2010年12月23日木曜日

怠け者



音が悪いのをマイクのせいにしちゃったりして。ダイソーの315円イヤホンマイクにしては随分しっかり音を拾ってくれていると思うんだけどね。今回録音したピアノの音がreechoの声より小さいからと言って、ハンマーのフエルトを削るとピアノの音が声より抑えられるとは思わないで頂きたかったり。Webカメラはヤフオク1円落札品である。

reechoは結局小学1年生でバイエルも終了せずにピアノの練習を辞めてしまい、習っていない人の方が断然上手いほどの下手さ加減。誰でも間違えずに弾けそうな物でもreechoには無理で、母は「三本指で弾いている人だっているんだから(一本使えなくなったくらいでピアノを弾かないなんて情けない)」と言うが。reechoはおぞましくてピアノを触るのも嫌なのだ。
20年以上調律していないカビだらけのピアノを高く買い取ってもらえるとも思えず、まだ業者に正式に査定してもらったことは無いけれど、U3Hについては、業者によっては8万円以上で買い取り可能な種類であるらしく、reechoは売る気満々なのだ。しかし母には、それなりに思い入れのあるピアノだから売らずに取って置きたいと言う気持ちがあるらしい。ピアノが売れないならば、reechoもそれなりに自分のボケ防止の為にピアノでも弾いて反射神経を鍛えるとか出来て良いんじゃないかとは思う。しかし。いかんせんこのU3Hを弾くと、ストレスで寿命が縮みそうな気がする。要するにreechoは、このピアノが嫌いなのだ。

娘さんと見に来て下さいね~、なんて歓迎メールを北京の社長に出してみたけれど、年末年始を家族でのんびり過ごしたい人がわざわざ電車で2時間以上の我が家まで訪ねて来られるのかどうか。ピアノが売れなきゃ売れないで、reechoは右手小指を使わずに弾ける曲を探して上達を試みようかと思ったりして(ちょっと負け惜しみ)。上の動画で見える譜面は、右手小指を一切使わずに弾けそうなBach Invention No.5。何年か後にでも、弾けるようになったら上達を記念してアップロードしようかと思った。習い始めて1年程度でこれを弾けてしまう人も多いらしいのに、reechoは何年後になるかさっぱり分からないが。同じ爆音系として、ここの女の子くらいに勇ましく弾けるようになれればと思う。ヤマハのパワー炸裂系は、大人しくちょろちょろ弾いてはいけない物なのだ。初心者の練習用に良いと言われる所以かな。reechoの手元にある楽譜もこの女の子の弾いている物と同じタイプなので、彼女をお手本にして頑張ろうかと思った。でも爆音に耐えるのは辛いよ~。真ん中のペダルを下ろしても、爆音は爆音だからね。

爆音に興奮しない・感動すべき物事にも動揺しない・どんなに騒がしい場所でも熟睡するという性質は、reechoの場合、我が家のU3H無しには語れないと思う。大きな音を聞くとそれだけで興奮して眠れなくなると言う人がいるのを考えると、この爆音ビックリ系のピアノを弾き続ければ、感情制御機能が発達して、大きな音に興奮しなくなることは請け合いじゃないかと……。

2010年12月17日金曜日

YAMAHA U3H


最近、我が家のピアノを嫁に出そうかと思っている。reechoはもう1年以上1度も触れていないし、今後も弾く予定は皆無なので。我が家のピアノの存在は、私の意思とはそもそも無関係なのだ。ヤマハU3Hは、母の嫁入り道具として用意されたピアノで、reecoにとっては、物心付いた頃から強制的に行われた、超怖い叔母の虐待に近いピアノレッスン等を思い出させるだけの、不気味で不快な物でしか無く。ピアノは可愛い音色を出してくれればそれだけで価値があるってのに、このピアノは重くて暗く冷たい音色しか出さない。20数年前に母が調律師を呼んで、ハンマーのフエルトを全部半分に削らせたのも悪かったのだけれど……。元々はもっと明るくて元気な音では無かったか??

久しぶりに北京の社長に電話した。北京は氷点下10度だそうで、口が動き難そうな寒さらしかった。我が家のピアノお譲りしますよ、娘さんにどうですか?と言ったら、調律だけでも2万円は掛かるでしょ?と、いきなり具体的な返事が返って来て驚いた。電子ピアノなら送料込みで3万円で済みますよね、と言ったら、「電子ピアノはピアノじゃないから」とこれまたびっくりする返事が返って来た。この人ツウだわぁ~、と思わず恐れおののいてしまった。娘さんが北京でピアノを習っていたけれども日本では無しだそうだ。一体どういう場所に住んでいらっしゃるのやら興味が沸いた。日中間で何かあると心配じゃないですか?と聞いたら、何かって?と聞くから、「戦争とか」と言ったら、「絶対に起こらないから大丈夫」と太鼓判を押してくれる。日本製品をボイコットしても中国の為にならない、とか中国人の口から言ってもらえると頼もしいけどね。余所の権力者が勝手に仕掛けることもあるから気を付けないといけないと思う。そもそも9.11は可笑しいと気付ける人がどれだけいるか疑問だし。アメリカでは盛んらしいけど、日本ではまだこういう「やらせ事件」の知名度は低いかな。

Googleで「ヤマハU3H」で検索を掛けたら、村田ピアノ音楽院のU3Hを追えと言うページがヒットした。それで初めて知ったのだけれど、今では重量奏法と言う物が、日本でも普及しているらしい。reechoは指をハンマーの様に振り下ろし、鍵盤を叩く奏法が出来ずに落ち込んでばかりいたのに、今では猫がピアノの上を歩く様な奏法が推奨されているとは、まさかの一大事。reechoはこれを重量奏法と呼ばず、猫歩き奏法と呼ぶのだ。ははは。大学時代にバレーボールで右手小指第二間接を骨折し、ピアノが弾けなくなっているのだけれど、ピアノの嫁入りが決まったならば、記念に猫歩き奏法で「猫ふんじゃった」を弾くのである。

YUAについては「このピアノはね、ヤマハにしては結構穏やかな音、穏やかって言うか、普段激しいわけじゃないんですけれども、ヤマハにしては結構優しい音がするピアノですね。」と言われていて、確かにヤマハにしては、まろやかな音色である。ここでも「ヤマハにしては、やっぱ個体差はありますけども優しい感じの音のU3Hですね。」と言われていたりするけれど。ヤマハは普段は激しいですから(笑)。我が家のピアノも、犬にギャンギャン吠え立てられる喧しさと言うか、荒れ狂うヒステリー女の激しさと言うか、一歩間違えなくても「地震+雷+火事+親父」的な恐ろしい音を出すピアノであって。こんなにけたたましい音では無くて、もっとかわいく優しい音色を立ててくれたら、ピアノから出る音を純粋に楽しめただろうし。耳を澄まして聞きたくなる様なか弱い音色だったら更に、音を出すこと自体が嬉しかっただろうになぁ、と残念に思う。ギンギン鳴り響く騒音に、弾けば弾くほど震え上がってしまい。凄まじい音の攻撃を受けながら喜べ楽しめ、ってそれはちょっと無理。野外コンサートじゃあるまいし、ウサギ小屋にも例えられる小さな日本の住宅でどうして目玉が飛び出る程の爆音に耐えねばならないのか、そこまでパワフルな音がなぜ必要なのか不明である。下手なピアノの練習など近所迷惑で、日本の住宅事情を考えれば「大音量パワー炸裂ピアノ」なんて大量生産出来るわけが無いのだが。実際にヤマハは、聞くとビビる「パワー炸裂系」が多いのである。オートバイでぶっ飛ばすぜ!的なパワー全開、まるで伝統芸術であることを放棄している感じのピアノを、楽器ではなく機械として生産しているっぽいところが激しいと思う。

どうでも良いけれど、年末に食べすぎ&飲みすぎで苦しい思いをする人に、三保製薬のスイマグをご紹介。「立春」の主人公が黄土色のパックをしているのを見て思い出したんだけど(笑)。きな粉+牛乳+カゴメウスターソースの練り物で普段から便通が良いreechoはもうかれこれ10年以上関係無いんだけどね。便秘がちで胃酸過多の人には体に最も優しい便秘薬になるんじゃないかと思う。飲んでも良いのは勿論、肌に付けると肌が透き通った透明感を出し。特にニキビでお悩みの脂質な方にはお薦めで、風呂上りに原液をペタペタ付けて、乾いたらパラパラ落とし、そのまま放置して眠ること一週間、ニキビは綺麗に消えてしまいます。reechoはその昔、ニキビで悩んでいた同級生にプレゼントしてやたらに感激された経験があり。ニキビで悩む友達に勧めると感謝されまくって困ります本当に。舐めても飲んでも体に優しく、赤ちゃんにも安心。酸化マグネシウムと言うと、薬局で売っているのは大抵錠剤の便秘薬なんですが。液体でないと肌に塗れないので、肌で実体験したい方は、三保製薬のスイマグ360mlボトル(定価:1本735円)でどうぞ。飲用期限?は大抵購入から3年弱ですが、腐ったりしないので肌に付ける分には10年くらいは平気デス。ボトルの中で液体が固まれば肌に塗り易くなったりするので、肌に厚塗りしたい人は、何年も買い置きして損は無いと思います。日焼け後の素肌ケアにも効果的。是非お試しあれ。

2010年12月2日木曜日

商人の時代

そろそろ忘年会の予定が入って来る季節である。そもそも付き合いの無い人間には関係無いし、景気も悪いからわざわざ騒ぐお金が勿体無いと言う人が多いかも知れない。世の中、宴会を楽しめる人ばかりでは無いのである。

もう10年も前の書き込みで、本当かどうか確かめる方法も無く、ただここここなどを眺めると、日本には、潔癖症の人にとっては耐え難い宴会が多いらしいと思わされる。reechoが潔癖症の韓国人をあまり知らないこともあるけれど、日本人を総じてチョン化する為の儀式じゃないのかと思ってしまったりする。「親しき仲にも礼儀あり」の余所余所しい日本人と違って、親しい仲なら何でも許し合うのが礼儀だと思っている韓国人にとっては、意外とすんなり受け入れられることかも知れないとも思う。他人との間に壁が無く、他人の物を遠慮無く自分の物の様に扱う韓国人が進んでやりそう、と言うのはreechoの偏見かも知れないけれど。一発芸にしても、簡単なことで盛り上がって態度を豹変させる朝鮮人が好んでやることじゃないの?と思ってしまう。一瞬で豹変することが商人にとってはそんなに重要なのだろうか。どんなに汚いことでも平気で出来ることが、会社を存続させる条件になっている様な企業で盛んに行われているのだろうし、金融とか商人系の業種で多いと言う噂もある。大手銀行員は実際に「人を二人殺して一人前」と言われるそうで、人を殺すことを嫌がったら即刻クビになるのがオチではないかと思う。金の為に自分を殺し、他人も平気で殺せる人間にならなければ、その手の業界では生き残れないのではないか。人を殺す汚い仕事が出来なければ即刻クビになる会社に入りたいなんて、一体どこの独逸かと思っちゃうんだけれども。これが名立たる日本の一流企業なのだからびっくりしてしまう。日本では、社会に有用な人物と言うのは即ち会社にとって有用な人物とも言い換えられてしまい、会社の利益の為に平気で人を殺せる人間が高く評価されているのも事実である。

ぐっちーさんによれば、アメリカでも金融系の仕事場では、破廉恥なおねえちゃんがこれでもかとばかりに破廉恥なサービスを提供しているらしいし、別に助平なのが日本独自と言う訳では無さそうだけれども。全ての女子は男子に奉仕する為に存在する、と思っていそうな男子のパーセンテージは、圧倒的に日本が世界最上位ではないかと思う。あ、儒教と男女差別の激しい韓国も高いかな。

人の為にカネがあるのでは無く、カネの為に人が存在すると看做しがちな商人が、日本ではずっと階級差別で卑しまれて来た歴史がある。道徳意識の低い人間が地位を得られなかったのはある意味、社会の規範とか治安を保つには重要なことだったのではないかと思う。「カネの為に人殺し」が企業内では公然とまかり通る今の日本と比べればの話だけれども。考えて見れば、日本の階級差別は、生命の維持に必要な職業順だった様にも見える。つまり、敵から生命を守る武士→命の維持に必要な食物を生産する農民→衣類や住居・生活用品を生産する職人の順である。日本で商人は、何も生産せず流通に関わるのみと言う理由で最も軽視さていて、人を騙して金儲けに走り易いと言う道徳上の戒めもあったと思われる。「カネは汚い物で、卑しい身分の人間が欲しがる物である」と言う戒めが、我が家にはまだ多少なりとも残っている気がする。例え、実質的には何の用も無く落ちぶれ果てた江戸末期の武士の負け惜しみだったとしても、「武士は食わねど高楊枝」と言って貧困に耐えるプライドが、カネやモノへ走らない道徳規範を守って来たのだと思う。

士農工商の階級差別が無くなった途端に全ての日本人が商人と化してしまったとまでは言わないけれども、金持ちが偉くなる世の中で一体どの様に道徳規範を保ち続けられるのかが分からない。無論、武士が権力誇示の為に非人道的な搾取を続けて来たのも事実だけれど。商人が世の中で最も偉い社会では、人はカネの為に存在するのでは無くカネが人の為に存在すると言って見たところで、世間知らずな子供でもその信憑性を疑うんじゃないかと思う。実質的に「人の命に必要な職業順」に地位が高ければ、カネより人の命を尊重することが尊いことだと思えるだろうけれども、カネの為に生きる人間が偉い以上、偉くなる為には、カネより人を軽視する方が得だと思われてしまう。「カネの為に必要な職業順」に人が偉くなっている日本で、人命はカネより大切です、なんて誰が納得するのか、かなり疑わしくなっているのが実情だと思う。昔は米がカネの代わりで、土地を奪い合うのも、カネと同義の米(≒土地+農民)を獲得する為だったとすれば、結局昔から何も変わって無いのかも知れないけれど。

ここの話によれば、レアメタル騒動にもユダヤ人の金儲けが関与しているとかで、地球環境保全の為に地球環境汚染と言う話も初耳だし、どうも人間が無茶苦茶なことをやっているらしいことが垣間見られる。ユダヤ人が金儲けの為に戦争を嗾けているのも許し難く、人の命よりカネが大事と言うユダヤ人こそ死ねば?と言うのがreechoの見解だったりして。別にヒトラーのホロコーストを賛美している訳じゃないけれども。狡賢い商人になりたい又は商人に殺されても構わないなら別だけれども、殺されてから後悔しても遅いので、殺人行為を強要するユダヤ人には充分に注意するべきだと思う。
人殺しを純粋に楽しんでいる人たちが実際に世の中には一杯いて、余計なお世話だと思うけれども、性交渉を気軽に楽しみ過ぎる、エイズを移したがっているんじゃないかと思われる男性には、命を懸けてでも関わるべきでは無いと思う。そんな男性が超一流と看做されているのも問題なのだけれど、女性を性的奴隷としか思えない人との結婚なんて言語道断だし。もし拒絶したことで路頭に迷うとか飢え死にすることがあったとしても、遊ばせて当たり前・非人道的強制も当たり前、と思っている人間に媚び諂い続ける人生よりはマシだと思う。そんなことを言うのは潔癖症の武士の末裔だからなのかも知れないけれど。血筋は3/4以上旧小笠郡下の農民なのだが。血は争えないよなぁ……、と思う。

2010年10月31日日曜日

国際紛争

reechoは抽象的表現が好きである。記憶力も語彙力も無くて細かい事柄を示す単語を知らないので、出来る限り物事を大ざっぱにまとめた単語で説明してもらわないと話が分からない。知らない専門用語が多い書物を読めば、こんなに細かく物事をカテゴライズする必要があるのかとうんざりすることも多い。
大学で国際関係論の指定テキストだったジョセフ・S・ナイ著「国際紛争」を、久しぶりにちょっと読んで見た。

著者は、カーター政権とクリントン政権において日米安全保障関連事項に深く関わった人物だそうで、ハーバード大学で教える際に書き下ろした教科書らしい。「懐疑主義者にとっては道義的判断には意味がない。」(p.187)とか、分かりそうで分からない言葉が結構含まれる。他の専門書と同様に、区分がこんなに沢山あっても困るなぁ、と思う程に、国際政治を学ぶ上での区分方法が紹介されている。
区別する方法を知らない人が見れば、中国人も日本人も同じ「人」と思うだろうし、細かく分類すればするほど何だか物知りで賢くなった気になるのも可笑しな話ではある。人は区分と差別が好きである。ついでに言えば自分と似たものを好み易い。日本人は特に、自分と全く同じでなければ許せない人が多い。一生懸命に差別し、偉くなった気分を味わいたがる人も多いと思う。この本を読んでも、世の中には本当に沢山の区分があると思わされるけれど、p.36に少し例がある様に、徹底的に区別したがる人程、トレード・オフの関係〔両者を同時に完全に満たすことが困難である一方、完全な二者択一でもない関係〕を無視する傾向があるらしい。余程視野の広い人でもない限り、自分の主張を正当化する為に、自分にとって都合の悪い情報は消去して考える傾向がある様に思う。以下「国際紛争」からの引用が多くなってしまうが。

