2011年1月4日火曜日

説明能力

新年早々、珍しくテレビを付けてマイケル・サンデル教授の白熱教室を見た。
6時間連続講義の1日目、reechoは午前0時前にうとうとし、たった2時間でテレビを切って熟睡、2日目は眠らない様に大音量でテレビを付けっ放したのに午前1時頃に熟睡、それから夜中の3時頃にまたテレビの音に起こされて、最後の1時間弱をぼんやり見た感じ。終わりは教授が喋り続けて討論が無かったね。録画しようかと思ったけれども改めて見るに値するのか疑わしくて録画せず。正直に言えばビデオテープを引っ張り出して12時間分を録画するのが面倒臭かった。

昨年はこの白熱教室が相当に話題になった様で、東大で特別講義も催され、これもまた大盛況を収めているらしい。教授がユダヤ人と言うだけで何か裏があるんじゃないか?なんてreechoは身構えてしまうんだけれども(笑)。この教授のお陰でユダヤ人の株がまた上がってしまうではないか!なんてね。単なる嫉妬ですごめんなさい。
m(_ _)m
日本語版では、全12回、各回210円で視聴出来る様になっているらしい。英語が分かればYouTubeで無料だけれどもreechoにはちょっと難しい。英語が堪能だったら得だね。

自分の考えを説明する機会が無い、と言うより、説明してはならない日本人がこういう学習をすることが、果たして本人にとって利益になるのかどうか。考えて説明したら即刻クビでは埒が明かない。社会に出たら「見るな思うな立ち止まるな」の世界だし。その場で即時の決断を迫られ続け、何らかの結論を導かなければ「立ち止まってしまう」のだから、「見るな思うな立ち止まるな」の社会にも哲学と言うか、思慮と言うか、瞬時の問題解決能力が必要と見れば良いのかな。

自分が何を選び、何を捨てるのか、最終的に決断するのはその人自身だし、reechoはこの授業で「人は何を捨てられるのか」を考えさせられた気がする。ベンサムの功利主義による費用便益計算で、車の検査費用&修理費用が人の命の代金(弁償額)を上回ったのでそのまま検査せず市場に出し続けたとか、お金の為に人が捨てられることについて考えさせられ。最大多数の最大幸福の為に死んで下さい、と言う事が哲学的にどう問題になり得るのか、それなりに興味深く視聴させてもらった。
社会に出れば自分の考える「悪」の為に働くことが求められることもあるし、もしも説得する相手が自分自身しかいなかったとしても、説明能力は高い方が不満や反発・衝突がなく、矛盾の少ない人生を送れる様な気もした。自分が一切意見せず、他人に従うだけの人生を選ぶのも自分自身だし、単に自己満足の為でも自分自身を説得し、他人の意思に従わせる能力は長けていた方が得だと思う。特に日本で必要なのは、目上を納得させる能力で、目下を納得させるなんて考える必要が無いみたいだし。思慮の無い絶対服従の哲学に従うことが正義だなんて、日本は前近代的な地域じゃないか、なんてね。他の価値観による正義を一切考慮しない、紋切り型の文化を維持し続けられる日本の閉鎖性&画一性にも驚くべきものがあると思う。

日本人、それなりに思慮深い人が多くても、基本的に内気だし、言葉で率直に説明すると反論されるから、反論を避ける為、婉曲的に態度で示すことに熱心な人も多い。説明しないことが尊重される日本で論理的であれ、なんて無茶な気もするけれど、こういう議論が世の中に存在することは知って置きたいと思った。浮かばれない自分自身の、単なる慰めの為だとしても。

英文字幕付き第1回目(Justice with Michael Sandel)

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