2010年7月13日火曜日

김봉웅씨 별세

中学時代に真面目に読んだ本と言ったらつかこうへいの本だった。入試を通過しなければ入れない国立中学に間違えて入ってしまい、予想だにしなかった厳しい学校生活と学業に完全に疲れ切り、ドンケツ状態のヘタレな成績を維持しつつ、おちゃらけて自分の不出来を笑い飛ばさない限り、苦痛のあまり自殺したくなるような日々が続いていた。学校では出来る生徒と出来ない生徒との差別が激しく、出来の悪い生徒は侮蔑され、学業において劣等な生徒は意味も無く総じて不良扱いされ、教員による分別によると入学早々reechoもちゃっかり不良の仲間入りを果たしてしまっていた。

中学時代は、つかこうへいの小説・戯曲を読めば満足出来た。腹黒さを誇張して笑いを取るのがたまらないと言うか、悪さや至らなさに対する突拍子も無い慈しみに感動を覚えた。個人的には、自分の出来が悪いことを笑い飛ばす手本を渇望していただけなのだけれど、つかこうへいの本でなければ癒されない苦痛が、reechoの中学校生活には満ちていた。

ある日国語の先生が、クラスで生徒全員の黙読の速度を計ったところ、reechoが最も遅いことが判明した。自分を抜かした最も遅い人の実に2倍の時間を掛けなければ、reechoは文章が読めなかったのである。乱視は多少あっても文字が見られない程ではない。ただ読書が好きでは無く、音読の速度以上に速く本を読む必要性を感じたことも無かった。それでも運悪く、中学入試で間違って滑り込んでしまったのだから仕方が無い。そもそも小学生の頃は自主的には漫画本しか読まなかったし、漫画本を読むのがのろい、と友達から苦情を言われたことはあったけれども、別に本を読むのが遅いからと言ってreechoに本を貸している友達以上に不自由する理由も無かった。学校で強制的に読書させられても、飽くまでも単なる時間つぶしで、出来る限りのんびりと文字を眺めれば良く、文字を早く理解する必要なども生じたためしは無かった。

そんなreechoが偶然母の蔵書によってありついたのがつかこうへいだった。登場人物が漫画ちっくにどたばたと激しく動きまわるのが楽しく、少なくとも文字の意味を拾う喜びは、それまでに読んだ漫画以上に実感出来た。アバズレだのと下品な言葉が闊歩するので、純文学少女系の母は眉をしかめていたけれど、興味を持って読める本を当時のreechoは他に見つけることは出来なかった。今思えば、文章が三島由起夫の様に押し付けがましく俺様俺様していないし、威張ることのはしたなさを充分に心得ていて、威張りながらこっそりデリカシーを垣間見せるところが心憎いと言うか。一種の気配りと言うのか、日本人よりも韓国人の方が、その場の空気を読むのが上手いと思わせる。

パク・ヨンハにちなんで、なぜ韓国人は暗く悲しい歌を好むのかと考えてみたのだけれど、社会的な苦しさを抜かせば、日常的・言語的な理由として、言葉を発する際に音の上下があまり無いことが挙げられるんじゃないかと思った。音を上下させず、イントネーションに勢いが感じられないと何かじめじめした印象になるのである。日本語の場合、「そうです」「嘘です」「ファンです」「本です」を発音する場合、どれも大抵ドソファミ(1543)ドは高音で--くらいの音の差が生じるのに対し、韓国語の場合(知っている単語が少なくて恐縮なのだけれども)"팬이에요""아니에요"などは大抵ラシソラ(6756)くらいの音の違いしか生じない。激しく上下してもチャルメラ程度と言えば良いか、長く喋ればパトカーくらいの音程差が生じるけれども、ともかく音の動きが少ないのである。日本語は、言葉を発する際にでる音の高さがはっきり聞き取れない程に、口先だけで言葉を発し、音程をはっきり出さず、内緒話に向いている言語じゃないかとも思う。中国語は、例えば"是"一文字の発音でもソからドを一気に発音し、ドからソ以外の低音・高音は必要無いけれども、余程音程をはっきり発音しなければ意味が伝わらない。言葉を発している際に、煮え切らない奴がいないと感じさせるのも中国人の特徴である。英語も発音にリズムと勢いがあって、実にリズミカルに勢い良く発言するように見える。しかし韓国人は、音は若干動くのだけれども、感情が言葉からはみ出していると言うか、感情が言葉の裏でくすぶっていると言うか、音声を超越して感情が一人歩きする印象が感じられるのである。韓国人が、言葉以外の表情や態度等による感情表現に熱心なのも、音の高低差が少ないからじゃないかとすら思われる。音声によって気分を消化させられないのは、ストレスがたまる原因になるんじゃないのかな、とか。

ともあれ母親及び自分を育てた人の発する音というのはどの国の誰にとっても大抵心地よく感じられるもので、その高低差の少ない、あまり上下しない音が、韓国人にとって心地よい音として心に染み込み易いんじゃないか、と。だから韓国人は、音が激しく上下する明るい音楽を一般的に好まないのではないかとも思う。

「傷つくことだけ上手に」とか言いながら、傷ついた自分を慰める方法もまたどこかしら暴力的で、結局たばこによる肺がんで逝ってしまったけれど。やっぱ最後まで観客を笑わせることを考えていたんだな~と思わせる。病気の原因及び悪の原因を自分の生活から徹底的に追放するのも良く考えればはた迷惑で辛らつなのだけれど、病気と仲良く、駄目な自分と仲良くなんて悠長なことを言って、上手に悪者になろう、なんて言うのも困りもので。訃報を聞いて、上手にワルになろうと頑張っていた中学時代の自分を思い出して思わず笑ってしまった。そんでもって、ついでに突然訳の分からない親切心を見せる北京の社長を思い出してしまった。顔が微妙につかこうへいに似ていて、連絡していないんだけれど、あのヘビースモーカーも今頃元気にしているだろうか。あの父親の娘だったら、雪組のトップじゃなくてもかなり良い路線で活躍出来るだろうと思うんだけれど。また顔を見せに来てくれたりしないだろうか。ねぇ。

東亜日報

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