共通の主権が存在しない無政府状態の国際政治において、何を頼りに生きるのかと言う問いに、リアリスト(現実主義)のホッブズは、生存の為には武力に頼るしか無いと答え、リベラル派(国際協調主義)のジョン・ロックは、契約による共存が可能であると説く(p.5)。
リアリストは懐疑主義的で協力を避ける傾向があり、リベラルは信頼関係と相互依存の増大を目指す傾向があるそうだ。懐疑主義者が不信感によって「周りの主体」を敵視し、自分の身を守る為に攻撃することばかり考えるせいで、明らかにリベラルよりもリアリストの方が強くなりたがり、実際に自分が生きる手段は暴力に限ると言う点で、関わると恐いのはリアリストである。
騙し合いの文化が醸成され過ぎている中国では、人を信じないリアリストが多いと思う。彼らは契約しても契約を無視するのが普通である。誰が人を信頼し、契約の下に平和を築くリベラルに傾き得るのか知りたいと思う。それに比べて嘘をつかない誠実さで裏切り行為が少ない日本人は、思想的にリベラルに傾き易い人が多いかも知れない。しかし人を疑わない日本人が、国際社会で無防備であることを考える必要はある様に思う。この本の著者も立場的にリベラルらしいけれども、国際社会の厳しい実情を知り尽くしているからこそ当たり前の様に辛らつで、リアリストが国際政治の基本的立場といった書きっぷりをしている。国際政治の歴史を振り返れば、国家の存続及び安全保障の枢軸を担って来たのはリアリストだったのだからしょうがない。

「システム」とは相互に関連したユニットの総体のことで、国際政治システムとは国家間の「関係のパターン」のこと、そしてどのシステムについても言えることは、全体のパターンが部分の集積より重大であること(p.41)らしい。ここで言うパターンとは、「主体」が「目標」に向かって「手段」を用いる過程と結果の総体を指す様だ。

国際政治システムの「主体」は、古来は少数の国家だったが、最近は多国籍企業も主体になり得る程に経済的影響力を持ち、国家の数も20世紀後半だけで3倍に増え、主体が増加・多様化し続けている。(p.10) 
国家にとって最も重要な「目標」は、伝統的には軍事的安全保障であったが、今日では経済的目標が増大し、さすがに軍事的安全保障の目標を駆逐してしまったとまでは言えないが、軍事的安全保障が唯一の目標ではなくなったと言えるまでになっている。(p.12) 
伝統的な見方に従えば、真に意味ある「手段」は軍事力だけであったが、現在では他の手段によって目標を達成する事例が増えている。核兵器が世界に5万発以上あるのに1945年以降一度も使われていないのは、核兵器の破壊力がどんな政治目標にも釣り合わない程に強大であることが挙げられる。経済的負担や民主化による国民の反対も、軍事力を行使しない理由になっている。民主化によって全ての武力行使が防止されるとは言えないが、戦いの正当性について幅広い議論がある限り、戦争に関する憲法上の抑制と均衡が、よりよく機能すると考えられる。世界中で民主主義国の数が増えれば、少なくとも民主主義国の間では、戦争が起こる可能性は小さくなるかもしれない。ただし、新興民主主義国には、言論の自由や行政府への抑制、定期的な選挙といった自由民主主義的なプロセスを欠く大衆民主主義の場合もあり、理論化に耐えるのは自由民主主義国間の関係であって、民主主義国家全般ではない。(p.61)

らしい。言論統制があったら政府の独裁がまかり通り、情報操作でいくらでも国民を戦争に駆り立てられる様で。中国が民主化したら、軍事大国化が食い止められ、現在の軍備が形骸化することもあり得る為に、中国政府は民主化を進めさせない方針であるかも知れない。「軍事費が多すぎて貧困が止まらない」なんてことを、民主化した人民が許すとは考え難く、このままの体制を維持することが中国の最終目標であり、最大の課題であるとも考えられる。民主化したら中国は崩壊するのである。国家の存続の為にはとても民主化なんて出来ないと言うのが中国の現状だとすれば、日本もまた負けず劣らず、国家の存続の為には民主化なんて有り得ないと考えている可能性がある。情報統制にしろ一党独裁にしろ、相変わらず市民を犠牲にして続いて行くんじゃないかと思う。

システムは、その中の主体の誰もが意図しない結果をもたらしうる。(p.42)そうだ。
国家と言う枠組みの中で、その構成員である以上、その構造と運命を共にしなければならないのは実に残念なことではある。社会の構造を知り、自分の立場を明確にわきまえ、他と区別し役割を自覚することが、自分の属する社会の中で自己の役割をより適切に全うする方法でもある。やはり自分の所属する社会の中で自分の役割を適切に全うするという目標において、人間が生み出す最も大きなシステムとしての国際政治について、大学で学んだのは良い経験だったと思う。現在は、各国間の関わりの乏しかった時代における「武力による解決」が別の形態に移行しつつあるにせよ、リアリズムの思想がまだ重要な地位を占めている限りは、自分の目的達成の為に、契約の成り立たない相手に対する攻撃が選択肢として常に存在することを忘れてはならないと思う。そして攻撃が出来なければ、その主体としての存続を諦めなければならない可能性もあり、攻撃の方法についても詳しく知る必要があると思う。文明の対話とは良く言ったものだけれど、平和主義者の期待以上に国際社会は不信感と絶望に満ちている。情報統制によって不信感と絶望感を増幅させられている場合もあり、情報統制及び教育には充分に留意する必要があると思う。また対話も無ければ信頼も無く、突然自分の目的達成の為に攻撃を仕掛けるリアリストに対して、どの様にアプローチし得るのか、リアリストと平和的に接触し契約する方法はあり得るのか等、リベラルと自認するならば、積極的に考えなければならないとも思う。

話し合い及び討論が苦手な日本人は、日常的にリアリストが多いかも知れない。話し合い或いは説得による解決を抜いていきなり攻撃し、服従を強要する例が多く見られる。自分の地位が上なら絶対服従を強要出来ると信じて疑わず、相手と改めて話し合って契約する理由など皆無だと思っていることが多い。情報は常に上から押し付けるもので対等に話し合う関係が無いのも問題である。知り得る情報に差が生まれ難く、上からの情報は全て鵜呑みにするのが常識と言う日本では、わざわざそれぞれの認識を再定義することにも無頓着な人が多いと思う。意見の衝突を嫌う日本人は、意見が衝突しそうなら予め衝突し得る意見を握り潰しておけば良いと思っている節もある。明言化し得ない契約を尊重し、暗黙の了解を明言化することによる損失を避けたがる人も多い。裏での合意・談合による解決を図る秘密主義の人々がどのように秘密裏に契約し、主体も手段も目的も隠し続けるか観察するのも、同じ国家システムに属する同じ日本人としては、極めて意義のあることだと思う。秘密を共有し、秘密裏に契約を行う主体に成り得て初めて、他に漏れない利益を享受出来るならば、秘密を共有し得る主体として認識される方法を知ることも大切だと思う。組織の中でより効率的に機能するには、その組織の目標及び手段から外れるのは得策では無く。たとえ所属する組織の動きが自分の主義主張に恐ろしく反するとしても、より安全に生存する為には「組織に巻かれる」ことも重要だと思う。

厳しい社会を知り尽くしている人の文を読むと、どうしてもリアリストに成るべきと思わされたりする。ただホッブズにとっては自然環境も人間が従わせるべき脅威でしか無く、全てを人間の支配下に置くことしか目標にしていなかった様である。支配し続けたらどうなるかなんてことは視野に無く、倒し続け、征服し続けた結果、人間が生きられなくなるとは考えていなかったらしい。現在は、人類が支配し続けた自然環境が、もはや人類を支えきれなくなっている。一方的な破壊活動を続け、自然界の均衡を崩し、人間自らが生きられない状況を生じさせつつあることは、周囲を無条件に従わせたことで自分の首を絞めることになった好例でもある。地球上で人類が生息し続けられない状況を、より多くの人が把握して対策を講じなければ、地球環境システムの中での人類の生存期間は更に短くなる筈である。例え相互依存が相互の脅威を意味するとしても、人類は自然環境に依存し続け、自然環境を恐れ敬いながら、自然環境に従い続ける以外に生存の道は無い筈で。人類は、地球環境システムにおける人間の立場と限界を知り、その中での「存続」という目標を早くから設定して来なければならなかったのである。形振り構わず目先の目標達成だけを考え、地球環境を破壊し続けて来た人間が、もはや地球上で生存し続けられない等、今更言われても困ると言うか、既に改善が不可能な状態で。システムは、その中の主体の誰もが意図しない結果をもたらしうる。全く意図しなかったのは単に無関心だったから、と思われない様、自分の属し得るシステムの全貌を知り尽くし、そのシステムの中での自分の立場と限界をきちんとわきまえ、自己の生存可能性を高める努力をし続けなければならないと思う。

生存が難しいからって、各国が意地になって核爆弾を5万個も作って一体どうするつもりなのか分からず。それで、地球環境から抜け出す方法があったとしても、地球環境システムを無視した議論を続けることには、かなり無理があると思う。

2010年10月24日日曜日

他人の不幸

厳密に言えば触法行為なんだけれども、土豆で「花样十年」を見た。
中国へ行きがけの飛行機の中で、北京の社長に「花儿乐队ってご存知ですか?」と聞いたら、「え?何?聞こえない!」と何度も何度も聞き返された挙句、結局「知らない」と言われ。周りにも丸聞こえの大声で何度も「花儿乐队!」と言わされて、わざと恥を掻かされ結構不愉快な思いをした。reechoにとって痛くて恥ずかしい思い出になった花儿乐队演唱会、改めて見るのも恥ずかしくて自分が映ってたら困ったと思ったところ、顔が分からない程度の小ささで、個人が識別出来ない様でほっとした。コンサートは正直勿体無かったけれども、798芸術区を回ったり、北京旅行は純粋に楽しめた様に思う。

reechoが気づいただけでも、「花样十年」の映像ではカットされたり新たに付け加えられたりした映像がいくつもあり。特に王文博がトイレでリズムを取るあたりの「痛い映像」がばっさり無くなったことで、随分穏やかで優しい雰囲気に仕上がったな~と思う。王文博のトイレの映像も無意味に長くてメロディーが感じられない単調さだったけど。アニメーションも可愛くなっていて、改めて付け加えた部分のおかげで随分綺麗に仕上がったと思う。


Gymnastics Bloopers!@YouTube

痛い映像って、こんな感じと言えば良いか、板飛び込みで板にぶつかって痛い目とか。床運動で思いっきりビターンと全身打ちとか。フラワーズの歴史を振り返るとか言う映像だったと思うけれど「中国の痛みを知れ」と言われている様でもあり、我々は格好の付かないfailureで満ち満ちていると言われている様でもあって、正直居心地が悪かった。

笑って良いのか分からない不道徳な映像ばかり見せられた記憶があって、他人の不幸を見て慰められる人がいるかも知れないけれど、人が痛い目に遭っているのを見て喜ぶのを、逞しいとか強いとか言って良いのかどうか。一歩間違えば犯罪行為だと思うんだけれど、実際に人の不幸を喜び過ぎる人に囲まれていると、自分が不幸に見えて来てしょうがなく。TheFlowersが台湾の会社所属でなければ、こんなに破廉恥にもえげつなくもならなかったかも、とか台湾人とメールするうちに思えて来てしまい。いや、それ以前に台湾が日本の植民地にならなければ、こんなに人の不幸を喜ぶ文化が醸成されたかどうか。あえて言えば、破廉恥好きな台湾人には人気の筈で、コンサートも台湾でならいくらでも開催可能だったと思うけれど、どうしてこれが最初で最後のコンサートなのか、やっぱり疑問……。

見れば、「花児(日本)」のプラカードを持った日本女子の右前に、大張偉にキスしちゃった女の子がいた様で(上の土豆では56分頃)。「鹊桥汇」の後では「ありがとう」と日本語で言っている様にも聞こえ(中国語てんで分からず)日本人向けに準備していたのかとすら思ってしまった。後ろの席では、みんなが嫉妬で溜息付いていて。微妙に人の不幸を喜ばなければならない様な印象を受けてしまう、ちょっと恥ずかしいコンサートだったと思う。

2010年10月17日日曜日

日本の我慢

国旗振り「日本を滅ぼせ」中国反日デモ
2010.10.17 01:20

 「日本を滅ぼせ」「日本は釣魚島(日本名・尖閣諸島)から出て行け」。中国四川省成都や陝西省西安などで16日、起きた大規模な反日デモ。成都では、普段着姿の若者が横断幕を持ちながら行進し、「小日本(日本人の蔑称)は出て行け」「日本製品をボイコットせよ」と相次いで叫ぶ。

 市中心部にあるイトーヨーカ堂の春煕店は、数千人の群衆に包囲された。周囲では、破壊行為を阻止しようとする制服の警官隊とも押し合いに。ヨーカ堂が面した通りは群衆で交通がまひ。店舗の入り口には16日夜、臨時休業の看板が設置された。付近には細かいガラスの破片が散乱、襲撃の衝撃を物語っていた。

 中国のウェブサイトに掲載された写真によると、西安では「中国にとって最も大事なことは日本を滅ぼすこと」と書いたプラカードを掲げた若者らがトラックに乗って中国旗を振り回し、別のトラックには「中日断交を強烈に要求する」との張り紙が掛けられていた。(共同)



中国は厳しいっす。
こんな一連の動きを見て感じたのが、中国を騒がせて一番喜んでいるのは戦争屋のユダヤ人辺りかな、と言うこと。これを機に日本人にも危機意識を持たせて武装させようとアメリカが企んでいる可能性も大きいと思った。日本国憲法の改正手続に関する法律も施行されちゃったし、あとは国民意識を操作して、憲法九条を改正するまでですね、はっきり言っちゃって申し訳ないんだけど。

中央大学の研究会で、アメリカ政府と防衛上の共同開発で提携している三菱重工の研究者とか、自衛隊関係者も、アメリカの日本に対する期待の大きさを語っていたけれど、中国人も台湾人も喜ぶ「日本は厳密な意味で独立国家では無い」の見解に賛同するならば、アメリカの指示に従って日本も「強調的軍事力」を保持させられる羽目になるのかなぁ、と思う。

人間は変わり易い。どんなに優しい人でも、過酷なイジメに遭えば仕返しをしたいと思えて来るだろうし、果たして日本が「殴られても蹴られても、例え殺されてでも殴り返さないのが真の強さであり正義である」と言い続けられるのかどうか。台湾人が熱心に日本の弱さをreechoに教えてくれるのだけれど、「過去の残虐行為を反省し、日本が二度と武装することが無いように」と台湾人から注意されれば注意されるほど、ひねくれ者のreechoはこれに逆らいたくなって、困っちゃうんだよね本当に。果たしてどんな悪人に攻撃されても殺されても平然と「非暴力」を貫けるのかどうか。弱い自分を守る為には、武力を保持して脅す方が楽だから、と、自ら自分の利益を守る道を選ぶのではあるまいか。果たして親分の、と言うか、実質的には日本の実権を握っているっぽいアメリカから協力を求められても知らん顔を貫けるのかどうか。「過去の残虐行為を反省し、二度と他国を攻撃したり従えたりするべきでは無い」と言い続け、死ぬまで軍事力の保持に反対出来る主権(市民)が、日本にどれだけいるのか疑問である。

台湾では、国民党の反日教育と言論統制のお陰で、南京大虐殺・三光作戦・731部隊等の非人道的な中国人虐殺と植民地支配ばかりが知られていて、未だに大陸よりも日本の方がずっと危険で残虐だと思っている人が多い。確かに、帝国主義支配拡大の為に日本は無茶なことをやり過ぎて来たし、戦後の補償がゼロだった台湾人の被害は、心理的にも計り知れないものだった筈である。他国民を殺しただけでなく、第二次世界大戦ではおびただしい数の自国民を玉砕させたりしていて、無駄に人を殺し過ぎる日本政府が再び戻って来るのではないか、と台湾人も日本を非常に危険視しているらしい。あなたもまた暴力を振るって威張りたいんですか?残虐行為によって他国を服従させたいんですか?そんなこと絶対に許せませんね!と台湾人からしつこく言われると、はいそうですね、日本は二度と軍事力を保持せず、ヘタレ続けなければなりませんね、と返事をしておかなければ話が収まらないのである。

腰抜けヘタレおとなしく中国に滅ぼされるべしと言われても逆上せず、本当に日本が滅ぼされるまで冷静に大人しく中国に従い続ける我慢強さが、今の日本人に求められているのかな、とreechoは思う。日本には絶対に威張らせたく無い、強くなって欲しく無い、と切望する台湾人に叩かれ続けていると、余計に日本が強くなることを希望してしまうのだけれど。日本を刺激して怒らせないことが、日本を無意識にヘタレ続けさせる最も良い方法だと言うのに、どうして中国も台湾も日本を馬鹿にして怒らせて、軍事力の保持に賛同させようとするのか分かりませんね。日本がわざと中国を怒らせているとしても、裏で戦争屋さんがせっせとシナリオを書いていないことを祈るばかりです。

どうせ軍事力を保持したって中国には適わないんだから、諦めは早い方が税金の無駄遣いも少なく済むし、軍事費はどんどん削減するべきとも思われ。国民が危険にさらされても潔く腹を括って防衛を諦め、アメリカの誘いもきっぱり断り、平和維持活動にも参加せず、主権国家として憲法九条改正には全国民で反対し、ヘタレな日本をヘタレのまま愛し、ヘタレたまま死んで行くのが日本人として最も賢明かとも思う。平和憲法の維持が、日本にイジメられ続けて来た台湾人が将来中国人になった後に、最も安心出来るプレゼントになるのかな、と思いつつ……。

