2011年4月5日火曜日

何で許すか。

中央大学経済学部で「環境政策Ⅰ・Ⅱ」の講義をしていた非常勤講師の父親が、原子力発電所の所長をしていたとかで、内部を知る人が見た原子力発電所の実態について、少し聞いたことがあったのを思い出した。講義では徹底的に原発を批判していて、真面目に聞いていたら怖くて原子力発電所の建設に賛成なんて出来なくなる内容だった。reechoはあいにく、その先生の名前すら忘れ去っていて、毎回講義内容の要約のみ(と言っても授業を聞きながらずっと用紙に書きっ放し)を提出する平常点評価だった為、授業ではノートに何も記録しては来なかった。一応全ての講義に出席したし、毎回要約を提出すればとりあえず単位を落とす心配は無かったが。「東海大学・環境政策・原子力発電所・中央大学」とか、覚えている限りの単語を並べて一体先生が誰だったのか検索して見た。

検索したらRobert Mandel教授による中央大学創立記念イベントの記事があって、アジアの通貨統一ってば懐かしーと思った。アジア版ユーロも夢じゃない、なんて今では理想主義的だと思えることが、さも現実味を帯びて見えたあの頃、果たしていつかそんな日が本当に来るのだろうか。

やっと思い出したんだが鳥飼行博先生、いつも早口で口に泡を溜めながら喋られていた気がする。東海大学と言っても鳥飼ゼミの学生は、中央大学でも手が出せない名立たる企業に就職するとか言っていた。羨ましい。

話は逸れたけれども、ともかくこの先生の親父さんが浜岡原発の所長を務めたことがあるとか言う話で、原子力発電所の老朽化と廃棄物の処理がどれだけ問題か、恐ろしい剣幕で話されていたことだけは覚えている。「原子力発電所がこの世にあってはならない」と言わんばかりであって、あれを聞いたらとてもじゃないけど原子力発電所の建設も温存も考えられなくなってしまう。

それで、今回の事故である。ダイナマイトなりミサイルなりを、その気になって原発にぶち込み続ければ、日本全土が簡単に吹っ飛ぶ力は出せると思ったし。絶対に安全、何があっても大丈夫なんて最も危険な物質を熱しながら言う人間の精神構造はどんな物か。核兵器なんか打たなくたって、原発さえ壊せばその国はイチコロである。原発が壊れて初めて「みなさんごめんなさい。想定外だったんです。」なんて謝られても迷惑である。想定外の事故が起きても安全だ等と、想定外の出来事に遭わずに言っていられるのも今のうち、ということで。結局、国が全て吹っ飛んでも誰も責任取らないよ、だって誰もいなくなっちゃうんだもん、爆発すればみんな死んじゃうから平気~~~誰からも非難されずにあの世に逝けるし、みんないなくなっちゃえば怖いもの無し、と責任者が思っていたらどうするんだろうね。

既にプルトニウムは正式に検出されちゃったし、爆発しても「ごめ~ん想定外だったのぉ~♡」で許されると思っている人がいるならば、ちょっと頭が可笑しいんじゃないかとか、責任能力の有無を専門家(とりあえず精神科医)にでも見て貰った方が良いのではないかと思う。日本では、目下の人間が目上の人間に甘過ぎる。地位が高ければ何でも許される社会ってどんな感じ??って、地位が高ければ随分楽しいんでしょうねぇ、としかreechoには言い様が無いけれど。

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