2010年9月4日土曜日

生き地獄

reechoの地獄の様な人生が始まったのは、reechoが小学校5年生の時に、母が西式健康法及び甲田式健康法というものを始めた為である。悪いのは、自分だけでは飽き足らず、私にまでその食事療法を始めさせてしまったことである。良いと思ったら一途に一本道しか見られなくなる母のこと、徹底的に食事療法を守らせようと必死になった。その食事内容は、上のリンク「甲田式健康法」の食事療法の2.にある様に、

朝 青汁、1日1.5Lの水(食事中と食後3時間は取らない)
昼 玄米1合 豆腐200g ごま10g 塩5g
夜 昼と同じ

というもの。reechoの場合は、朝は青汁のみ、昼と夜は玄米と豆腐と塩・黒ゴマペーストと昆布粉・僅かな人参orかぼちゃの煮物だった。小学校の時には毎日たらふく食べられる学校給食があって、お弁当持ちなんて考えたくも無かったのだけれど、ともかく母は学校教員を説得してreechoを毎日お弁当持ちにさせたのである。

reechoは幼少期から、母の作った料理を食べたことは殆ど無かった。常に母の母である祖母が料理していて、基本的に明治、或いは江戸時代の家庭料理だった。江戸時代と違うのは、卵と肉が多くなるだけである。reechoは肉や卵を使った洋風の料理が好きだったけれども、元々洋風の料理は極めて少ない家庭だった。祖父は質素な食事が更に質素になるのを嫌がって頑として食事療法を始めなかったのだが。祖母は食事を作る手間が無くなるから、という理由で大喜びで食事療法を始めてしまった。食事に手間を掛けたくなくても、だからと言って食事療法をする必要は無いのだが、作る喜びの皆無な人間にとっては、食事を作らないことが正当化される、こんなに有り難い物も無いらしかった。それまでの家庭料理では、一週間に一度だけ、土曜日の昼間にラーメンを食べられるのが一番の楽しみだった。毎日スイミングスクールで3kmは泳いでいたreechoは、家の食事よりずっと美味しくて栄養価の高い給食でやたらに沢山食べていた。常にクラスの中で一番多く食べていたと思う。それが無くなるのは辛かった。大阪の甲田医院でreechoに課せられた食事は、量が極端に少なくて、当時消費カロリーが一般の子供の2倍必要だったreechoには堪え難いものだった。

あっという間に5kg痩せた。体力ががた落ちし、スイミングスクールも辞めた。学校でのマラソンも見学するようになった。家庭科の時間も何も食べずに待っていた。何故そんなことをやらせるのか、と周りから不審に思われても、「私は体に良いことをやっている」と信じて食事療法を続けていた。家庭内で、規定外の食べ物を口にしようものなら恐ろしく叱られた。どうしてこんな物を食べるのか、とreechoが食べていたピーナツを母から床にぶちまけられたことがある。reechoはその床に落ちたピーナツを拾って食べ続けたけれども、母はカンカンになって捨て去った。塾に通い始めるまでは小遣いも一週間に百円と恐ろしく少なかったから、食べ物を買おうにも買えなかった。静岡市の塾に通い始めて小遣いが増え、それでも一週間に500円だったけれど、出来る限り買って食べていた。reechoの中学の同級生には、塾の近辺のマクドナルドでハンバーガーを買って食べていたreechoを知っている人が少なくない。

食事療法の為だけに中学を受験した。一般の公立中学は給食があるから、お弁当持ちの中学に行かせれば良いと考えられた訳である。落ちて皆と同じ公立中学に通えば良かったと思う。美味しい給食が食べられればそれだけで幸せだったけれども、恐らくは公立中学に入ってもお弁当持ちを続けさせられたに違い無い。何が恐ろしいかって、自分が良いと思ったら一途に信じ込んで疑わないことである。小学生の時に母が、他の父兄に向かって甲田療法を勧めたことがあったけれども、うちの子は嫁に出すから何でも食べられないと困る、と言って断られたそうだ。

中学では栄養失調で毎日ヘロヘロになって通っていた。担任が家庭科の教師で、口には出さないけれども食事療法には真っ向から反対する立場を崩さなかった。母が強制しているとしても、reechoがダイエットしたいから、或いは好き嫌いが激しいから自分で勝手にそんな食事をしたがっているのだと勘違いされ、生活面での指導が不必要に厳しくなっていた感じがある。だるいから、という理由で何事も怠けるようになり、別に食事が可笑しいからという理由だけでなくても、充分に指導材料は多かった。指導されてそのとおりに従う為の体力も無く、学校を休みがちになった。欠席日数は多く、進学校を目指す気力も内申も無かったから、ただ入れる高校に入った。高校では給食が無く皆がお弁当持ちだったが、初めてreechoのお弁当を見た友達から「何それっ!?」と仰天された。説明するのも面倒だったし、そんな食事を続けるのも苦痛だった。高校を辞めてから、自宅に引きこもってひたすら家の中の食糧を食べ尽くすのが日々の日課になった。吐いてでも食べて食べて食べまくり、近所の話題になった。reechoを見れば咳払い攻めにする人が多くなった。それでも食べて食べて食べまくった。誰が5年間もこんな食事療法に我慢出来るのか、reechoが我慢出来ない我侭な人間だと思う人に強制させて、その人が我慢出来なくなるのを楽しみに眺めて見たいとすら思った。食事療法で実際に体力を失い、物を食べられなくなり、痩せ細って普通に動くことが難しくなった母を尻目に、今でもreechoは食べ続けている。

失った物は非常に多かった。体力を失い、友達を失い、社会的地位も信頼も失った。それでも毎日食べられる、それだけが今現在のreechoの喜びであり、生きる希望である。働かざるもの食うべからず、ではなく、食わざるもの働くあたわずである。

reechoが見たところ、何故か家庭で自由に食べて来られた人程、社会に出て上手くやっていると思う。野菜が一切食べられないと言う偏食者が、何故かきちんと家庭でしつけられている人に比べて、社会での適応能力が高いことに驚いたことがある。家で厳しいと、家庭のルールを守るのが手一杯になり、家の外でのルールを受け入れる余裕が無くなるのではないかと思った程である。家で厳しく躾ければ社会でも上手く躾けられるというのは、厳し過ぎない家庭でしか通用しないと思う。徹底的に家庭の戒律で洗脳されてしまうと、家庭が絶対的で社会での規範を受け入れ難くなり、余程器用に家庭での戒律から抜けられる人間以外、社会に適応出来ないのである。家での躾けはとても厳しかったけれど、社会でも何も問題なくやっている、と言う人は、飽くまでも家庭での躾が社会的に見て至極「一般的」なものだったということに、感謝するべきだと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