2010年10月13日水曜日

中国の恫喝と台湾人の高笑い


機械ダンス@YouTube

台湾人、何だかいやらしくて下賎な物が好きな人が多い。取締りが厳しい大陸と比べたら終わりなのだが。八田與一記念館の横にある噴水を見た際に、不謹慎にも男根をイメージして創ってないか?と思ってしまい。日本人があれを見せられると「思い起こせば、日本人って見境無くジャージャー出してたわよねぇ」みたいな、台湾人のあらぬ回想を連想してしまうのである。実際に見境無くあちこちでジャージャー噴射しまくっている男性を知らないと連想不可能だと思うのだけれど、残念ながら日本には見境無くやりたがる男性が多過ぎる。で、ひょっとすると、そんなことを露骨に連想させる台湾人も、申し訳無いけれどもやりたがって迷惑な感じがある。

八田與一の銅像はreechoの曽祖父が提案して作ったと聞いたことがあったけれども、台湾人とメールをやりとりする間に、歴史的事実がどうであれ、どうしてもそれだけは撤回して欲しいと思う様になった。何故なら、地べたにべったり座り込んで悩む棟梁の銅像を、まだ本人が生きている間に創るのはちょっと失礼じゃないかと思う様になり。上司を座り込ませて悩ませたいと言う欲望が無ければ、あんな姿で上司を放置させて置く訳が無いと思うのだ。今はちょっと高めの台に乗っているけれども、昔は本当に地べたに直接置かれていたのである。ずっと悩んでいれば?と言うからかいの意味を含まなかったら創れないと思うのだ。要するに、reechoは八田與一の悩む姿に喜んで、もっと悩ませたかった人間があの銅像を発案したと思うのだ。それは、日本人をからかいたがっている台湾人でなければ今のreechoは困るのである。

台湾人、日本人に親切だから親日的だと思っていると、なかなかそうとも言えず、いかんとも言いがたいわだかまりがあって困る。日本人から侮辱されて来たという悔しさから、日本人を凹ませようと頑張ることも多々見受けられ、仕事が無いとか短足だとか、直しようの無い相手の欠点をつついて優越感を得たがり、わざと失礼なことをして相手に屈辱を味わわせようとするのである。
上の軟体ダンスの映像は、烏山頭ダムの墓前祭で知り合った50代直前のおじさんが「見るに値する」と言って送り付けて来た物で。大学時代の親友と2人連れで墓前祭に来ていて、話しかけたら随分親切にしてくれたのだけれど、教科書に載っているから来たと言う親友は小学校の教員、本人は台湾政府の立法院で働いていて、@ly.gov.twのドメインでもって、仕事場の立法院から頻繁にreecho宛にメールを送って来る。上の機械ダンスの映像もそうなのだけれど、仕事の前後にそんなものを送信していて良いのか?と思ってしまう内容が多い。そこそこの有名私立大学を卒業しているのに知的センスを全く感じさせないメールばかりで、台湾でそこそこでも人口の少なさを考えるとそんなものなのかと思わされたり。

それで、最も困るのが自己愛の強さである。中国と一緒に日本を攻撃して大満足しているのを見るのも日本人としては不愉快で。尖閣諸島問題について質問したら、中国が戦争で用いる打不打日本就看三句話を紹介してくれる。
1.人不犯我、我不犯人。人若犯我、我必犯人。2.勿謂言之不預也 3.是可忍孰不可忍
この三つ目が出たら必ず戦争勃発という話で、今回は二番目の最後通牒まで正式に発表されたそうだ。ここの変な日本語の説明を見ても中国語圏の人でないと読めないんじゃないかと思わされる内容で。日本人は言葉の意味も歴史的背景も分からないけれど、中国人はこれを聞くと反射的に戦争の準備をするらしい。


「日本製品に支払った金は、中国を攻撃する為の兵器に変わる」と警戒して、日頃から日本製品の不買活動を行っている中国人だけでは無く、尖閣諸島付近での衝突事故は、一般の中国人も戦争の発令を警戒する事態に発展していたらしい。中国人がこの様に戦争を意識しているところを見れば、日本人はなおさら「中国に流れたお金は日本を攻撃する兵器に変わる」と覚悟するべきだけれども。日本人は疑い方が足らず、日本は安全だと思い込んでいる節もある。

立法院のおじさん、「三句話」と同時に、"以下是日本《21戰略週刊》近日刊發的日本著名評論家小野洋雄關於東海問題的一篇關於東海問題的分析文章,"で始まる「日本で著名な評論家、小野洋雄の文章」を紹介してくれる。作り話だなんて思っていなかったらしいけれど、調べて見るとそんな評論家は日本に存在しないし、《21戰略週刊》なんて言う書物も見当たらない。
繁体字と簡体字を使う人の数も違い過ぎるけれど、とりあえず繁体字版簡体字版共に配布数が多い。reechoの憶測では、日本を妬む台湾人が、日本をさげすんで満足する為に日本人になりすまして書いた可能性もあるんじゃないかと思う。2010年9月14日から連日複数の配布が始まっていて、わずか1日とは言え簡体字が先でも、繁体字では2009年5月には既に存在したことが確認出来る。
小野洋雄さん、中国語圏内では物凄い人気で、台湾では教養のある台湾人も「自分の意見を表現している」と言って満足し、わざわざ日本人のreechoに紹介して寄こすし。中国人及び台湾人は「日本は厳密な意味では独立国家では無い」と日本人に言わせて流布し、皆にそれが真実だと思わせたいらしい。自分に都合が良い情報ならば、皆が皆闇雲に信じたがるのも性質が悪い。自尊心を満たす為に、日本人に対しても、日本人が自虐的に自国を蔑んでいる物を見せて「これが真っ当だからお前も従え」と言うのである。

ちょっと行き過ぎた考えだと思うけれども、嘘をついてでも無理やり相手をこき下ろして謙遜させるのが台湾人のやり方と見え。台湾人以上に下賎に考えを進めているreechoは、自虐的に悩み込む八田與一像を創ったのはやっぱり台湾人だと思うし、八田與一を地面に座らせて見下し、どうしても困らせて喜びたがっていたのも台湾人であったに違いないと思いたいのである。

2010年10月10日日曜日

検索エラー

中国、「ノーベル平和賞」のネット検索を遮断
2010.10.09 Sat posted at: 09:59 JST

北京(CNN) 2010年のノーベル平和賞の発表に世界中のマスコミが沸く中、受賞した中国人活動家、劉暁波氏の母国である中国の当局は、公の場から劉氏の名前を抹消しようと奔走している。

例えば、中国の検索エンジンで「劉暁波」または「ノーベル平和賞」と入力しリターンキーを押すとエラーメッセージが表示される。

また中国当局は、CNNなどの海外メディアによる劉氏に関する報道も遮断した。そのため、中国の一般市民が劉氏の平和賞受賞のニュースに触れたのは、中国外務省の平和賞に関する短い声明が報じられたときだけだ。同省は声明の中で、ノーベル賞委員会が平和賞の受賞者に服役中の反体制派である劉氏を選んだことについて「平和賞を汚す行為」と批判した。

しかし、中国のニュース視聴者にとって今回のような報道管制は決してめずらしいことではない。中国政府は情報統制の一環として、長年フェースブックやユーチューブなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)や海外ブログサービスを遮断してきた。

また今年はじめには、ネット検閲をめぐり中国政府とグーグルが対立し、グーグルが中国国内の検索トラフィックを香港にリダイレクトする事態に発展した。

中国では世界最大規模の人員を投入して4億人を超えるネットユーザーの行動を監視していると言われる。この大規模なフィルタリングシステムは、不満を抱くネット市民の間で「中国のグレートファイアウォール(防火長城)」と呼ばれている。
(c) 2010 Cable News Network.


らしい。日本でもお上に都合の悪い情報は全て抹消される傾向があって、中国ばかりを責められないとは思う。上下関係と人の和を大切にする几帳面な日本人が、常識外れな人間をイジメ出したらこれまた徹底的で。規格通りでないとOutという徹底した厳格さが、正確&精密な世界一の製品作りに生かされたのだと思うけれど、あいにく人は機械じゃ無いのでね。思い通りに動くとは限らないのですよ。中国は日本に比べるとやたらに乱暴で派手で比較出来ないのだけれど、日本も怖いことでは同じだと思う。しかしながら何でも簡単に消しちゃうんですね中国さん、凄いです。
色々ニュースを拾ってみたところ、発表当日までノーベル平和賞の最有力候補は胡佳()だったらしい。結局受賞したのは獄中の受刑者で。劉暁波氏に対する判決については、引退した中国共産党幹部等が連名で共産党当局に抗議していたらしい。当局に都合の悪い人物は直ぐに軟禁状態になるらしく。劉暁波氏の獄中手記は何やら当局の「やらせ」とも見られる様で、人道的処置を宣伝したい当局に利用されているんじゃないかとか、色々な噂があるらしい。

中国の内部でも相当の軋轢が生じている様で、これを見ると、元総書記の秘書(鲍彤)が、中国政府の価値観は国際社会の価値観と違い過ぎて話に成らないと思わせるだろうけれども、中国は人民の自己責任と努力によって民主化に向かうべきだとか言っている。政府が無責任過ぎて笑ってしまい。それで情報統制しているのだから世話は無く、弾圧しながら人民が自主的に中国を民主化しなければならないとか、人民をおちょくるのもいい加減にして欲しい。徹底的にイジメながら密かに民主化を奨励しているとか言う矛盾を見ると、外側から見る中国はやっぱりごく一部に過ぎないのかなぁ~と思わされる。嘘が上手いのも困りもので、民主化運動に警戒しながら実は共産党内部では確実に民主化に向けて動き出しているのか、いつまで見かけ上の弾圧を続けるつもりなのか、政治改革がどのように表面化し得るのか楽しみではある。

2010年10月8日金曜日

劉暁波氏Nobel平和賞受賞

ノルウェーのノーベル賞委員会が劉暁波氏をノーベル平和賞に選出、亡命せずに超危険な中国に居残って投獄されている人を選ぶなんて大胆な選択だったと思う。中国からの圧力も考慮しつつ、明らかに世界中から中国の独裁を非難させることを狙ってのことと思われ。どうかこれを期に、世界中で中国の非人道的制裁を非難して頂きたい。

もう2年も前の映像になるけれど、新唐人電視台にて、カナダの弁護士が中国人の亡命について語っている。コメディ映画の『非诚勿扰』でも、「友人をアメリカで亡命出来ないように工面したら、帰国した後に家庭内暴力を苦に自殺してしまった」と言って主人公が泣くのだが。中国には物凄い数の亡命希望者がいる様で、国家の暴力でどれだけの人が命を落としているか、考えると恐ろしくなる。reechoのBlogでしょっちゅう登場する台湾人(日本の帝国主義を憎んでいる約一名)も、reechoへのメールで、民主的な台湾と中国の交流が盛んになれば中国が混乱して民主化に向かう筈だと言うのだが。台湾へ圧力を掛ける以前に中国にはとっとと民主化してもらいたいと思う。
三个月成为美国公民不是梦!(三ヶ月でアメリカ人になるのも夢では無い!)---これも亡命指南なのか、非人道的国家から逃げる方法を教えていたりする。逃げたい人は莫大な数に上る筈で。まだ亡命していない中国国籍の中国人をノーベル平和賞に選出した理由も何だか分かる様な気がした。世界中が中国からの亡命者で溢れ返ってしまうのも困るからねぇ、って、それは厭味デシタ。

日本の新聞記事は直ぐに消えてしまうのでコピペしておくことにする。

中国指導部に大きな試練 劉暁波氏のノーベル平和賞受賞
2010.10.8 18:23

 【北京=伊藤正】ノルウェー・ノーベル賞委員会が、中国の反体制作家、劉暁波氏にノーベル平和賞授与を決めた背景には、中国が経済発展の陰で、国民の民主的権利を抑圧しているとの国際的批判の高まりがある。中国政府は「内政干渉」と反発するだろうが、国内でも政治改革への圧力が強まる中、中国指導部は劉氏受賞への対応に苦慮しているとみられる。

 劉暁波氏が平和賞の有力候補と伝わった後、ある中国の知識人は「もし受賞すれば、共産党のおかげだな」と話した。劉氏に対する懲役11年の判決には、世界各国から批判と抗議の声が上がり、劉氏は一党独裁体制の犠牲者、民主化運動の殉教者として同情と共感を集めたからだ。

 1970年代末に改革・開放に転じて以来、中国は経済発展のために、対外開放路線を取り、国際化を進める一方、党に対抗する言論や活動は弾圧し続けた。改革・開放開始直後の79年、一党独裁を批判した魏京生氏を懲役15年に処したのに始まり、89年には、民主化運動を武力鎮圧した天安門事件が起こった。

 魏氏に適用された「反革命宣伝扇動罪」は、97年の刑法改正で国家政権転覆扇動罪と名称を変え、今回の劉暁波氏の罪名になったが、党批判を封じ込める本質は不変だ。弾圧は、言論にとどまらず、党の意に沿わない宗教活動や人権擁護運動にまで及んだ。

 中国の民主的権利や人権の抑圧には、欧米諸国、特に米国が批判し、改善を要求してきた。中国は、公式には「内政問題」として突っぱねる一方、天安門事件の政治犯を「病気治療」の名目で出国させるなど圧力を交わす取引に応じた。

 しかし中国が経済大国化し、発言力を増した近年は、欧米の対中圧力は著しく弱まった。昨年春以降、訪中した米国のペロシ下院議長やクリントン国務長官は人権問題に触れず、中国の知識人層を失望させた。11月に訪中したオバマ大統領も同様で、その翌月、劉暁波氏に重刑判決が出た。

 劉氏へのノーベル賞授与が、中国の民主化や人権問題への国際的関心を高めるのは間違いない。それは中国が軍事拡張を続け、北朝鮮やミャンマーなどの独裁政権と親密な関係を築いていることへの懸念も背景になっている。

 中国は天安門事件後、一党独裁下で、経済は急成長したが、同時にさまざまな矛盾が噴出、社会には不満が充満している。市場経済化に見合った政治改革が停滞し、少数の特権階層が果実を独占する腐敗構造が形成された結果である。

 中国指導部は社会各層から政治改革の圧力を受けており、「08憲章」で一つの方向を示した劉暁波氏の影響力を恐れたのが重刑を科した理由だった。その劉氏の受賞が国内に与える影響は、徐々に大きくなっていく可能性が高い。

 1984年のロサンゼルス五輪で中国選手が金メダル1号を獲得したとき「ゼロの突破」と国中がわいた。ノーベル賞も中国の悲願だが、今回の「ゼロの突破」は国内報道も規制されるだろう。

 経済はじめ多くの分野で国際標準化しながら、普遍的価値観を拒絶する中国を「異形の大国」と表現したのは、ある改革派の知識人だ。劉氏の受賞にどう対応するかは、内政問題も絡み中国指導部の試練になりつつある。
Copyright 2010 The Sankei Shimbun & Sankei Digital


てゆーか、前出の映像にもあるのだけれど、アメリカに亡命した法輪功信者にまで弾圧を加えたりしていて、中国の魔の手は何処へでも伸びて行くらしくて怖いねぃ……。内政干渉などと勝手なことを言わさずに、中国政府の強行と言うか独裁を、世界中で干渉&攻撃しなきゃいけないと思う。

2010年10月2日土曜日

Blackmail

予めreechoが自分の家の前を通ると分かれば、わざわざ見える場所に出て、reechoをじっと睨み続ける人がいる。警告のつもりなのか、人によってはわざわざ通行の邪魔をしようと頑張る人も多い。reechoと仲良くしようとする人は苛められるのが関の山。この近辺は付き合いが狭くて執着気質、ついでに時間に余裕がある人が多いので、そんな念入りな嫌がらせにも熱心になれるのである。reechoが「こんにちは」と挨拶すれば無視するか、少なくともreechoに挨拶することが間違いだと言いたげに馬鹿にした態度を取る人が多い。皆で偶発的に嫌がらせをすれば法律的に問題になり得ないから大丈夫だと思って堂々と嫌がらせをする人が多い。そんな一般市民とは裏腹に、昨日は車に乗った警察官が満面の笑みでreechoを見つめてくれて厭味に見えてしょうがなく。何か脅しに見えることをしたら法律に触れかねないので、「厭味な笑顔」の路線が安全なのだなと思って見た。嫌がられても法律に触れなければそれで問題無いのである。

男女の間柄であれば、相手から親切にされたら、もらえる物を全てもらって逃げれば良いと思う。借りた物の返却を求められたら「捨てた」と言えば良く、しつこく返却を求められたら「ストーカー」と言って警察に処理してもらえば良い。法律的に、別れた異性に対して物品の返却義務が無いならば、貰える物は全てもらって「さようなら」と言えば良く。律儀な日本人にはちょっと不向きな中国風と言うか朝鮮風なのだけれど、嘘であっても貰った物は「全部捨てた」と言えば触法行為にはならないのである。法律はいくらでも悪用することが可能で、これは異性からモテる人は大いに利用出来るんじゃないかと思う。逆にモテない人は、捨てられても食い逃げされても許せる相手以外からは、法律を悪用されないように注意するべきである。世の中は、倫理的にどう間違っていても、法律に触れない人間の勝ちである。
警察の警告にちなんでWikipediaを見ると。

海外
外交交渉などで暗黙の明示や先手を打ち、相手国を強請ったり屈服させたり言いがかりをつけたりすることにより、自国に有利な交渉を展開する際に使用される(一般市民が行えば脅迫となるであろう破壊活動、軍事的攻撃、殺害の予告も、国家やテロリストなどが行えば、どんなに理不尽で残酷なものであっても脅迫ではなく警告とみなすマスメディアが殆どである)。

