りが漂って気分が良く、竹の微妙な音色がくすぐったい今日この頃である。