2011年5月9日月曜日

友日派

今日も北京の社長に電話した。仕事の邪魔になるんじゃないかと思えるのだが、かなりの長話でも途中で切ったりすることが無い。中国では、頻繁に電話しても「ストーカー」とか「業務妨害」として警察に届け出ることも滅多に無いとかで、そもそも中国では、日本の「ストーカー規制法」に当たる法律が存在せず、取り締まりの対象にすらならないらしい。中国では殴る・罵る等の暴力行為が無い限り取り締まりを受けず、反政府的でありさえしなければ、ストーカーにとっては天国の筈ではある。

社長が何の脈絡も無く突然「日本とアメリカは中国を分裂させようとしているでしょう?」と聞いてくる。返答に困ったので話を逸らしてしまったのだが、中国の求心力に関わる問題については北京の社長も非常に神経を尖らせている気がする。少なくとも大陸では、中国の国益に反するから台湾の独立は許せないと言うのが一般常識である。reechoが丁度仏教の弾圧について質問した時で、それが中国の分裂に直結する問題だとは思っていなかったが、考えて見れば即刻中国の求心力と分裂に関わる問題であって、神経を尖らさざるを得なかったのだと気付かされた。外国人に中国の欠陥を突付かれることが不愉快だったらしいけれども、一般の中国人が日常的に、中国の求心力と分裂に関わる事柄については神経を尖らさざるを得ない状況があると見て良いと思う。

で、昨日の台湾にて。母の従兄弟が水車の前に→中國評論新聞網・(テレ朝news)
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「私は反日ではなく友日派」
asahi.com 2011年5月8日19時9分
 「私は反日派ではなく、友日派だ」。台湾の馬英九(マー・インチウ)総統が8日、台湾南部・台南市の烏山頭ダム近くに造られた日本人土木技師・八田与一の記念公園開園式でこう発言し、森喜朗・元首相、台湾の閣僚が出席した会場を沸かせた。

 石川県出身の八田与一(1886~1942)は日本植民地時代の台湾で、東洋一といわれた烏山頭ダムを建設、水路を整備し、干ばつに苦しむ台湾南部を一大穀倉地帯にした。台湾では歴史教科書に登場する。

 馬総統は「台湾が日本に割譲されたのは歴史の悲劇だが、日本が台湾を統治した50年に重要なインフラ建設があり、貢献は無視できない」「八田をたたえることは植民地支配を美化すると批判があるが恩讐(おんしゅう)を分ける態度が必要だ」と述べ、最後に「私は日本の最良の友人」と言い切った。

 5月8日は八田の命日。馬総統自身、思い入れが強く、これまで3度慰霊祭に出席した。公園造営も馬総統の指示によるもので、ダム建設当時の八田の官舎が同じ場所に復元された。馬総統は、かつて尖閣諸島問題などで強硬な発言をしたことから「反日」イメージを持たれがちだ。総統就任後は日本重視の姿勢をアピールしており、八田顕彰はその一環でもある。(台南=村上太輝夫)

日本によってもたらされた悲劇と喜劇をどの様に分けて評価するかは人それぞれだろうが、友人と言われて、まさか険悪な仲を指すとは考えられないと思われる場で、上手く逃げたな、と思わされた。自分に悲劇をもたらした相手に対して、最良の友であり続けることは難しい。どんなに寛大で優しかろうと、それは出来ないと言えなくも無い話もある。どんなに酷いことをされても最良の友であり続けられるのか、自分に聞くだけで充分である。

2011年5月9日のgooニュース(産経新聞)によれば、
 記念公園の建設は馬総統の発案で2009年7月から本格化。1億2千万台湾元(約3億5千万円)を投じ、八田氏ら工事に参加した日本人技師が暮らした木造住居4棟を復元した。

のだそうで、これが「私は日本の最良の友人」の理由として使えそうな気もするが、この三億円で土建業が随分儲かったんだろうね、と思った。貧しい庶民に富が行き渡れば良いけれども、実際は近辺の住民でも敢えて「八田與一なんて知らない」「嫌いだ」と言う人が多いことを考えると、これは飽くまでも国民党支持の土建業を闇雲に潤し、カネでの票集めを狙ったとしか思えない。一般庶民の顰蹙を買いかねない程の高額を投じることで、こんな高級な施設は庶民に不必要→八田なんて要らない、と地元の人々に感じさせようと頑張っている様でもあり、日本人に恩を売ってほくそ笑む馬英九がひたすら不気味に映った。そんなことより、「八田住宅基金」とでも名付けて、恵まれない人々の為に住宅を造ってくれたら故人も納得出来るだろうに……。

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