とある。「強請ったり」ってどう読むのか分からず検索したら、「ねだったり・ゆすったり・たかったり・せびったり」と読めるらしい。ラ行四段活用のみで現在は使われない「もがる(強請る)」もある。ただでさえ日本語は異読が多いのに当て字で読まされてしまうのもちょっとなんだか。
ともあれ国家が行えば脅迫でも警告(warning日本語だけ?)と表現されるそうだ。たとえ合法であっても、先手を打って恐喝した者だけが得をするのはどうもいただけない。皆が皆、法に触れない範囲なら人を脅して従わせようと頑張ってしまうではないか。

一週間ほど前に、帝国主義を嫌う台湾人から
最近中國與日本的關係非常緊張 希望大家都能平安~ 在日本有因為釣魚台的事情讓日本很困腦嗎? 釣魚台本來就屬於台灣為何是中國跟日本在搶奪呢?「最近中国と日本の関係がひどく緊張しているけど皆さんが平穏無事でいられることを希望しますよ~。日本では尖閣諸島のことで悩んでいるんですか?尖閣諸島は、本来は台湾の物なのにどうして日本は中国と奪い合っているんですか?」というe-mailが届いた。(上記について、電子メール公開の違法性を鑑み、遠慮無く告訴して頂きたい。ついでに台湾人から猥褻メールを送られた際に性騷擾防止法で告訴する方法等、自分自身が被害者になった場合の対処方法を研究させて頂きたいところ。)←2010年10月3日追加
全体を通じて大陸の肩を持っている様子で、凶暴な中国と平穏無事に向き合えなんて言うのも腹立たしかったんだけれど。確かに台湾人から見ると釣魚台は台湾の領土で中国は関係無いと思えるらしい。反日感情を高める為に、台湾政府が尖閣諸島は台湾の領土だと大々的に報道して国民を煽っている成果である。尖閣諸島の前に台湾本土が中国の領土では無いことを主張すべきだと思うが。それは台湾が独立国家として中国政府からの離脱を主張することで、大陸からの「警告」が大変危険であるから慎まなければならないらしい。それで台湾人は何故日本人に対して、釣魚台は台湾の領土だと主張できるのか、日本が恐いから日本を攻撃するのは慎まなければならないと言える人がいたら教えて欲しいス。マジで。

独立するなら武力行使も辞さない、と言う中国、益々強大化する軍事力&非人道的制裁を放置してはならないと言うのに、日本アメリカその他大多数の国々では、中国との国交を大切にして中国を尊重し、中国の言いなりになって台湾を国家と見做さずそのまま見捨てるつもりらしい。独立した政府を持つ台湾を、日本が国家と認めない根拠となっているのが日中共同声明の(二)と(三)
(二)日本国政府承认中华人民共和国政府是中国的唯一合法政府。
訳:日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
(三)中华人民共和国政府重申:台湾是中华人民共和国领土不可分割的一部分。日本国政府充分理解和尊重中国政府的这一立场,并坚持遵循波茨坦公告第八条的立场。
訳:中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。

で、ポツダム宣言第八項に基づく立場とは「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」だそうである。ついでに最新判例によると、「国際法上条約としての性格を有することが明らかな日中平和友好条約において,日中共同声明に示された諸原則を厳格に遵守する旨が確認されたことにより,日中共同声明5項の内容が日本国においても条約としての法規範性を獲得したというべき」らしく、声明が法律としての効力を発揮していることが確認される。他の項についても同様に法的拘束力を持つならば、日本は中国の立場を十分理解し、尊重し、台湾を中国の領土と見做さなければならず。どんなに凶悪な国家と調印した声明であっても法律として機能している以上、正当な民主国家である台湾を国家と見做すことが許されないのである。(この段落は10月3日に大幅に変更を加えた。reechoも知らないことが多かったので。)国家間の取り決めで国民が蔑ろにされるのは、何も台湾に限ったことでは無く、民主主義とは名ばかりの、お上の為に動くことしか許されない封建主義&独裁の傾向がまだまだ強い日本でも多く見られると思う。戦争は、まだ終わっていないのである。国家の利益の為に国民が蔑ろにされるのは、中国・台湾でも顕著で、国家の都合で国民が翻弄されるのは甚だ迷惑だと思う。

中国の警告は、しばしば非人道的脅迫によって行われる。従わなければ危ないから皆が従う、強いから許される、と言う中国の現状を、諸外国及び中国国内の人々はどこまで許し続けるつもりなのか。暴走し続ける中国を脅迫して従わせられる国が無ければ、中国はどこまででも暴走を続けるんじゃないかと思う。
blackmailとは、法律用語で「恐喝で得た金品」の意味らしい。(goo辞書)
非人道的措置によって得をし過ぎている国を戒めるには、他国が一同に協力して、合法的に警告及び恐喝する方法を真面目に考えておく必要があるかも知れない。周りを見てみると、被害を受けそうな人こそが懸命に強請る(1 異議を申し立てる。逆らう。 2 言いがかりをつけて金品をねだる。ゆする。たかる。)ことを、日本政府が奨励している節もある。reechoも権力者による都合の良い警告・恐喝及び人権の略奪に負けず、自分自身が合法的に警告する術を学ばなければならないと思う。
例えば世界を牛耳ると言われるユダヤ人にしても、恐れられる工夫によって権力を得たのであり。脅せない人間は馬鹿にされるだけだから、馬鹿にされたくなければ巧妙に執拗に、そして合法的に脅すことが大切で。尊重されるって、そんなにたやすいことでは無いのである。

2010年9月5日日曜日

地区体育祭



9年ぶりに地元の体育祭に参加した。運動会の3週間くらい前に公会堂で選手決めがあるのだけれど、欠席の連絡も入れずに選手決めの会合を勝手にすっぽかしたら、選手決め当日夜に「60m走に出てくれない?」と、まだ公会堂にいるらしき地区体育委員の奥さんから電話が掛かって来た。人数が多いから連絡入れなくても勝手にすっぽかせるかと思っていたreechoの考えが甘かった。25-35歳の女子って、妊娠しないと困る人々ばかりな訳で、体育祭に参加出来る人の変動は確かにある筈なのだが。うちの地域はそれでも人数が多い方で、子供連れでも無い未婚の女子は基本的に恥ずかしがって運動会に出て来ない。reechoも、2000年の第1回市町村対抗駅伝大会で、菊川町の一般女子補欠選手として駅伝に参加した年を最後に、一度も体育祭に参加しておらず、運動不足も重なっていてちょっと嫌だなと思ったのだが。これを機にまた熱心に「走る」ことにチャレンジして見ようかと思い立った。3週間前の話である。
だいぶ長い間走っていなかったのでジョギングから始めたけれども、筋肉が落ちてしまって足が全然動かないので困った。ちょっと無理して動かそうと頑張ったら左足腿の後方がコブラ返りと言うか、肉離れの一歩手前?みたいな症状になってしまい、3日間くらい激痛が続き、歩くのも辛くなり。今度はその筋肉を使わずに走ろうと試みたところ、右足腿の前方が痙攣して激痛が続き、走る度に筋肉が肉離れ寸前の状態になるのでどうにもしょうがなく。右足腿前方は、家族が見ても腫れ上がっている状態で、病院に行く程深刻では無いけれども運動会に出るのは苦しいかなぁ~と思った。けれども、ともかく暫く休んでから、とりあえず運動会当日だけは、出るだけ出て見た。筋肉は攣ったけれども別にどうにもならずに済んでほっとした。

reechoの出身の小学校、最近見た9年前と比べれば、運動場の危険な遊具が減った気がする。reecho等は危険な遊具から落ちて怪我をしながらも、危険な程にスリリングな遊具で体も心も鍛えられたつもりだった。1学年1クラスずつしか無い市内で最も小さな小学校だけれど、促進住宅も出来て新しく入って来る人も多い筈なのに、reechoが小学生だった頃から子供が増えた様子は無く、1クラス30人を超える学年が無いんじゃないかと思われる程。


フライング

中学生は100m走。

田舎者は真面目だな~とひたすら感心した。こんなにクソ真面目に汗水垂らす人々って、都会では滅多に見られないと思う。人間関係が薄くてあっさりした付き合いしか有り得ないからかも知れないけれど、都会の人は激しくぶつかり合うとか醜い姿をさらして競いたがらないと言うか、ぶつかり合いを避けるのが上手くて、何だかいつもスラリと爽やかにしている印象があり。田舎者は垢抜けなくて野蛮と言ってしまったら終わりなのだけれど、実直に顔を歪めて歯を食いしばり、形振り構わず競技に没頭するのが感動的と言うか、本気で戦って負けて悔しがるのも野性的で。クソ真面目に全力疾走する人達を見て、また真面目に走る自分も再確認して来て、毎日の生活でもまた懲りずに全力疾走にチャレンジするべきだよな~、と思った。全力と言ってもたかが知れているのだけれど。覚えたら片っ端から忘れて行く弱い頭と格闘!しながら、何とか中国語を習得しておきたいと思う。


参加賞はクレラップ。弱りゆく頭も体も、それ相応にビシバシ鍛えておきたい。

2010年9月4日土曜日

生き地獄

reechoの地獄の様な人生が始まったのは、reechoが小学校5年生の時に、母が西式健康法及び甲田式健康法というものを始めた為である。悪いのは、自分だけでは飽き足らず、私にまでその食事療法を始めさせてしまったことである。良いと思ったら一途に一本道しか見られなくなる母のこと、徹底的に食事療法を守らせようと必死になった。その食事内容は、上のリンク「甲田式健康法」の食事療法の2.にある様に、

朝 青汁、1日1.5Lの水(食事中と食後3時間は取らない)
昼 玄米1合 豆腐200g ごま10g 塩5g
夜 昼と同じ

というもの。reechoの場合は、朝は青汁のみ、昼と夜は玄米と豆腐と塩・黒ゴマペーストと昆布粉・僅かな人参orかぼちゃの煮物だった。小学校の時には毎日たらふく食べられる学校給食があって、お弁当持ちなんて考えたくも無かったのだけれど、ともかく母は学校教員を説得してreechoを毎日お弁当持ちにさせたのである。

reechoは幼少期から、母の作った料理を食べたことは殆ど無かった。常に母の母である祖母が料理していて、基本的に明治、或いは江戸時代の家庭料理だった。江戸時代と違うのは、卵と肉が多くなるだけである。reechoは肉や卵を使った洋風の料理が好きだったけれども、元々洋風の料理は極めて少ない家庭だった。祖父は質素な食事が更に質素になるのを嫌がって頑として食事療法を始めなかったのだが。祖母は食事を作る手間が無くなるから、という理由で大喜びで食事療法を始めてしまった。食事に手間を掛けたくなくても、だからと言って食事療法をする必要は無いのだが、作る喜びの皆無な人間にとっては、食事を作らないことが正当化される、こんなに有り難い物も無いらしかった。それまでの家庭料理では、一週間に一度だけ、土曜日の昼間にラーメンを食べられるのが一番の楽しみだった。毎日スイミングスクールで3kmは泳いでいたreechoは、家の食事よりずっと美味しくて栄養価の高い給食でやたらに沢山食べていた。常にクラスの中で一番多く食べていたと思う。それが無くなるのは辛かった。大阪の甲田医院でreechoに課せられた食事は、量が極端に少なくて、当時消費カロリーが一般の子供の2倍必要だったreechoには堪え難いものだった。

あっという間に5kg痩せた。体力ががた落ちし、スイミングスクールも辞めた。学校でのマラソンも見学するようになった。家庭科の時間も何も食べずに待っていた。何故そんなことをやらせるのか、と周りから不審に思われても、「私は体に良いことをやっている」と信じて食事療法を続けていた。家庭内で、規定外の食べ物を口にしようものなら恐ろしく叱られた。どうしてこんな物を食べるのか、とreechoが食べていたピーナツを母から床にぶちまけられたことがある。reechoはその床に落ちたピーナツを拾って食べ続けたけれども、母はカンカンになって捨て去った。塾に通い始めるまでは小遣いも一週間に百円と恐ろしく少なかったから、食べ物を買おうにも買えなかった。静岡市の塾に通い始めて小遣いが増え、それでも一週間に500円だったけれど、出来る限り買って食べていた。reechoの中学の同級生には、塾の近辺のマクドナルドでハンバーガーを買って食べていたreechoを知っている人が少なくない。

食事療法の為だけに中学を受験した。一般の公立中学は給食があるから、お弁当持ちの中学に行かせれば良いと考えられた訳である。落ちて皆と同じ公立中学に通えば良かったと思う。美味しい給食が食べられればそれだけで幸せだったけれども、恐らくは公立中学に入ってもお弁当持ちを続けさせられたに違い無い。何が恐ろしいかって、自分が良いと思ったら一途に信じ込んで疑わないことである。小学生の時に母が、他の父兄に向かって甲田療法を勧めたことがあったけれども、うちの子は嫁に出すから何でも食べられないと困る、と言って断られたそうだ。

中学では栄養失調で毎日ヘロヘロになって通っていた。担任が家庭科の教師で、口には出さないけれども食事療法には真っ向から反対する立場を崩さなかった。母が強制しているとしても、reechoがダイエットしたいから、或いは好き嫌いが激しいから自分で勝手にそんな食事をしたがっているのだと勘違いされ、生活面での指導が不必要に厳しくなっていた感じがある。だるいから、という理由で何事も怠けるようになり、別に食事が可笑しいからという理由だけでなくても、充分に指導材料は多かった。指導されてそのとおりに従う為の体力も無く、学校を休みがちになった。欠席日数は多く、進学校を目指す気力も内申も無かったから、ただ入れる高校に入った。高校では給食が無く皆がお弁当持ちだったが、初めてreechoのお弁当を見た友達から「何それっ!?」と仰天された。説明するのも面倒だったし、そんな食事を続けるのも苦痛だった。高校を辞めてから、自宅に引きこもってひたすら家の中の食糧を食べ尽くすのが日々の日課になった。吐いてでも食べて食べて食べまくり、近所の話題になった。reechoを見れば咳払い攻めにする人が多くなった。それでも食べて食べて食べまくった。誰が5年間もこんな食事療法に我慢出来るのか、reechoが我慢出来ない我侭な人間だと思う人に強制させて、その人が我慢出来なくなるのを楽しみに眺めて見たいとすら思った。食事療法で実際に体力を失い、物を食べられなくなり、痩せ細って普通に動くことが難しくなった母を尻目に、今でもreechoは食べ続けている。

失った物は非常に多かった。体力を失い、友達を失い、社会的地位も信頼も失った。それでも毎日食べられる、それだけが今現在のreechoの喜びであり、生きる希望である。働かざるもの食うべからず、ではなく、食わざるもの働くあたわずである。

reechoが見たところ、何故か家庭で自由に食べて来られた人程、社会に出て上手くやっていると思う。野菜が一切食べられないと言う偏食者が、何故かきちんと家庭でしつけられている人に比べて、社会での適応能力が高いことに驚いたことがある。家で厳しいと、家庭のルールを守るのが手一杯になり、家の外でのルールを受け入れる余裕が無くなるのではないかと思った程である。家で厳しく躾ければ社会でも上手く躾けられるというのは、厳し過ぎない家庭でしか通用しないと思う。徹底的に家庭の戒律で洗脳されてしまうと、家庭が絶対的で社会での規範を受け入れ難くなり、余程器用に家庭での戒律から抜けられる人間以外、社会に適応出来ないのである。家での躾けはとても厳しかったけれど、社会でも何も問題なくやっている、と言う人は、飽くまでも家庭での躾が社会的に見て至極「一般的」なものだったということに、感謝するべきだと思う。

2010年9月2日木曜日

長寿


一昨年の9月に、満99歳の「父の母」と撮った写真である。両親が離婚して、父も父の親の顔も全く知らずに育ったのだけれど、父親の家は母親の家よりずっと金持ちで、ゆとりのある生活を送っているせいか生活苦を感じさせない余裕綽々の顔をしている祖母。金持ちだったら長生きも悪くないのだな~、と思わされた。貧乏人が長生きって辛いよ、本当に。社会的地位が高ければ優遇されるけれども、社会的地位が低いとずっと虐められっ放しだから、毎日が死ぬほど大変だと思う。高校中退で仕事も無くて、反社会的に見えるからと言う理由だけで、何か近くで事件がある度、無闇矢鱈に疑われて困る哀れなreechoである。
神社でお賽銭が盗まれればreechoじゃないのか、近所でパソコンが盗まれればreechoじゃないのか、子供が轢き逃げされればreechoの車じゃないのか、母の友人宅で火災があればreechoが放火したに違い無いなどなど、どう頑張っても出来ないことまでreechoのせいにしておきたいらしく、何でもreechoのせいにしてすっきりする人達に囲まれて、猛烈に苦痛な日々を送っている。
挫折の多い人ほど社会に対して悪意を持ち易いに違いない、劣等感の強い人ほど自尊心をかなぐり捨てた悪事を働き易いに違いない、みたいな偏見は、恐らく誰でも持ち易くて納得し易いのだと思う。そして仲間外れほど誰も味方しないから罪をなすり付けやすく、大勢で非難し叩きのめすのも容易なのである。一糸乱れぬ後ろ指で刺し殺されんかな、と密かに期待されながら、reechoはそんな一見善良な人々の「悪意の欲望」といつまででも戦い続けたいと思う。世間は社会的弱者に対して、どこまでも差別的で残酷だから、ともかく弱者にならないように、挫折しないように、社会を怨まないように、まだ挫折していない人にはくれぐれも挫折しないよう、仲間外れにならない様、懸命に努力し続けて欲しいと思う。

