2011年10月24日月曜日

馬鹿を実感

昨日は愛知大学の車道校舎まで行って来た。受験料+電車賃+駐輪料金+自治会奉仕活動の出不足料(休めば罰金二千円)の計17790円が飛んでしまった。受ける必要の無い試験ながら、うっかり間違えた箇所が悔しくてたまらず、もう一度受験したくてたまらない。

reechoの様に過去問を一題も解かずにいきなり本番と言う人もそんなに多くは無いんじゃないかと思うのだが、昨日の試験はアルクの日本語教師適正CHECK!をそのまま受けている感じのテストだった気がする。最後の記述式では日本語学習者の日本語クイズの序文ではないけれども、学習者の誤りを、学習者自身の希望に沿って全部指摘&訂正するか否かが問われ。何が最も学習者の為になるのか、実際に教えながら様子を見て考えられれば良いけれども、ともかく何の反応も無い「紙」を相手に悩まされた。リーマンショック以前に、reechoが資格無し&経験無しで採用された(のに行かなかった)広州の某日本語教室からは、「やりながら勉強すれば良いから知識も経験も何も要らない」と言われていたけれど、考えて見れば、みんなと相談します!やりながら修正します!で何が悪いのか、そもそも自分の考えなんて無いから書くことが分からない。もう何年も原稿用紙を見ておらず、一旦書き始めたら前の文章を訂正出来なくて困惑、冷静になれば直ぐに思い出せるのに焦っているとどちらがどちらだか思い出せず、理解の「解」の左側を全て中国語の角(下側が用)で書き、減点対象になるんじゃないかと後で悔やむ。慌てると右も左も分からなくなる性質はどうしても治したい。基礎的な知識ですら、と言うか、基礎的な知識ほど簡単に飛んできちんと定着しておらず、ひとつひとつの問題にいちいち悩まされて時間切れ。会話には瞬時の判断が不可欠で考え込んでいたら何も発言出来ないが、どうかゆっくりじっくり考える時間を下さい、って感じ。普段はたっぷり時間があって(ってかあり過ぎて)焦ることが無く、反射神経も瞬時の判断も求めらることは無い。幼い頃にテレビゲームなどで鍛えていれば良かったのかも知れないけれども、reechoは反射神経を必要とする細かい作業が超苦手である(スポーツでの球技は別次元ですから~)。紙に向かって集中力を持続させるにも慣れが必要で。試験は緊張と焦りの中で平常心を保つ訓練にもなるし、ドーパミンを放出して高揚するのも健康の為に良さげ(?)だし、一万五千円は勿体無いけれども、また極度の興奮と緊張を体験する為に挑戦出来れば嬉しい。

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