2015年4月28日火曜日

お詫び


母の友人が、文藝春秋社の「人間はすごいな」を母の代理で菊川市立図書館から借りて来て下さった。 もう1年以上前になるのだけれど。
その中から気になった部分を抜粋する。

「犬と棒」作者 楊逸
どうも日本人は犬に対して、中国の「イコール畜生」という罵倒的なイメージがなく、犬だと言われることに、まるで抵抗が無い様だ。(P.50)
「嘘ついたら針千本飲ます」と同じシチュエーションで、中国の子供は「嘘ついたら犬になる」と唄うのだ。(P.51)
犬に対してのあるまじき差別は、大陸だけでなく中華文化圏全体のものであろう。ある台湾の作家が、来世不幸にも犬に生まれなければならないなら、せめて西ドイツに生まれたいと言って、台湾人のみならず香港や台湾の人々も驚かせた。「丧家之犬」という熟語は、孔子の儒家思想よりも大陸を駆け巡り、俗人雅人問わず、気に入らない相手を攻撃する度、活用されてきた。(P.53)
「日月潭に沈んだ村」作者 坂野徳隆
日本人はもとあった日潭月潭という二湖の水位を20m上昇させたが、その犠牲になったのが、数百年以上湖畔で生活をしてきたサオ族の村である。
1934年6月30日、発電所の第一期竣工に合わせ、サオたちは卜吉庄(プージーザン:現在の日月村)へ強制移住させられる。それまで住んでいたのは現在のラルーという小島とその周辺だった。ラルーは祖先が眠る聖地で、水位上昇前は見上げるほどの大きな島だった。故郷を去ることに抵抗しても、最後には日本官憲に脅迫され移住は完了する。当時を知るサオの大老(88才)は「死ぬほど悔しかった」と唇を震わせながら、私に流暢な日本語で回想した。彼らは今も「プジ」の返還とそこへの故郷再建を求め政府と戦っている。戦後奪われた村の他の土地にしても同様だ。(P.70)



で、ReechoがUPした台湾の犬を見て「死ぬほど悔しい」思いを蘇らせる台湾人も多いんじゃないか、と。犬に対しての差別意識が無ければ良いけれども激しかったら大変だ。書き手にそのつもりが無くても読み手に感じられたらお終いである。
「日本人に対して反抗的」と言う表現も台湾人を見下している様に見えるかも知れないけれども、「日本に対して反逆的」では過激だと思って控えただけである。ただ読み手が見下していると感じてしまえばそれまでだ。
理解が無い思いやりに欠ける表現に不快な思いをされた方々に深くお詫び申し上げると同時に、今後も出る筈の不適切な表現を心配してしまう。個人の問題で済めば誤解されてもそれ程慎重に書く必要は無いと思っている関係上、これからも増える杜撰な表現についても併せてお詫び申し上げたい。

故郷に対する篤い信仰心で離れられない日本人も多いと思いつつ「死ぬほど悔しかった」思いを胸に故郷再建を目指すサオ族に、長い時間を掛けて故郷再建を目指して来たユダヤ人を重ねてしまった。

カトマンズでTibetFamilyGuestHouseのドミトリーに滞在中、同室にいた日本人女性がものみの塔の信者さんで、良かったら勉強しませんか?と誘われ計5時間程聖書について教えて頂いた。現在カトマンズで数十人の日本人がものみの塔の布教活動をしているそうだ。多くは学生ビザで滞在していて、留学にはネパール国内に一定額の預金が必要とか、旅行者も留学予定と言えば銀行口座の開設が可能とか、治安情報についても教えて頂いた。
悪魔に支配されているこの世がもうすぐ終わって神の言葉に従った者だけが生き残ると聖書に書かれていて、私たちは神の国の住人に成る為に聖書を学び実践しています、とおっしゃる。今は争いばかりだけれどももうすぐこの争いの世が終わって平和に成る、とShreeLalInnで同室だったユダヤ人も言っていた。人が皆死んでしまうのでは?と聞いたらそうでは無いと言う。ユダヤ人はユダヤ人だけが生き残ると信じていて、ものみの塔ではものみの塔の信者だけが神に選ばれ神の国に生きられると信じている。キリスト教では新旧約両聖書、ユダヤ教は旧約だけだが皆「聖書=神の言葉」の実践に熱心だ。
聖書に「世界が終わる」と書かれていれば何が何でも終わらせようとするユダヤ人の場合、旧約聖書が禁じている金利取りを始めた際には金利を取る相手は人では無いと解釈したらしい。神に背かずに生きるには金を貸す相手が人であっては成らなかったか、どうでも良いけど聖書では植物は生き物では無い事に成っている。

言葉で全てが表現出来るとは思えないし、人にしか分からない言語に拘るのもどうかと思うのだが、ともかく字面を追う事しか考えない人々には異次元なものを感じざるを得ない。お金に生かされお金の為に生きている、お金が全てだと思うならユダヤ人の操る言語がその人の命である。ほんのわずかでも神の言葉に背いたら死ぬ、と説くものみの塔の信者さんに、自分達が神だと言い自分達が創造した価値基準と言語に従わなければあっさり殺すユダヤ人の感覚を少々学べた気がした。価値を創造し従わせる事が許されるのは神だけだから、彼らは神であらねばならないのである。
イスラエル建国迄の長い間、聖書以外に拠り所が無かったユダヤ人がこの伝統的文化的強制から外れない限り、彼等の解釈による神の言葉の実践に全てが捧げられてしまう。
世界制覇と生きる技術の独占がユダヤ人によって成されている以上、悪魔に姿を変えながら帰郷を待ち続けた神々を、1匹の動物として祝福しなければならないかも知れない。地球脱出の噂もあったりして……。

神様、貴方の言葉を理解しようと思わない私をどうかお許し下さい。アーメン

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