2010年8月28日土曜日

児童虐待

何が虐待かって、普通に厳しくしつけていたら虐待と言われます、とか言うのがありそうな気がするんだが。reechoも8歳くらいまでは毎週の様に祖父から殴られるとか蹴られるとか、泣き叫ぼうが何しようが言うことを聞くまで徹底的に叩きのめされて来たし、それが虐待と言われたら分からず屋をどうやって従わせるのか知りたいくらいで。特に活発で我侭なreechoの様な子供ならば、話しても言うことを聞かないのは日常茶飯事で、言葉で優しく注意するだけで大人しく従う子供しかこの世に存在しないかの様な、幼児虐待徹底処罰はどうも難しいと思う。
お蔭様で高校入学早々に、教科書ガイドを教科書と間違えて学校へ持って行き、数学の時間に教科書だと思い込んで開き、先生からいきなりその教科書ガイドで頭を叩かれて即刻自主退学してしまったreechoなのだが。幼少期に叩かれ続けて暴力に対して免疫が出来て我慢強くなっていたのかと言えば、暴力に対するアレルギーが発生していたと言うか、ある意味暴力に対して必要以上に反逆的になっていたのも情け無い話で。話したことも無いのにreechoが「話しを解する人間に見えない」と勝手に判断され、即座に暴力を振るわれるのも至極迷惑な話なのだけれど。教員が「reechoが怖そうだったので自己防衛でした」と言うならそれなりに許せるところ、問題なのはともかくreechoが誰から見ても明らかに阿呆なことなのである。

それで、暴力で問題にされるのが特に、片親と無職、パートタイマーに派遣社員、或いは低学歴・低収入の社会的地位の低い人ばかりと言うのも問題だと思う。学校の先生等の社会的地位が比較的高い人は問題にならず、社会的地位が低い人間ばかりが「指導対象」としてマークされるのである。地位の高い人及び金持ちは、名誉が傷付かない様に更に権力を振るうことが出来、逆に社会的に権力を振るえない弱者ばかりが幼児虐待に走るのは、あまりにも弱肉強食で哀れだと思う。社会的弱者は危険だから子供を作らない方が良いと言うのも何だか皮肉である。

例え貧乏人の子供は貧乏人のままであり続けるとしても、子供に頼らざるを得ないと考えられる貧乏人ほど子供を生みたがるし。裕福で計算高い人ならば、自分より貧乏な家と繋がったら損だから結婚しないとか、お金さえあれば老後子供の世話になる必要は無いから、子供はいなくて全然構わない、極論すれば世話の掛かる子供なんかいない方が楽な訳で。自分より貧乏な人と結婚し、子供を作って損をしないのは、どうしても跡継ぎが必要なお家柄か、或いは家庭と子供によって豊かになれる人だけである。子供で得をしようなんて言うのがそもそもおこがましいと言ったらそれまでだけれど、その人が人間的にどれだけ豊かになれるのか、金銭的に換算出来る問題だけでは無いことを期待したい。

ただし、貧富の差よりも精神的差別が激しい日本では、弱者が餌食になる可能性が高いから児童も危険だとは言えると思う。我侭な社員を入社させない企業が多いのと同様に、言うことを聞かない子供を育てたくない日本人が多いことも事実である。そもそも世話をするのが面倒だし、反逆行為を恐れているのは保守的な企業ばかりでは無い筈だが。それで一体日本人がどの様に子供を増やし得るのか疑問である。弱者と平等に対等に接することが出来る日本人も決して多いとは言えず。言って見れば児童虐待も権力者の都合による一種の差別の表現であって、差別意識の強靭さを常日頃あちこちで見せ付けられて来れば、日本人の根強い弱者蔑視及び虐待が無くなるのを期待するのは、そもそも無謀ではないかとさえ思う。

2010年8月15日日曜日

よそ者

昨日夜8時からのNHK総合テレビで-日本の、これから-「若者が考える日韓の未来」を見た。20人ずつくらいの日韓の若者がスタジオで向かい合って、日韓の政治・経済・文化・歴史等について討論する番組で、結構面白かった。韓国の文化について、韓国では、男性同士が一つのアイスクリームをかき混ぜながら食べ合うとか、同性愛者でも無いのに抱き合って同じ布団で寝るとか、日本では家族でもそんなにべたべたしないと思う様なことが紹介され、親しい間柄の人間関係が、韓国では日本人の考える家族以上に親密だと思った。遠慮の無い文化と言ったら良いのか、「親しい人は皆家族」という発想が、よそよそしい人間関係を嫌うらしい。韓国人から見れば友達と共有しない人は親しみが無い、親しい付き合いを嫌がっているみたいだと思うらしく、食堂で一人で食事すると何て寂しい人なんだと哀れまれてしまうらしい。一緒に食事しても割り勘にする日本人を見て不思議がる韓国人について、京都大学の小倉紀蔵教授がコメントしていたけれど、日本人と違って割り勘をしない韓国人は「蓄積型」と言われるそうで、直ぐに借りを返さずに貯め続けたお金は、いつか自分が豊かになってから還元すれば良いと考えられるらしい。日本人は、人に借りを作ると極端に恐縮してぎこちなくなったり、借りを返すまでは頭が上がらないと思ったりするのだけれど、韓国人は遠慮の無い関係にこそ親しみを感じるらしい。

韓国では日本の「勉強する」を「공부하다(工夫する)」と言い表すだけあって、さすがに皆が皆それぞれに工夫すると思う。さまざまな工夫の結果、急激な変化を伴う企業改革や政治改革、体制の変革が出来るのかなぁと思ったりする。韓国人特有の短気な性格、「パルリ、パルリ(발리!발리!)」と言う気ぜわしない活動方針によるのかとも思うけれど、韓国人は静かな日本人に比べて行動派が多いと思う。日本の様に組織が硬くないのもそれぞれの気ぜわし無い性格と不断の工夫によるのかも知れない。中国語で「無理強い」を意味する日本語の「勉強」が、もし「工夫」と表現されていたならば、日本人はもっと楽しんで一人一人が工夫する様になっていただろうか。

韓国人は、人前で自分の意見を述べることが好きな様で、韓国の授業はやたらに個人のプレゼンテーションが多いらしい。日本人が控え目で目立たないことを好むのに対し、韓国人は人前に出るとか目立つことが好きな雰囲気がある。日本では、大人しくて従順でなければ、しつけられていない子供と思われる様なところがあって、大人しいことが大人らしく、それこそが人間的成熟だと考える文化がある。しかしこれを改めない限り、活発な意見発表も意見交換も喧嘩も、皆「五月蝿くて子供っぽい」と感覚的に片付けられてしまうんじゃないかと思う。島国という地理的条件から部外者との交流も乏しく、仲間内だけで全てを完結させる「村意識」も強い。その点で中国人は部外者との付き合いに慣れていて、変わり者の扱いが上手い。reechoも変わり者として、変わり者の扱いが上手い中国人にどれだけ救われたか分からない。日本人が中国人程に、部外者及び変わり者と付き合うのが上手になるのは歴史的に不可能としても、これからの国際社会で「変わり者及び部外者絶対お断り」を貫くのは結構難しいんじゃないかと思った。

中国備忘録を読んで気になったのが「人と違う道」の②と③。留学すると協調性がなくなると信じられているのか、世話するのが面倒だと考えている日本企業の器の小ささがみみっちい。「外の経験を持っていると、会社内の矛盾とかに気づきやすくなり、将来反乱分子になりかねない、と恐れている。」「何も知らないまっさらな人間の方が教育(洗脳)しやすい」というところ。ははぁ、立派な経歴を持つ人でもそんな風に思われているんだなぁ~と嫌々ながら納得させられてしまった。最近テレビで京都大学の教授が、「最近の若者は留学を嫌がる」とぼやいていたらしいけれど、留学すると日本で就職し難くなると言うのはデマでは無いらしい。

日本では向上心の強い野心家が生意気だと思われ、保守的な組織では潰され易いらしい。流動性の無い日本の社会が、既成の習慣に刃向かう人間に嫌悪感を抱き易く、敷かれたレールから外れる人間を企業側がどれだけ嫌悪しているか、反逆を心配し、被雇用者を従順に従わせる為だけにどれだけ神経をすり減らしているのかが窺われる。「勝手に工夫しない人」「枠からはみ出さない人」「自分の意見を言わない人」が日本の企業にとっては重要らしい。ただ自分の手足になって働いてくれれば良く、頭の意思に背いて勝手に手足が動き出してしまっては困るのだ。別に大企業でなくても、一般の企業ではただの手足が必要なことが多く、自分の頭で勝手に動かない、常に上の意見を伺う謙虚な姿勢が日本では重要らしい。向上心が強くて自己主張の強い人には外資系が人気と言われているけれど、hihi64さんはまたどうして日本に拘られるのか、意外に強固な保守性で書かれているhihi64さんのBlogを、これからも楽しく拝読させて頂きたいと思う。

2010年8月9日月曜日

仲間外れ

日本人は、組織の中に入ってその組織の一部として働くようになると、自分が所属する組織を客観的に分析することが出来なくなるきらいがある。その組織の一部であることに不満を持ったらそこに存在することが苦痛になるだけだから、その組織の良い所だけを見て自分の立場に満足しようと努力するのではないかと思う。現状に甘んじられないならば、自分がその組織を内部で変えるか、その組織から外れるか、つまるところ、仲間はずれになる以外に道は無くなるのである。日本人、仲間はずれに弱い。上下関係が厳しく、服従を強いられる組織において、もしその組織に逆らうことを言ったら、いじめに遭っても不思議は無い。日本での仲間はずれは単なる孤立では無く、組織の存続を脅かす者への制裁・リンチという「反逆者撲滅運動」が付いて回る。なぜ皆が一斉に同じことをしなければならないのかと言えば、稲作によって生活を営み続ける以上、皆で一斉に仕事をするのが最も効率が良いからである。一糸乱れぬ共同作業を旨とし、団体行動を乱す者を叩き続けることによって、初めて組織の生活が安定的に営まれると考えられる。組織から外れる者を厳しく取り締まらなければ生命の危険を感じるのが日本人である。仲間から外れたら生きていけないと思う日本人が仲間はずれに弱いのは、歴史的に生半可な理由に因るものでは無い。

韓国人は、他の人と一緒でなければ外食しない。日本人が一人で喫茶店に入ったら怪しまれて警察を呼ばれ、事情聴取を受けたと言う話が、韓国の政治経済に関わる対談形式の本(名前を忘れた)の中にあった。韓国では、一人で外食する人が怪しまれるのである。食べ物を共有するのは当たり前で、残飯の再利用が問題になることがあるらしいけれど、ともかく韓国人は、食堂で孤独な食事をしない。同性同士が手を繋いで歩くのを見て変だと感じる日本人のreechoだけれども、日本人よりも韓国人の方が、連れ立って行動するとか、人と物を共有することを好む。仲間意識や共有する感覚も日本人より強いだろうと思う。親しい人と物を共有しない、或いは人と連れ立って食事をしないことは、韓国人にとっては「異常」な光景なのである。仲間はずれだから異常なのではなく、ただ一人で食事をすることが異常な事態と見られるらしい。同じ感覚を共有しない人間には分からない、暗黙の常識がそれぞれの組織にあるのだと思う。

台湾へ行って見て、初めて現在の日本にあまり精通していない台湾人と知り合い、一般の台湾人が日本をどう思っているか知ることが出来た。台湾人が日本人をどう思っているかと言えば、天皇を崇拝し、その信仰を自分の支配する国の人々に強制し服従させ、日本が一番でその他は劣等であるという強固な信念と確信に満ちた、威張り腐る石頭である。日本人は、負けるという疑いを絶対に持ってはならなかったのである。
戦前の台湾人或いは朝鮮人にとっては、信じたくも無い日本の神への信仰を強制され、天皇に対する絶対服従を強いられ、しかもその組織からは逃げることが許されなかったという事実がある。極端な例を挙げるとすれば、その支配は台湾人・朝鮮人にとって、現在の日本人がオウム真理教への入信を強いられ、オウム真理教からの脱退が許されず、極悪非道な殺戮に加担させられたのと同じくらいの衝撃と怒りを持って非難されると思った方が良い。例え日本人によって自国に富がもたらされたという事実があったとしても、その支配による精神的苦痛を考慮した場合、現在の日本人が「自分は潔白だ」等と言おうものなら、浅原被告の「私は潔白だ」の発言を連想させる、無責任で残酷な発言と思われても仕方なく、また「まだ天皇を崇拝しているんですか?」と平気でreechoに聞く台湾人の中には、それ相応の厳しい反日感情があると考えられる。

しかし逆に、天皇への崇拝を強制した日本人が何の罪も感じていないのも当然である。それが自分たちの信仰であり、強制することを自分たちが強制されていたのであり、そうしなければ殺される日本人に何を言っても無駄である。命懸けの信仰には、それ以上に命懸けの抵抗と攻撃が無ければ、うっかり従わされてしまうのではないかと言う恐怖が、まだ台湾人の心の底にはある。だから現在も台湾人は、強烈な頑固さで執拗に、日本人の信仰と上下関係に対抗し続けるのである。考えて見れば、現在の改心した日本人がどういう考えであろうとも、過去に被害を受けた人々にとっては関係が無い。彼らにとっては被害を与えた日本が全てなのである。組織に服従させようと頑張った日本人が、台湾人・韓国人にとってどれだけ迷惑だったか、そして日本人にならなければならなかった台湾人がどれだけ苦痛を強いられていたか、皮肉にも日本に実存する新興宗教に例を見る思いである。小学6年生で家族が一斉に入った新興宗教に、入りたくなくても自動的に入らされていたreechoがこんなことを書くのも滑稽なのだけれど。

日本の神を崇拝し、天皇に服従することを誇りに思った、完全に洗脳され、また現在も洗脳から醒めたくないと考える台湾人に対しては、日本人と同様に謝罪が必要無いかも知れない。しかし、盲目的に親日的な台湾人は別として、洗脳を受けていない或いは洗脳から既に醒め切った台湾人に対しては、日本が過去に台湾人に対して宗教を強要したこと、天皇への絶対服従を強いたこと、そして帝国主義支配の拡大に無理やり加担させたことを侘びなければならないと思う。まるで元オウム真理教の信者が侘びる様に、日本人が心から懺悔し念入りにお詫びをしても、台湾人及び元朝鮮人は納得しないと考えた方が良い。自分が信じたことが間違っていたことを認めることも難しく、そもそも客観的に日本を分析することすら躊躇われる日本人のreechoだけれども、自分の所属した組織が誤った道を歩んでいたこと、そして自分が信仰していたものが間違っていたことを認めて謝罪しなければならないと思う。間違った信仰を広めようとして迷惑を掛けた人々に、reechoは今、心からお詫びしたい。m(_ _)m 許されると思ったら大きな間違いだと思うけれども、少なくともreechoは、許されるまで被害者に謝罪を続けたいと思う。

2010年8月3日火曜日

尊厳

2010年7月25日発行の中央大学学員時報に、「中国の広告とインターネットの実態」という本が宣伝されていた。恩師が書いた本ということで見てみたくなり、衝動買いしてしまった。

「私」を「わたし」と表現したり、「です・ます調」の中に「だ・である調」を混在させたり、何だかわざとすっとぼけた感じの「まえがき」を読んで、別人が書いているのか別人に成りすましているのか、と思わず目を疑ってしまった。もう定年退職しても良いくらいのお婆さん先生だし、とやかく言うのも迷惑かと思うんだけれど。論文の内容にも校正不足と思われる脱字や「です・ます調」と「だ・である調」の混在が見られ。こちらの「最後に一言」にあるように、「今ひとつ統一感に欠けた構成となっている」のは、林惠玉先生の論文をそのまま載せているだけだからで、統一感に欠く研究内容を一冊にまとめようと頑張ったところにそもそもの問題があったのかも知れない。その突拍子の無さというか手抜き加減と言うか、適当なところが中央大学らしいと思ったreechoである。
衝動買いということで、はてな経由での購入の1人は紛れも無くこの私である。安い中古商品がまだ出回っておらず、送料を含めたら新品をAmazonで買うのが経済的かと思われ。佐川急便のメール便で注文日からたった2日で到着。大学時代を思い出して思わず笑ってしまう一冊だった。多分、このSIMPLETONさんの「臨時読後感」を読んでいなかったら衝動買いにまで至らなかったと思われ、SIMPLETONさんの素敵な文章にひたすら感謝。屈曲した精神構造を全く感じさせないSIMPLETONさんの謙虚さは、最高学府を出ていないと無理っぽい気品あふれるもので。reechoも下品な文章ばかり書いていないでこの様に上品な文章を見習いたいと思った。

在学中は、とりあえず授業でお世話になった先生の書いている本や論文は極力全てに目を通すことにしていた。別にそれで教員の性格が分かるものでも無かったけれど、研究の傾向を知っておけば、その教員独自のアプローチの仕方や、主義主張とか偏見なんかも見られるんじゃないかと思ったもので。より興味深く授業を受けられるということもあるし、嫌な授業を受ける際には、その独特な主義主張を批判的に傍観すれば良いわけで。林先生の論文は、当時の中央大学図書館にはまだ台湾のラジオ放送に関する論文くらいしか無かったように思ったけれど、歯切れが良くて勇ましくて、男性的な凛々しさを感じさせる論文だなぁ~と思ったのを覚えている。つまり、論文ではこの本の「まえがき」の様にしおらしく無いのである。
授業では、飴を配ることで有名だった。不二家のミルクキャンディーとかそんな類の甘いお菓子を授業中に生徒に1個或いは2個ずつ配るのである。単位が取り易いことでも有名だった。優しいと言う噂を聞いていたので、reechoは丁度経済学部で2004年度から可能になった第3外国語の履修で、林先生のお世話になった。外国語基礎科目における授業の自由な選択は、第3外国語でもない限り出来なかった。「まえがき」に登場する斎藤道彦先生は厳しいことで知られていて、斎藤先生の上級中国語では、授業で毎回中国語の新聞(白文の長文)を一人ずつ音読させ、つっかえたり発音を間違えると単位が取れないと噂されていた。反対に林先生は極めて易しく、どんなに出来ない生徒でも単位が取れる様、難しい問題は一切出さず、reechoが大学4年で履修した上級中国語の授業では、「調味料の宣伝を中国語でしてください」とか。辞書を使うのも自由。黒板に平たい箱を書いて「これが調味料です」とか言っている。きっと当時、先生は丁度中国での日本車とかペンキの広告についての論文を書き終えたばかりだったに違いない。些細なことで傷付くナイーブな中国人を尻目に、当時の授業を思い出しながら楽しく拝読した。

