2011年8月10日水曜日

恨んで下さい

満州開拓団記念碑破壊運動
侵略した日本人を供養する者は、「勇気を出して社会に謝罪すべき」だそうな。

  方正県は、碑2基を建てるために50万元を投じる。中国のインターネットなどでは、「碑を建てることで、日本の企業に進出させ、GDPを引き上げる目的だろう」、「いかがわしい金儲け。日本にへつらい、国の恥を忘れて自尊心を放棄した」などの非難が殺到した。

恥と自尊心があったら日本人を優遇出来る訳が無いと言う話。

  王主任は、「軍国主義の日本が、長期にわたって中国の東北地区に開拓団を送り込み、植民地統治を行った」と述べた上で、日本人の墓や死者の名を刻んだ碑を建てるのは、「『うらみに報いるに、徳をもってする』の心により、われわれが歴史を反省しながら平和を願うため」と説明した。

  王主任は、「経済活性化のために、新たに碑を建てるのではない」と説明。日本人の墓があるのは同県の「中日友好園林」内で、日本人が毎年、墓参りに来る。園林内に新たに、死亡した日本人と物故した中国人養父母の名を刻んだ碑をそれぞれ建てれば、訪れる日本人に改めて、日本人孤児を育てた養父母のことを思い出してもらう助けになるという。碑の建立については、中央政府の同意を得た。

  王主任は「開拓団は日本軍とは違う。開拓団は侵略者ではあったが、日本軍国主義の被害者だった」と述べた。


◆解説◆
  戦前の日本では、農村部で人口が増えたために深刻な耕作地不足になった。貧困が原因の「娘の身売り」もありふれた光景になり、社会不安や軍内部の不満が増大。5.15事件(1932年)や2.26事件(1936年)の原因にもなった。

  そのため、政府は満蒙開拓団を組織し、旧満州などに送りつづけた。実質的な棄民政策だった。元開拓団の1人によると「未開の荒野に入植すると思っていたら、現地農民から強制的に取り上げた土地だった。私も百姓だ。恨まれても仕方ないと思った」という。


イタリック体はSearchinaより。

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