2011年11月18日金曜日

赤堀信一

明後日の11月20日はreechoの曽祖父の誕生日である。日本のサイトで「赤堀信一」の検索を掛けると、reechoのブログが何番目かにヒットする。当たり前のことながら、八田與一に比べて赤堀信一(あかほり のぶいち)の資料は極端に少ない。reechoの曽祖父は明治21年11月20日に現在の静岡県菊川市に山下友平(代々農家)の三男として生まれ、養子入りした赤堀家(徳川慶喜公の家臣の弟子)のコネで日高壮之丞に丁稚奉公しながら芝浦工業大学の前身を卒業(小学校しか出ていなくて大学へは行けなかった模様)、台湾へ渡った日本人技師の中では、恐らく最も沢山歩き回って測量した男である。測量の鬼と言って良いか。ジャングルの中で測量出来る日本人技師がおらず、台中から呼ばれたらしい。アシスタントは大抵台湾人だったとか。ダム完成前は乞食技師と呼ばれる程にボロボロの服を着て歩き回り、ダム完成後は百姓技師と呼ばれる程にひたすら木を植え続け、70歳過ぎても微分積分をスラスラと解いていたそうだ。ああも解けるこうも解ける、と色々な解法を高校生の母に教えていたらしい。昔は計算機が無いから全部人が計算していたんだね。日高壮之丞と言う人物がまたかなり体制に対して反抗的だったらしく、八田與一ファンに人間不信な人は比較的少ないんじゃないかと思うけれども、権力者に対する不信感しか表現されていないreechoのブログを見て、気分を害する人も多いと思う。弁解がましいけれども、人は環境や生い立ちによって物の見方や考え方が変わるので、先ずreechoの生い立ちと環境を考慮して見て欲しい。そういう物の見方しか出来ない環境に生きて来たのだな、と哀れんで貰えたら、闇雲にreechoの見解を非難する気持ちが和らぐかも知れず。反抗する人間が悪いだけだと思い込んでいる人にそんなことを要求するのは間違いかも知れないけれど。

幼少期から「権力者イコール自分の生存を脅かすもの」の概念を刷り込まれて来た人は、「権力者イコール自分の擁護者」の観念がある人たちとは、明らかに権力者に対する不信感が違う。権力者が何も悪いことをしていなくても、reechoの様に権力者には不信感しか持てない人間は、権力者から見れば煩わしい存在になり易い。誰だって睨まれたり叩かれたりしたくは無いからね。

ちなみに、自宅には日高大将の直筆掛軸があったりします。曽祖父が日高大将のお墓の設計を家族に頼まれて造っていたり。八田與一の銅像も趣味で造っていたんじゃないかな。

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