気になったのが第二章の最後。

 最後に「尊厳」と「尊敬」について,一言述べておこう。「尊敬」という感情は,他者に要求して得られるものではない。みずからの言動の高さが尊敬に値すると他者から認められた時,他者から与えられるものである。他者に対して自己の「民族の尊厳」を大切にするよう要求する人が痰でも吐き散らすように他民族を「チビ日本人」「劣等民族」,「犬」,「豚」と罵り散らし,自分の「尊厳」だけを要求して他者の「尊厳」などどうでもいいと考えるような自己中心的な主張を続けていれば,これが「中国文化」の地金なのだと思われても仕方あるまい。他者から「侮辱」されているという感覚には「侮辱」過敏症とでもいうような精神構造の歪みが認められるが,これは国際社会では滑稽と見られ,中国人と中国文化の名誉をみずから引き下げる効果しかないことを憂慮せざるを得ない。

らしい。何かにつけて他民族を侮辱すると見られている日本人が不憫なのだが。中国人や韓国人が日本人を侮辱しても、のんきな日本人は中国人or韓国人みたいに烈火の様に怒らないし。差別されたり侮辱された経験が少ないから、或いは自信があるからへらへらしていられるだけなのかも知れないけれど。侮辱に対して過敏になる程に屈辱や劣等感を強く感じられるようになれば、自分が傷付かない様、相手に自己を尊重させる様、劣悪で非道な手段を用いてでも自分に頭を下げさせようと頑張るんじゃないかとも思うけれど。歪むなと言っても、既に歪み切った滑稽な精神構造を、誰もどうすることも出来ないのではないか、と。

中国の偏った愛国心と情報統制に着目した内容で、保身の為に中国がどこまで我侭を押し通すつもりなのかと読者を心配にさせる。さすが元秘密結社系の独立運動家だけあって、綱渡りのようなスリリングな論調と正義感に満ちた中国バッシングが見物である。中国を叩いてすっきりしたい人には是非ご一読をお勧めしたい。

2010年7月24日土曜日

Taiwan-Mex

TaiwanMexのreechoが300元で泊まったところ、今はどうなっているか知らないけれど、当時は台北當代藝術館(日本語の案内)から数十歩のところだった。


台北当代芸術館、朝は法輪功の信者らしき人が入り口付近でゆらゆらとポーズを取っている。当代芸術館を北へ行くと、中学校の入り口。写真は登校前にコンビニで買い物をする中学生、台湾では中学生も登下校中に自由に買い物が出来るらしい。上下トレーニングウェアーで登校することも可能らしく、場所によっても違うだろうけど校則ってかなり緩そうな感じ。


台湾は比較的学校の建造物が綺麗なところが多い気もする。建成国中も、随分中学校としては立派な建物だな~と思ったら、元々日本の建造物で台北當代藝術館と繋がっているそうな。TaiwanMexは、その台北當代藝術館から東に50mほどの交差点南側、ファミリーマートのあるビルの最上階。そしてベランダに簡易式シャワー室。




reechoが泊ったのは300元/人の4人部屋。

ドミトリー入り口から撮る。
眺めは良いし涼しいし、熱中症で丸2日間TaiwanMexで寝込んだのだけれど、本当に心地良く休めた。冷蔵庫も自由に利用出来て、調味料&調理道具完備のキッチンで料理をしようとすれば勝手に料理が作れて、シャワールーム右側の洗濯機利用も自由。昼間はキッチンで管理人の母親に当たるおばあさんが実際に料理を作って食事しているし、夕方は孫がリビングのパソコンで、大音量でゲームを楽しんでいるし、まるで台湾人一家の家にホームステイした気分になった。


 
TaiwanMexの真向かいで当代芸術館の横に位置する四海豆漿大王は安くて嬉しい。菜包は具が大きくて中身が偏っていて味が北京並み?!である。台湾では、少しでも油を使っていると食べ物が気持ちが悪く感じられ、何か不純物が入っている様な気がしたりして……。豆漿・米漿は油が使われていないだけで非常に美味しく感じられる。とりあえず安くて腹の足しになることには感謝。

結局、安いものばかり食べて過ごし、ChinaAirlinesの機内食が最も美味しく感じられた台湾旅行だった。飲み物は無糖豆漿ということにして、現地で最も不満が少なかった食べ物は、セブンイレブンの野菜入りシーチキンおにぎり(鮪魚)1個25元。サンドイッチはなんちゅーか、もう品質改良希望……。Weblog

2010年7月23日金曜日

China-Airlines

既にChina Airlinesの公式ホームからは姿を消しているけれど、reechoが台湾へ行った5/6-5/13の便でセントレア利用なら往復チケット代は25000円だった。

名古屋-台北線25周年記念キャンペーン
~チャイナエアライン名古屋支店25周年記念オンライン限定記念運賃~
名古屋ご出発適用期間5/4~7/15, お一人様あたり運賃25000円(空港諸税・燃油特別付加運賃別途)

ここにちょっと紹介があるのだけれど、これを利用しなかった為に、空港へのアクセス料金を含めると5000円は損した勘定である。烏山頭ダムの会食の席で、「成田から来ました」と中部国際空港利用者に言ったら、「なんで?」と怪訝そうな表情をされて不思議だったのだけれど、確かに知らなかったのは間違いだった。キャンペーン情報を知っていたらわざわざ成田空港まで行かなかったのになぁ……。調べ足りなかったことを心底反省。


左…China Airlines台北(桃園空港)行きの昼ごはん、右…成田行きの朝ごはん。
チャイナエアラインは安い便でも比較的食事が美味しいと思う。個人用のテレビ等は無いけれど、北京行きのノースウエストと違って、食事時間をゆっくり取ってくれて、のんびり食事出来た。


食器が安っぽいからと言って使い捨てだと思ったら大きな間違いだった。壊れやすそうなプラスチック製のフォークもナイフもいちいち洗って使い回すらしい。北京行きのノースウエストではイヤホンも使い捨てで、持ち帰ることが出来たけれども、チャイナエアラインでは、ヘッドフォンが100円ショップ級でも使用後は必ず回収袋へ返却しなければならず。チャイナエアラインでは、どんなにちゃちでもRe-Useされちゃうのである。

台北行きではデザートがチーズケーキ、帰りはチョコレートケーキだった。あっという間に食べ尽くしたreechoと違って、まるでごはんを一粒一粒つまむようにゆっくり食べていた隣の台湾人のお姉さん(日本に語学留学経験あり)が、チョコレートケーキ要らないからあげると言う。reechoが遠慮して断ったら、「持って帰って。」と言う。容器さら持ち出すのはいけないんじゃないかと言ったら、その隣に座っていた日本語が話せない夫に彼女が中国語で聞いた後、彼の母親は何十回もチャイナエアラインに乗っていて、彼の母親の話では容器さら持って帰って良いそうだ、と言うのである。reechoが心配になってスチュワーデスに聞こうとすると、2人して「聞いちゃ駄目、聞かなくて良い」と一生懸命に突っ張る。怪しいので更に頑張って空姐を呼び止めると、案の定、食器類一切持ち出し禁止だった。2人はちょっとがっかりした様子だったけれど。台湾人の嘘は、大抵自分の都合を押し通す為であることが多い。中国人はその場で直ぐにばれるような嘘はなかなか言わないのだけれど、台湾人は即刻バレる嘘も平気でつく。そして嘘がばれても全然気にしない。嘘がつける人は賢いのだと威張るくらいでびっくりするのだけれど。他の台湾人曰く"我隨便說的"ということで、随時便宜的に、自分にとって都合が良いことばかり何の脈略も無く言い続けられるのだ。時折はた迷惑な親切心を発揮してくれるので、断る時には嘘をついてでも徹底的に断らないと延々と訳の分からない親切を押し付け続けるから注意が必要である。

ちなみに下の写真はデルタ&ノースウエスト航空の北京行きでの機内無料配布物。このイヤホンをたまたま台湾行きの荷物に入れていたお陰で、和欣客運の長距離バスでは予定外にテレビを楽しむことが出来た。ただデルタ航空は食事が不味くてあっという間に食器の回収に来た。そんなに食べるのを急がせてどうするんだ~と思った程。reecho的には、お金を掛けるならテレビより食事の方が嬉しい。

2010年7月21日水曜日

日月潭

日月潭は正直、暑いばっかりで楽しめなかった。早朝・夕刻の風景が美しいと言われているけれど、日中はそんなに綺麗でも無く。台湾人が日本を旅行したがる理由が分かった気がする。



長距離バス発着所のVisiterCenterにて水色の小冊子含むパンフレットをありったけ貰い。説明を受けたら、船の三回分(全程)チケットはは200元と言う情報を仕入れ、乗り場付近でチケットを購入。乗り場がどこだか分からんのだが、ビジターセンターから見て湖の左方向へ歩く。藍線チケット売り場では定価しか書かれていないけれど、「200元で」と言えばちょっとがっかりした表情で値引いてくれる。後になって分かったのだけれど、いくつもの船会社がそれぞれに運行していて、団体旅行客を除くと、船に乗るのは大抵夫婦か恋人同士である。日本の植民地時代に作られた人造湖らしいのだが、新婚旅行とかデートスポットとして台湾人に人気らしい。


青年活動センター側に到着


青年活動センター前から伊達卲碼頭まで歩く

何故か藍線の船は青年活動センター側(ここも伊達卲碼頭と呼びますか?)に到着するので、ロープウェイで山に登れる青年活動センター側から、商店街のある伊達卲碼頭まで10分以上歩くことに。青年活動センター側ではなく、次は商店街のある伊達卲碼頭から船に乗る。



こちら玄光寺

玄光寺の右手裏側にあるトンネル?を通って20分くらいの散歩道を行くと、玄奘寺に着く。



途中2箇所で鎖に繋がれている黒い犬に脅されたりするけれど。この道中、唯一人たりともreechoとすれ違うことは無かった。階段があるから自転車も通らず。観光客は多いのだけれど、うだる様な暑さの中、誰もわざわざ寺から寺へ歩いたりしないらしい。


玄奘寺前からの眺め。


玄奘寺及び再び帰って来た玄光寺右手裏のトンネル?前にて。このトンネルを通って玄光寺から玄奘寺に行く人は本当に稀である。無論、reechoは除いての話だけれど。犬でも配置しておかないと一人歩きは危険だということで。。


犬に吼えられながらの帰り道



一番安い自転車でも最低1時間200元は掛かるビジターセンター地階のレンタサイクル店、入り口は日本語で「押してください」、木曜は定休日。女性3人並んで撮っている写真の自転車が、一番安い女性車(200元/h)でヘルメット付き。前輪と後輪それぞれでかなりの段数のギアーチェンジが可能。お元気な方はどうぞ自転車で何時間でも頑張ってください。


帰りのバスから眺める風景の方が現地より綺麗だと思ったんだけど^^。

台北で前日、日本円に換算すると1万円以上入っていた財布を盗まれ、なんかもうお金を使わずに大切に仕舞っておく価値が分からなくなってしまい、実質最終日になって予期せぬ奮発をすることにしてしまった性質の悪いreecho。やっぱ旅行中の現金は、盗まれることを想定して何箇所かに分けて所持するべきで。ついでにreechoの感覚では、中国大陸と同じくらいに台湾人は嘘つきが多いので注意が必要と思います。

結局台北から国光客運で往復820元の無駄使い。台中からなら南投汽車客運で約半額。ここに2年前の紹介があるけれど、reechoもわざわざ行く場所じゃ無いと思った。台中に住む台湾人も阿里山の方がお勧めっぽかったので今度遊びに行くなら阿里山かな。

2010年7月17日土曜日

みみっちく台湾旅行

講談社現代新書 佐々木瑞枝著「外国語としての日本語」を読んだ。韓国人が見せるような親しみを込めて書き進められている本なのだが。その中の175頁から下のような話がある。

 日本が台湾などで植民地政策をとった際、日本人は現地の人々に対して敬語で接することがあったのだろうか。私が台湾の日本語教育関係者に会ったとき、植民地時代に日本語を覚えたというある先生から、こういう話を聞かされた。
「われわれが耳から覚えた日本語は『こっちへ来い』『早く行け』『何の用だ』といった命令調のものでしたからね。日本語とはそういうものだと思いましたよ。それで同じことを日本人に言ったらひどくなぐられましてね。私には理由がさっぱりわからなかった。今なら、相手によって『こちらにおいでください』『こっちに来てください』『こっちに来て』など使い分けられますが……。『こっちに来い』はさすがに使えませんね」
 まさに赤面の至りだ。戦後はまだ終わっていない。こんな言葉の世界にも、日本が戦争で侵した傷跡が残っている。

というものだ。このように上下関係を生み出す道具になり得る日本語にも問題があるのだが。「日本語とはそういうもの」ではなく、日本人はそのように差別を好むのだと信じている台湾人が、今でも非常に多い。植民地支配に何の関わりも無い日本人ならまだ大丈夫かも知れないけれども、植民地支配の関係者だと分かると血相を変えて怒り狂う人も多い。自分が差別に反対することを懸命に訴えるとか、正に復讐のような形で、日本人に威張り散らして仕返しをしようとする人もいる。過去に馬鹿にされた屈辱を晴らそうと、日本人を蹴散らす態度をとる台湾人が意外に多い。韓国人に日本語を教えたことがあるけれども、これは韓国でも顕著で、反抗して威張り散らしながら、過去の日本を謝罪しろ、と日本から受けた被害を延々と訴え続けるのである。ただ過去の苦しみを日本人に知らしめる為だけに日本語を学んでいるような韓国人には、正直日本語を教えるのは間違いじゃないかと思ったりした。復讐の為に日本語を学ぶのはやめてくださいと言っても、日本人を懲らしめる為に日本語を学ぶ人が後を絶たないのは事実である。台湾で日本語教師になろうか、なんて甘いことを考えたこともあるけれども、韓国人のように一生懸命に反抗されながら教えるのは大変だろうな~と思った。日本語が難しすぎて教えるのが苦しいということもあるのだけれど。韓国も台湾も、日本から差別的な支配を受け、日本人を恨んでいることには何ら変わりは無いのである。

「台湾人をナメたたら叩き殺してやる!」くらいの勢いで日本人を睨みつける台湾人が実際に多いことを考えると、危機意識を持って接しなければ台湾人も恐いと思うべきであり。だだ、台北のドミトリーで鉢合わせした関西弁のお姉さんの話では、どうもreechoが台湾人に見えてしょうがないのだということで。そんなに日本人に対して反抗的に見えるのですか?みたいな(笑)。台湾人になりすまそうと思えばなりすますことが出来るくらいに馴染んでしまった様で、確かに台北では台湾人から中国語で道を尋ねられて困ったりしたけれど。私はまだ行き先も中国語も分からない日本人観光客なのでして。したり顔をして街に馴染むのも大概にしようと思ったス。マジで。

台湾は、方位磁石を持って歩かないと、太陽の位置から方角を推測しようと思っても難しいんじゃないかと思う。日差しが痛いくらいで直射日光に当たる時には非常に熱いけれども、日が当たらなければそれなりに涼しくもなり、雨が降ると寒くなることもあって、日本と全く変わらない気温と思う時もあった。reechoは激安300円台のヒラキの靴を履いて歩いたけれども、出来れば定価一万円以上の一流メーカー品を履いた方が疲れずに旅出来ると思う。
初日は、深夜0時から朝7時までたった25元の、台中市の警察署と言うか交番?(北區中正路440號)から西へ100mのインターネットカフェ大都會台中市中正店(中正路476號)で一泊した。館内禁煙と言うのに受付のお姉ちゃんから、警察に見つからなければこっそり吸って良いなんてことを言われるが。しかし。館内飲食物持込禁止なので、テーブルなんかに自前の食べ物を出すと即刻厳重注意or強制退去の宣告を受けることになる。ここはありとあらゆる場所を監視カメラで録画しているらしいので、食べ物を出したら即刻NGだと思った方が良い。台北駅前(中正区南陽街8號)にある網路高手(夜10時から朝10時まで1泊100元)などでは飲食物店内持ち込み自由・出入りも自由なのだけれども、飲食物の提供がメインのインターネットカフェでは、食べ物や飲み物を持ち込まれたら商売にならないので絶対に禁止ということらしい。館内禁煙と言ってもタバコを吸う人は多いので、タバコの煙が苦手な人はインターネットカフェは難しいと思う。ただ、台北のインターネットカフェは換気が猛烈に効いていて、窓全開の窓辺では、まるで外にいるように心地よく一泊出来た。

