2009年6月24日水曜日

帰って来た祖父

病院にいる時から「一時退院出来ますか現在」と書き続けていた祖父、結局死ぬまで病院から出られずじまいになってしまった。医療費・介護費、その他諸々の公的費用(年金含む)削減の為&退院後に家庭に訪問出来る医師不足で、負担になる人々を減らそうと、行政機関と病院が連携して老人減らしをしているのではないかと思ってしまった程である。誰も「病院で責任持って殺します」とは言わないが、そういう雰囲気が感じられ、そりゃ私の勝手な思い違いであって欲しいけどねぇ、勿論。


死ぬ前に葬式の準備なんて滅相も無いと思われるだろうけれども、特に家族から感謝されたのは祖父の遺影写真だった。死んだ本人は自分が見る訳では無いからどうでも良いかも知れないが、良い写真が飾れないと家族が寂しいのである。祖父が元気な頃に、家族で一枚綺麗な写真を残したいから、プロにお願いして記念写真を撮りたいとお願いしたことがあるが、どうせ遺影にしたいに決まっている、不謹慎極まりないと言って却下された。それからも何度も祖父の写真を残そうと試みたが、カメラを見ればうつむいたり横を向いたりで真正面からの写真を撮らせないように努力していたのである。そんな訳で、不自然に真正面を凝視した免許証以外には、本人が承諾の上で正面から写した写真が見当たらず。それで、私が本人に無断で作成した遺影がこれである。写真の撮影を本人は承諾しておらず、祖父に言わせればうかつにも油断していた時に撮られてしまった顔が、勝手に紋付姿にくっ付いた物である。親戚のおじさんが「今頃『やられた!』って悔しがっているだろうね、」なんて笑って付き合ってくれたが、まさか下の写真が実物とは思うまい。やっぱり綺麗な写真は本人に承諾の上できちんと残しておくべきである。


我が家の台所で2007年1月15日撮影のもの。この世では良い服着ていなかったから、あの世ではきちんと良い服を着て生活していてもらいたい。骨になってしまった祖父に、お帰りなさい。そして、今までもこれからも、ずっとずっと宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m

2009年6月22日月曜日

祖父の葬式

昨日は、祖父の葬式だった。私が喪主を務めた為に、普通ではあり得ない葬儀になった。お通夜からイズモ葬祭のセレモニーホールを借りたのだが、喫煙所は要らないと言ったらそれまでホールの入り口付近に当たり前の様にあった喫煙所が突然撤去され、無料で麦茶・緑茶等が飲めるコーナーに変わっていた。すげえ早業。それとも私が頼む前から既にそんなサービスがあったのか……?
それから、火葬場での昼食(そうそう)から夕食(おたいや)まで一時間も無く、むやみに腹が満ち過ぎるという理由で、精進落とし(家の近辺では『おたいや』とも呼ぶ)をやらずに火葬場で解散することにした。遺体が焼かれて空しい思いをしている時に大量の料理を腹に詰め込む理由は無いと思ったし、死者が出た時くらい、しばらく精進したって良いじゃないのか、と。
それから、忘れっぽい私が忘れたくないという理由で、母の知り合いに葬儀の写真撮影をお願いし、沢山写真を撮ってもらうことにした。イズモ葬祭でも葬儀のアルバム作成サービスを2万4千円弱で紹介していたが、高いと言う理由で断ってしまった。全部私に撮らせて欲しい!と思ったが、喪主がカメラを持って葬儀場内を走り回るのは不謹慎だと言われ、「大人しく喪主に徹しなさい」と言うことだった。だが。しかし。カメラを頼んだ人があまりにも大人しく、遠慮してシャッターを押さないので、その人のカメラをふんだくって自分でシャッターを切ったりし。「何を考えているんだお前は!」と怒鳴られそうになりながら、どうやら自分は完全に喪主であることを忘れたかったらしいことに気が付いた。「お前がいなけりゃもっとマシな葬儀になっていたのに」という八方から突き刺さる視線を受けながら、無理してでも祖母か母が喪主になるべきだったと思ったのである。

それにつけても、私が撮影して良かったと思ったのが遺骨を掃く写真。ああ、人は、最後は骨を掃かれてしまうのかと無常を感じた。大腿骨が立派に残っていたと皆が感動していたが、そんな祖父でも最後は塵を掃かれているのである。やっぱ、葬儀場でカメラを回すのはアウトなんですかね。祖父の大腿骨の写真を残しておきたかったと切実に思う次第である。

最後まで逞しかった祖父に、ありがとう。