荷物が心配なら、台北駅北側のビルにある長距離バス発着所、臺北轉運站(公式HOME)下階の3時間10元のコインロッカーに預ければ良い(写真)。このコインロッカー、開ける時にそのまま引いても開かず、少し押さないと扉が開かない。知らないと使用後扉が開けられなくて困るんじゃないかと思った。reechoはロッカーの隣にあるクロネコヤマト集荷所のお姉さんに電話してもらったのだけれど、何か問題があったらロッカーの管理所に電話すると数分で係員が来て対応してくれる(希望したら日本語が話せる職員が来た)。普通は暗証番号が紙に印字されて出て来るのだけれど、ロール紙が切れると使用前に自分で6桁の暗証番号を入力したりしなければならず、結構ややこしいこともある。使用方法―日月潭の旅客センター地階の自転車レンタル店横には、日本では市営プールにしか無さそうな無料(10元が使用後返却される)のコインロッカーがある(写真)。
お土産に1個20元以下の安い小物が欲しい場合は、臺北轉運站に程近い、駅地下街の小物屋さんっていうか宝石屋さん?が便利と思う。「米羅精品」という名前で地下街の区画は156、営業時間は大体8:00~21:30。ビーズで出来たキーホルダー(10元~)などが可愛い。

駅では、長距離の鈍行列車の切符が買えなくてびっくりした。区間車(写真)の場合には、いちいち一区間(運務段)ごとに下車しなければ切符を買い求められない仕組みになっているらしい。運務段ごとに下車するのが面倒なら長距離バスに乗るのが正解だと思う。場合によっては一番安い鈍行列車よりも安い。曜日や時間帯によっても価格が変わるらしいのだけれど、reechoが乗った時(5月6日-木曜20:45発)は和欣客運で大人1人台北から台中まで(三排椅)210元だった。和欣客運の場合は、台北行きのバス停が台中駅付近に無く、台中から出るのはちょっとばかり厄介らしいのだが。最も安い時には台北-台中(三排椅)120元、台北-台南220元なんてこともある。週末予約無しでもバス会社を選ばなければ大抵乗れるし、長距離でもそれぞれの会社(和欣国光統聯)で30分毎に出る頻繁さ!そして、何より立ちっぱなしの心配が要らない。空調がいまいち(の車内)で窒息しそうだったけれども、和欣客運では個々の座席にテレビが設置(アームレスト内に収納)されていて自由に見られる。今年中に国光客運でも個人用テレビが設置(背もたれ後方に埋め込み)されるのだそうな。長距離バスでテレビを見るならイヤホン持参が必要不可欠。
台北駅の西側にある国光客運バス発着所のB棟(案内図)では、24時間チケット売り場が営業していて受付の職員が常駐しているし、監視カメラも何台か作動しているように見え、比較的安心して一泊することが出来る。セブンイレブンも近いし、台北で無料の野宿を希望するなら国光バス発着所B棟がお勧め。普通の男女が20人以上、明け方のバスを待ってベンチで宿泊している様子だった。飛行場でもなく、街中で野宿すると、嫌でも現地人っぽく見えるようになるのかも知れず。reechoみたいな命知らずな人はどうぞご勝手に台湾激安旅行を楽しんで下さい。

2010年7月13日火曜日

김봉웅씨 별세

中学時代に真面目に読んだ本と言ったらつかこうへいの本だった。入試を通過しなければ入れない国立中学に間違えて入ってしまい、予想だにしなかった厳しい学校生活と学業に完全に疲れ切り、ドンケツ状態のヘタレな成績を維持しつつ、おちゃらけて自分の不出来を笑い飛ばさない限り、苦痛のあまり自殺したくなるような日々が続いていた。学校では出来る生徒と出来ない生徒との差別が激しく、出来の悪い生徒は侮蔑され、学業において劣等な生徒は意味も無く総じて不良扱いされ、教員による分別によると入学早々reechoもちゃっかり不良の仲間入りを果たしてしまっていた。

中学時代は、つかこうへいの小説・戯曲を読めば満足出来た。腹黒さを誇張して笑いを取るのがたまらないと言うか、悪さや至らなさに対する突拍子も無い慈しみに感動を覚えた。個人的には、自分の出来が悪いことを笑い飛ばす手本を渇望していただけなのだけれど、つかこうへいの本でなければ癒されない苦痛が、reechoの中学校生活には満ちていた。

ある日国語の先生が、クラスで生徒全員の黙読の速度を計ったところ、reechoが最も遅いことが判明した。自分を抜かした最も遅い人の実に2倍の時間を掛けなければ、reechoは文章が読めなかったのである。乱視は多少あっても文字が見られない程ではない。ただ読書が好きでは無く、音読の速度以上に速く本を読む必要性を感じたことも無かった。それでも運悪く、中学入試で間違って滑り込んでしまったのだから仕方が無い。そもそも小学生の頃は自主的には漫画本しか読まなかったし、漫画本を読むのがのろい、と友達から苦情を言われたことはあったけれども、別に本を読むのが遅いからと言ってreechoに本を貸している友達以上に不自由する理由も無かった。学校で強制的に読書させられても、飽くまでも単なる時間つぶしで、出来る限りのんびりと文字を眺めれば良く、文字を早く理解する必要なども生じたためしは無かった。

そんなreechoが偶然母の蔵書によってありついたのがつかこうへいだった。登場人物が漫画ちっくにどたばたと激しく動きまわるのが楽しく、少なくとも文字の意味を拾う喜びは、それまでに読んだ漫画以上に実感出来た。アバズレだのと下品な言葉が闊歩するので、純文学少女系の母は眉をしかめていたけれど、興味を持って読める本を当時のreechoは他に見つけることは出来なかった。今思えば、文章が三島由起夫の様に押し付けがましく俺様俺様していないし、威張ることのはしたなさを充分に心得ていて、威張りながらこっそりデリカシーを垣間見せるところが心憎いと言うか。一種の気配りと言うのか、日本人よりも韓国人の方が、その場の空気を読むのが上手いと思わせる。

パク・ヨンハにちなんで、なぜ韓国人は暗く悲しい歌を好むのかと考えてみたのだけれど、社会的な苦しさを抜かせば、日常的・言語的な理由として、言葉を発する際に音の上下があまり無いことが挙げられるんじゃないかと思った。音を上下させず、イントネーションに勢いが感じられないと何かじめじめした印象になるのである。日本語の場合、「そうです」「嘘です」「ファンです」「本です」を発音する場合、どれも大抵ドソファミ(1543)ドは高音で--くらいの音の差が生じるのに対し、韓国語の場合(知っている単語が少なくて恐縮なのだけれども)"팬이에요""아니에요"などは大抵ラシソラ(6756)くらいの音の違いしか生じない。激しく上下してもチャルメラ程度と言えば良いか、長く喋ればパトカーくらいの音程差が生じるけれども、ともかく音の動きが少ないのである。日本語は、言葉を発する際にでる音の高さがはっきり聞き取れない程に、口先だけで言葉を発し、音程をはっきり出さず、内緒話に向いている言語じゃないかとも思う。中国語は、例えば"是"一文字の発音でもソからドを一気に発音し、ドからソ以外の低音・高音は必要無いけれども、余程音程をはっきり発音しなければ意味が伝わらない。言葉を発している際に、煮え切らない奴がいないと感じさせるのも中国人の特徴である。英語も発音にリズムと勢いがあって、実にリズミカルに勢い良く発言するように見える。しかし韓国人は、音は若干動くのだけれども、感情が言葉からはみ出していると言うか、感情が言葉の裏でくすぶっていると言うか、音声を超越して感情が一人歩きする印象が感じられるのである。韓国人が、言葉以外の表情や態度等による感情表現に熱心なのも、音の高低差が少ないからじゃないかとすら思われる。音声によって気分を消化させられないのは、ストレスがたまる原因になるんじゃないのかな、とか。

ともあれ母親及び自分を育てた人の発する音というのはどの国の誰にとっても大抵心地よく感じられるもので、その高低差の少ない、あまり上下しない音が、韓国人にとって心地よい音として心に染み込み易いんじゃないか、と。だから韓国人は、音が激しく上下する明るい音楽を一般的に好まないのではないかとも思う。

「傷つくことだけ上手に」とか言いながら、傷ついた自分を慰める方法もまたどこかしら暴力的で、結局たばこによる肺がんで逝ってしまったけれど。やっぱ最後まで観客を笑わせることを考えていたんだな~と思わせる。病気の原因及び悪の原因を自分の生活から徹底的に追放するのも良く考えればはた迷惑で辛らつなのだけれど、病気と仲良く、駄目な自分と仲良くなんて悠長なことを言って、上手に悪者になろう、なんて言うのも困りもので。訃報を聞いて、上手にワルになろうと頑張っていた中学時代の自分を思い出して思わず笑ってしまった。そんでもって、ついでに突然訳の分からない親切心を見せる北京の社長を思い出してしまった。顔が微妙につかこうへいに似ていて、連絡していないんだけれど、あのヘビースモーカーも今頃元気にしているだろうか。あの父親の娘だったら、雪組のトップじゃなくてもかなり良い路線で活躍出来るだろうと思うんだけれど。また顔を見せに来てくれたりしないだろうか。ねぇ。

東亜日報

2010年7月2日金曜日

復讐の文化

パク・ヨンハはなぜ自殺したのか

パク・ヨンハを知ったのはかの有名な「冬のソナタ」である。私はあのドラマのベ・ヨンジュンが嫌いで、韓国人に同意を求めたら、やっぱり「あの」冷たいベ・ヨンジュンは嫌いだということで意見が一致した。なぜ「あの」が付くかと言うと、他の場では偽者が多いからである。パク・ヨンハは偽者がいなくて、一人に掛かる負担が大きかったのかも知れない。偽者がいればイジメも回避出来ただろうし、もっと気楽に自分の人生を楽しめたかも知れない。冬ソナ以降のパク・ヨンハは「LovingYou」しか見たことが無い。元気はつらつな若者役で好感が持てて、主題歌も歌っているんじゃないかと勘違いし、本人の歌を聴いて見たら歌が暗過ぎて、それ以降パク・ヨンハへの興味を失った。明るいロカビリーとかロックンロールでも歌ったって良いんじゃないかと思ったのだけれど、じめじめと悲しい歌ばかり延々と歌っているのですっかり嫌いになってしまった。それで、最近自殺と聞いてちょっとびっくりした。暴力が原因で別れたと噂されていたらしいけれど、自殺しても涙が出ないユジンとは、ラビング・ユーの撮影中から険悪だったらしい。死人に口無しとか言って、どんな罪を背負わせたって本人いなきゃ平気なんて言うのもどうかと思うけれど。微妙に興味をそそられた。

上の記事からのリンクでこちらの記事を見たら「結局お金を払って見学しに来る以上純粋な形とは言えないと思う。」というのがあって、純粋な形って一体どんなんかと思ったが。韓国では、日本の様に高い料金(ファンクラブの料金等)を出して芸能人に会う習慣が無いらしい。ファンと芸能人が非常に対等な関係にあって、「お金を貰わなければサービスしない」というビジネスライクな関係を嫌うファンが多い。日本より共産主義的とでも言うのか、単に作り上げられた形式的な関係を嫌うだけなのかもしれないけれど。芸能人は金持ちにも貧乏人にも分け隔てなく接するべきみたいな文化があり、日本の様に金が無ければ芸能とは無縁、みたいな感覚は、一般の韓国人には無いらしい。韓国人が日本の質問コーナーで、日本の芸能人ファンクラブの会費はどうしてこんなに高いんですか?と質問しているのを読んだことがある。最近どうなっているかは全然知らないけれど。

「パク・ヨンハ」と「兵役」のキーワードで検索して見ると。ワウコリアによれば「角膜ヨンハ」と呼ばれていたりするらしい。
キム・ヨナが惚れていたと言われるイ・ジュンギ(この人本当に外観が涼しくて、日本人っぽい。釜山って他の地域に比べると日本との繋がりが濃かったから雰囲気も似たのかな。)も最近遂に入隊し、入隊しても芸能活動が付いて回ることをお披露目し、どんなに非経済的でも国民から信頼を得るには兵役を免れ得ないんだなと思わせる。
兵役を終えてから日本に来て中央大学に入学した韓国人留学生が、留学中という理由でまだ兵役延期中と言う同級生について、「こいつはまだ男じゃない」とか言って馬鹿にしていたり。日本では兵役について知ることは無いけれど、入隊しなければ裏切り者・非国民・犯罪者くらいに差別を受けることも事実らしい。兵役が嫌で諸外国で不法滞在及び逃亡を続ける韓国人も多いんじゃなかろうかと思われ。韓国人は、ずるをする人も多いけれど、楽をしている人に対する嫉妬心も強く、逆に苦しんでいる人を尊重する文化もあって、わざと苦しんでいる振りをしたり、自分の苦労を自慢する人も多い。日本人は韓国人ほど、苦しみや恨みを露骨に表現することは無いんじゃないかと思う。どんな苦労があっても、日本人は苦しみを認めず、どんな逆境も涼しく受け流す努力を怠らない。あからさまに苦痛や憎しみを顔に出すのは品が無いと思われるから、能面の様に無表情ということもある。

多分、苦労を表に出さない天真爛漫系のパク・ヨンハは、国民の嫉妬で袋叩きにされていたんじゃないかと思う。苦しくて当たり前、「恨」があって当たり前、むしろ「恨」こそが人間の素晴らしさであり美しさだと思っている韓国人にとっては、苦しんでいない人間を「いい気になっている」と言って非難するのは常識の様な印象さえ受ける。人を懲らしめるのが大好きというのもどうかと思うのだけれど。

果たしていじめが激しいのは日本か韓国か。日本では本来、プロレスのように起き上がれなくなるまで叩きのめすスポーツは流行らないと思われ。何か徹底的にボコボコにするのが好きな人が韓国人に多い様な気がするのは間違いか。勿論日本人にも気性の激しい人は多いし、徹底的に叩きのめさなければ気が済まない人もいるけれど、復讐を美化する文化は日本には存在して欲しくない。と言うか、苦しみや恨みを正当化しない限り、復讐を美化することも無いんじゃないかと思う。苦しまない人間は間違いだ、という程の韓国社会ってちょっと怖いと思う。

2010年6月24日木曜日

中國統一聯盟

大学生の頃、2005年1月15日(土)10:00~18:00の日中国際シンポジウムを見に行った。学生がいくつかの部屋に分かれて好きなテーマを自由に見学出来るようなところで、参加費用を千円くらい取られた様な記憶もある。reechoの知り合い(所属するゼミから参加の人々)は殆どスーツ姿で参加していて、研究会と言いシンポジウムと言い、いつも普段着が当たり前だと思っていたreechoは、入り口でずらっと並んでいるスーツ姿を見て驚愕した。駐日中国大使館の王毅さんが来ると言うので警備も厳重で、それまでに見たことが無い研究会の有様だった。案内には* 諸般の事情により、参加者は中央大学関係者に限らせていただくことになりました。ご了承ください。と書かれているけれど、特に拓殖大学から沢山(100人以上)参加していたらしかった。
今考えると、中央大学って実に左寄りの大学で、reechoは極め付きに中国を愛している先生方にお世話になっていた。~協調的な日中関係の構築をめざして~なんてことを今見せられると、どうしてそんなことが出来るのかと反射的に仰天してしまうけれど、大学時代は中国を美化してすっかり中国贔屓になっていた気がする。
そのシンポジウムの閉会式の席で、駐日大使の王毅さんが挨拶(あんなに短くても講演ね!)しているのを、数メートル程の至近距離で見ることが出来た。穏やかで誠実な感じの人だと思ったけどやっぱり日本に反省を求める姿勢は強固で、何かじっとreechoを見つめていると言うか、睨んでいる気がしてしょうがなかった。どこを見ていても誰もが自分が睨まれていると感じるくらいに隅々まで気配りする人と言うか。ま、感じ方は人それぞれだろうけどreechoの顔って凝視したくなる程奇怪なのかと思った。ってば自意識過剰?

で、その王毅さん、Wikipediaによれば
「2008年6月3日中国共産党中央台湾工作弁公室と国務院台湾事務弁公室主任に任命された。同ポストは台湾を国内とみなすため地方トップが就任するのが慣例で、今回も盧展工福建省党委書記の起用が考えられていた。外交官出身の王毅が選ばれた背景には、台湾との対話が停滞する状態を好転させたいという見方がある一方、知日派の李登輝が総統就任した以降急接近した日台関係を牽制するのが目的という見方もある。」
のだそうで、外交官を配置ってば、台湾を外国と看做したんじゃないのかとすら思うのだけれど。外国との関係を改善させるくらいに台湾の中国離れを深刻に考えていると言うことか。あんなに日本語が流暢な人に台湾を担当させれば、確かに親日的な台湾に対する圧力と言うか、強力なライバルと言うか、目の上のたんこぶに成り得るとは思う。

去年の10月にちょっと書いた、大阪の高層ビル内にある(あった)中国政府機関出張所の責任者(自称女性)は、名前がそのまま国境を守る兵士の種類を意味した。日本の経済的侵略から中国を守れと言われて派遣されて来ている印象を受けたのだけれど。慶応義塾大学で日本の経営者を集めた会費3万円の講演会で講演したことがあるとか、元科学技術庁長官と通訳を通して挨拶して、彼の名詞を辞書の間に挟んであるとか、色々華やかに活動しているらしい人だった。その人の部屋に2週間ほど居候していたところ、色々貴重な話も耳にした。日本共産党以外認めないと言いながら、ゲイだからという理由だけで三島由起夫と三輪明宏を敬愛していたり。よくそんなことまで知ってるな~と言うくらいに日本のゲイに精通していて、ゲイは思想も立場も国境も完全に超越するのだと思った。台湾へ行けば中國統一聯盟のトップと仲が良くて、熱烈に歓迎してくれるのだとか。大陸から常に熱い視線と愛情を台湾へ注いでいる様で、何が愛情かって金なのだけれど、離れられなくさせる熱い握手を交わしながら、自分の物であり続けさせる為にありとあらゆる手を打っていると思った。放って置くと何をするか分からないから、濃厚な関係の確認の為に頻繁に連絡を取り、台湾人の懐柔と中国共産党の資金源(何割かは軍事費)として、麻薬・覚せい剤の販売にも力を注いでいる雰囲気も感じられた。

今中国が台湾に対して柔和なのは、馬英久さんが中国共産党と仲良しだからに他ならず、「仲良くしないならいじめちゃうよ」と言う我侭なガキ大将なのは今も昔も変わらない。あんな頑固で分からず屋なガキ大将でも仲良くすると楽だし、恩恵も大きいからしょうがないなと思う。台湾はあまりにも小さくて、大陸に飲み込まれるのが容易に見えてしまうのが悲しい。どこまで踏ん張っても台湾は中国の一部、と思う人がいかに多いか考えると、もうちょっと台湾に頑張って欲しいと思ったりする。民進党が次の選挙で勝てば、また少し独立とか自主自立路線を進めるかも知れないね。

2010年6月19日土曜日

言い分

八田與一を美しく祀れば水利会も美しく見えると言うもので。美しいものを美しいと讃える気持ちが美しいと思わせながら、皆の八田與一への思いを自分たちの私利私欲の為に利用しようとしているのが嘆かわしい。どんなに醜い政治組織も美しく見えるようにさせられてしまうのはどうしたものか。八田與一の政策が共産主義だった為に、中国の共産主義支配を正当化&強化する道具にしようとすれば出来ないことも無いわけで、八田與一を偲ぶことが中国との統一を目指す国民党内部の意向と矛盾しないのがそもそもの問題だと思う。八田與一の政策は立派だった素晴らしかったと讃えながら、台湾人を中国共産党の支配に共鳴させて行きはしないだろうか。八田與一を尊ぶ台湾人の中に果たして統一を喜ぶ人がいないと言い切れるのかどうか。国民党が牛耳る水利会と一緒になって日本人が八田與一を拝んで満足して良いのか、水利会の主催する墓前祭に参加して、水利会の傘下で八田與一を偲ぶことが長い目(long term)で見て日本の為になるのかどうか、日本の防衛(安全保障)上の問題で台湾の立場をきちんと考えている日本人がいるのかどうか。日本を危険にさらす政策を助長している認識があるのかどうか。台湾が中国共産党に乗っ取られて万歳出来る人間以外、国民党が牛耳る墓前祭に参加して国民党の幹部と一緒に八田與一の共産主義政策に感銘を覚えてはいけないんじゃないかと思う。

何でも帝国主義に見える台湾人からのe-mailによれば。楊明風さんが自己紹介の後で話していることを要約すれば "楊明風先生想要發揚農業水利的競爭力・貫徹馬英九的政策・發展佃農工業政策" だそうで、話していることを一言一句反訳するのが面倒でこんなに短い要約になったらしいけれど、楊明風さんについて国民党のHPを見れば、既に国民党の中央委員(120番目)として国民党幹部の仲間入りを果たしている。

美しく語られる八田與一の物語とは全く別に、現在の台湾の政治がどの様に動かされているのか知らないと、国民党及び中国共産党にうまく利用され、敵方が八田與一の骨の髄まで徹底的にしゃぶるのを喜んで眺めることになるんじゃなかろうか。

そして。その美しい烏山頭ダム。


ダムの入り口では一般の中学生以上65歳未満は200元を徴収される。昔はダムの給水にいたずらされては困るから、関係者以外立ち入り禁止だったとか。200元はレート換算すると日本円で600円程度だけれど、一般の台湾人の感覚から見ると日本人の考える1500円くらいの入場料。ゲートの内側にはプールやホテル,バーベキューの施設等があり、西拉雅渡假飯店の宿泊客はここのゲートでの入場料が免除される。ただし、団体で宿泊を申し込んでホテル宿泊客名簿に具体的な名前の記載が無く、料金所からホテルに電話しても予約済みの客としてホテルで名前が確認されなかった場合は、入場料金を取られる。あいにくreechoはホテル宿泊者として名前が登録されておらず、駅前の商店街からreechoを乗せて運転してくれた気前の良いおばさん共々きちんと200元ずつの入場料&50元の駐車料金も取られ。おばさんが全部払ってくれて、reechoからお金を受け取らなくて困ったんだけど。翌日の墓前祭当日には全ての車両及び参拝客が無料でゲートを通過出来たと聞いた時には驚いた。今年の墓前祭は警備が厳しく無く、本当に全ての車両がゲートを通過出来たそうで。今度来る時は隆田駅近くの安いホテルで一泊してダムへ移動しようかと考えた。駅前の隆田旅社(1泊700元程度)は、規模は小さくて柄は良くないけれど、日本に住んでいたことがあると言う日本語が堪能なおばさんが案内してくれ。西拉雅渡假飯店はそこそこ大きなホテルでもreechoが到着した時は日本語が堪能な職員がいなくて大変だった。どうでも良いけれど、大陸に比べて台湾は、外観が良くても中が汚いというか、手入れの行き届いていない不潔な感じのする宿舎及びホテルが多い気がする。自分の趣味をそのまま旅行客に強制するとか、そもそも台湾の宿舎は個人の趣味が反映され過ぎていて馴染めないと言うか。ラブホまがいの宿舎と言うのも問題だけれど、台湾の場合、客と言うより家族として迎える雰囲気があって、大陸よりラフなのかも知れず。交易を軸に経済が発展した長い歴史も無いから、大陸ほどに旅行客を大切にする文化やホスピタリティーを期待してはいけない。今までよそ者に強制され過ぎて来て、よそ者を見たら反抗することしか頭に無い台湾人もいる様で、日本の差別的支配に対する復讐も視野に入れながら、「すみません何の利益ももたらさないよそ者です」くらいの気持ちで宿泊&旅行すれば良いのだと思うたぶん……。

ホテル正面玄関と、墓前祭会場入り口付近から見る珊瑚潭を臨むホテル客室
↓右の写真とほぼ同じ場所から撮影。
 


2010年6月7日月曜日

大使館突入事件

reechoの防備録として。~吾爾開希~Wikipedia
~ウルケシ(ウーアルカイシ)氏とお会いしました~日本ウイグル協会 

何でわざわざ日本に来るんだと思ったんだけど。考えてみれば台湾に中国の大使館は無かったのだった。中国駐外機構(青色に塗られた国に大使館あり)。ついでに台湾駐外機構列表~台湾の大使館がある国も多いんだ感心~。

「偏向マスコミ報道から日本を守ろう!ネットワーク」の情報によると。大紀元では「同日朝、中国大使館の敷地内に突入する前に、同氏は柵の前で取材に応じた。」のだそうで、6月4日の2時半に突如中国大使館への強行突入に及んだのでは無く、計画的に何時間も前から報道関係者を呼んで、話題にする為だけにわざわざ柵を乗り越えるパフォーマンスをしたらしい。

「逮捕されても監禁されても構わない。」と言っているけれど、殺される可能性があったりしたらとても出来ないんじゃないかと思われ。自分の身の安全は必ず保たれることを百も承知の上でやっているのが非常に賢いと言うかずるいと言うか。

同じく天安門事件の指導者だった柴玲はCIAの手引きで亡命したとかで、何か裏で仕組まれている感じがある。今度の大使館突入も何らかの手引きがあってやっているんじゃないか、とか。前年度のマカオ行きもちょうど六四天安門事件から20年目だったそうで、どうやら6月4日を選んで話題作りに励んでいるらしい。

reechoの母いわく、6月4日なんて1年に1度しか無いんだから毎月4日にやってくれたら良いのにね、だそうな。そんなに祖国に帰りたければ毎月事件を起こしたって良いんでないの?と。毎月やったら意味が薄れるし視聴者も見飽きるだろうけれど、こんな事件なら毎月見せられても良いね。別に人を楽しませる為にやってる訳じゃないだろうし、毎月やったら変人扱いされるだけだと思うんだけど、reechoは単純に視聴者を楽しませる人を応援してしまう。例え大張偉であろうとも!!


しかしながら必ず記憶しておきたい天安門事件。
 
              勿 忘 六 四

2010年6月4日金曜日

農田水利會


2009嘉南農田水利會 八田與一緬懷德澤



墓前祭に行くと言ったら、利権争いの渦中に行くんだと思わなければいけないということが分かって来た。台湾を思い出しただけで熱中症で倒れそうな気分になるんだけど。烏山頭ダムの職員の冷たさとか、地元の人々の反応に「なんだかな~、」と思っていたけれど。台湾の人たちから言わせると、曽祖父が昔烏山頭ダムの所長、と言うと、あの腐敗したお偉いさん等の元祖?オエエっ、としか思われないと言う問題が見えて突然不愉快になって来た。ついでに、陳水扁さんがダムに近寄らなかった理由も分かった。
中國國民黨青年團UploadのYouTubeによると、中國國民黨18全黨代表選舉に台南縣28號で楊明風さんが出馬。全然聞き取れないので、聴力が無いから言っていることを書き出して欲しい、と台湾人に頼んでもなかなか書いてくれない。単に面倒なだけかも知れないけれど。台湾国内の政治の話題は極力避けたいと思っているのは充分承知の上で。元烏山頭區管理處主任の自己紹介等を書き出したがらないのは、台湾の政治的コネクションについて知らせるのを非常に不愉快に思っているからではないかと。

農田水利會は政治的に重要な組織らしく(政治組織そのものの様でもあり)。前出の、何でも帝国主義に見える彼の話では、政治家と言ったら経歴よりカネだそうで、どこでも金で人が動いていて利権争いにおいて綺麗な場所なんて無いんだな、と思わされ。お金で票を集めるのは当然のことと言われてびっくりしたけれど。台湾の人たちから「賄賂で汚れた烏山頭ダム」とか思われているのは正直ショック。


農田水利會通則 防暴力賄選


この法律出来たの遅すぎないかと思う。ダムの職員が、何かギラギラと利欲を求めている感じが嫌だったのだけれど。やっぱ賄賂禁止の法律を作っても賄賂で勝つ人は日本と同様に水面下で続くのかなと思った。ヤクザが買い取る投票権なんて誰も話題にしたくないだろうし。おぞましくて一般人が近付きたい場所じゃないことは了解。
5/15水利會改選-國民黨拿控水利會--民進黨主席主席蔡英文"我們要打破水利會"
⇒結果(聯合News)會長當選名單 2010.6.1から楊明風さんが嘉南水利會會長に。農田水利會聯合會組織図によれば全聯合会の副会長でもあるらしい。

外省人の方が金持ちだから政治も執りやすかったとか。国民党の独裁政治に反対したくても言論統制で無理とか。言いたくても言えない不満も強いだろうなと思う。なんと言うか、国民党の餌食になる為に墓前祭に参加している様で。脱水症で倒れたいんだが。

一番上の動画で献花しているのは台湾の学生ではなく石川県の花園小学校の生徒さんたちだそうな。招待されている筈なのに、ただ一人たりとも宿泊費or交通費について主催者側で負担してもらっている人はいないという話。招待されている訳じゃなく、自己満足の為に日本から勝手に来ているんでしょ、と台湾人から冷ややかに見られているのが分かると苦しい。どれだけ台湾が汚なくて冷たいかなんてそう簡単には分からないのも結構問題。

2010年5月22日土曜日

台湾の罠

日本の植民地支配に対する憎しみなど全く寄せ付けない爽やかなほほ笑みに感動すら覚えたのだけれど。台湾人が日本をどれだけ憎んでいるか考えないと、マジでヤバイことになると思った。

台湾では去年の2月から「水色嘉南」というドラマが地上波で放送されていたそうだ。年末には再放送までされている。しかし、このドラマを見て墓前祭に来た人は殆どいないと言って良いと思う。台湾人の参拝客は増えていない様で、日本人の参拝客を冷ややかに見る主催者を見てみると、水面下では実は反日感情が高まっていると考えた方が良い。台湾人は、政府の絶対的な情報統制の影響で、情報に反逆する習慣みたいなものが出来上がっている可能性がある。日本人技師を讃えるドラマが流れれば、あんなの嘘に決まっているからと相手にせず、「許されざる日本の植民地支配を正当化する許されざるドラマ」と見て怒り狂っている節がある。墓前祭に来るのは日本人の方が多いと言っても良い程で、現地の人々に蔑視される自画自賛の為にわざわざ台湾に来る日本人の自己満足を、主催者側があざ笑っているような印象もあり。大陸の場合とは違って、派手に宣伝すれば宣伝するほど台湾では憎まれる可能性がある。

台湾へ行って、日本に対する震え上がり方がどうも変だと思っていたのだけれど、台湾人の中には日本人がまだ帝国主義者だと思っている人が多いらしい。現在の日本人には共産主義者も社会主義者も多いのに、全ての日本人が未だに「帝国主義」を基盤にして物事を考えていると言う台湾人がいる。彼は日本企業に勤めていて、日本企業における厳しい上下関係が気に食わないと言うか、恐らくは憎んでいるのだと思うけれど。帝国主義と封建主義の区別も無く、日本は階級差別が残っているでしょう、だから帝国主義がまだ続いているんです、と言うのである。日本には憲法九条があって軍隊を持つことが出来ないのに、未だに日本海軍の実力は世界一だ等の甚だしい時代錯誤を披露しながら、現在の日本を無視して日本はまだ昔のままだと言い張っている。まだ天皇がいますね、まだ天皇を崇拝しているってどういうことですかと問われて、政治的な権力は殆ど無いから意味無い、と言ってもまだ帝国主義に違いないと言って来る。多分国民党の教育の成果だと思うけれど、台湾人はまだ現在の日本の知識全く無しで昔の植民地支配を徹底的に恨んでいるし、差別的扱いを受けたことに対する憎しみだけが感情的に今後も益々強くなって行く可能性がある。馬英九さんがどうやら反日感情を利用して票を得ているとは感じていたけれど、ここまで強烈な反日教育が台湾で行われているとは思っていなかった。

馬英九さんの支持者は、大陸寄りで反帝国主義(反法西斯)の共産主義に共鳴している人も多いらしい。日本人は、まさか台湾人が日本より大陸の方がマシだと考えているとは思わないだろうし、そんなことは有り得ないと考えたいだろうけれど。「日本より大陸の方がマシ」な人々が意外に多くて今現在の馬英九さんを総統にしていることも事実で、馬英九さんが大陸寄りだなんて知らなかったと言う寝ぼけた台湾人もいるらしいけれども、例え中国共産党の支配(統一)が20年後に実現したとしても、日本の帝国主義支配よりはマシ、と言う台湾人が話をややこしくしている。

reechoの世代ではもう外省人も内省人も全く区別無く育っている人が多くて、大陸に対する偏見が無い為か、大陸に対して同胞意識を抱いている印象がある。「日本は第二次世界大戦中に中国で残酷な行いをしたでしょう、南京大虐殺をどう思いますか。台湾人も日本人として中国に酷いことをしたんですよ、そんなことがあってはならないから私は馬英九を支持します。」等、とんちんかんなことをreechoが台湾人から言われるのは何故なのか、何故日本がやったことだけが非難されて大陸が台湾に行った虐殺は見逃され得るのか。台湾の自由と平等を奪ったのは日本であって大陸では無く、自由と平等が実現されるなら統一されてもそれで構わないと言うreechoと同世代の台湾人、そんなに上下関係や階級差別の撤廃にこだわるのかと驚くほどに、徹底的に日本人の不平等な支配について叩き続けてくれる。日本人が自分の下になるなら、自分が威張れるなら差別があっても良いと思っている様でもあり、大陸と一緒になれば日本を叩けるならそれで構わないと言っている様でもあり。「私は中国人である馬英九を支持します。自分が中国人になっても構いません。」と胸を張って言われたらどうすれば良いのか。台湾を旅行しながら「日本人は去れ!」と追い払われる印象を何度も受けたけれど、台湾人が大陸寄りの教育で育って行ったら、このままずっと反日感情が醸成され続けるんだなと半ば絶望的な気分になってしまった。

明治天皇の孫の孫が墓前祭に来たとか言って、日本人は一体何を喜んでいるんだろうね。日本の帝国主義を誇る高飛車な人達の相手なんかしないで大陸派の馬英九さん支持しようね、と、台湾人は内心思っている可能性があり。reechoがきちんとした服装をして墓前祭へ出れば、八田與一はいつも作業着姿だったんだよ、と言ってreechoの服装を咎める地元の住民がいたり。日本の常識で行動したら日台友好は難しいと考えた方が良いとすら思われ。一体どの様に日本と台湾の友好が成し得るのか、日本人が自己批判的に、自虐的に悩み込まないと大陸の罠に嵌ると思った。反日感情を煽って中国に従わせることが極めて容易であることを肝に銘じておかないと、良かれと思ってやったことによって自分の首を絞めることになりかねず。相手の策略の裏をかく為に、とりあえず日本人が良い気分になったら台湾人は去ると考えておきたい。

お邪魔します。


綾子おばさんと。
夕食の席では厚かましくも嘉南水利会会長の真向かいに座らせて頂き恐縮しまくりました。後ろに立っているのはこちらにも紹介のある「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」台湾事務所長の徳さん。太陽の様に明るい方でした。


 


八田外代樹夫人が投身した放水路付近


毎年5月8日午後2時から2時間に亘る墓前祭が始まります。


今年から台南文化観光大使として活躍していらっしゃるそうで、なんと明治天皇の孫の孫にあたる竹田恒泰先生がお見えになり。reechoはこれまた厚かましくも銅像とスリーショットをお願いしてしまいました。



皆さん本当に失礼します。m(_ _)m